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エロ漫画は好きですか?

『エロ漫画は好きですか?』

学部の友人から話を振られ、
「えっちなものは正直・・・」と答えを濁してはや10年。

時間の経過が私を変えたのか。
いや、きっとそうじゃない。
ありのままの自分を素直に受け止められるようになったんだと思う。
10年越しになるけど、改めてあの日の答えを。


「大好きです。今度は嘘じゃないっす。」








誠実さの欠片もなさそうな竿役と、ガードの固い人妻の組み合わせが好きっす・・・!!!


読むだけでは、満たされない欲求

学生時代の話に戻ります。
就活も早々に終わらせ、幾らかの余暇があった私は、
手元にあった無料のお絵描きアプリ(スマホ版アイビス)で
中学生以来描いていなかった絵を描くようになりました。


その時はまだ、
「好きなキャラクターを可愛く描けるようになりたい」
くらいの気持ちだったと思います。


それがいつからか、
「もっと絵を上手く描けるようになりたい」
と考えるようになった私は、
就職を機に購入したパソコンとペンタブレットを使い、
暇があればクリスタと向き合う毎日を過ごしていました。


初めは大好きなアニメのファンアートを描いてみたり、
次第にSNSに投稿して交友が深まったり、
縁あってお声がけいただいた合同誌で漫画に挑戦してみたり。


きっかけは、漫画に挑戦したことだったと思います。
ある日、気づいちゃったんですよね。
エロ漫画、自分で描いてみたい」って______。



エロ漫画って、描けるのか!?

物語を描く、そのために必要な欲求

「エロ漫画を描きたい!」
漠然と膨らんだ欲求のまま、液タブと向き合い、悩むこと・・・・・・









一年が過ぎてしまいました。😧
一年も時間があれば、作品の一つも作れそうなものなのに・・・・・・
ヒロアカも呪術も完結しちゃったよ。


作品を描き上げるでもなく、その間何をやってたかというと、
コマ展開やコマ割り、コマ構成、
カメラの望遠や広角、漫画パース的な誇張した表現、
話の構成、結末から逆算する方法、脚本術、
話のテンポ、シーンごとのキャラクターの感情の変化を見せるetc……

技術的な話ばかりに目を通し、
・・・・・・目を通すばかりの日々。
いざキャラクターを考えて動かそうとすると、
キャラクターが全然動いてくれない・・・・・・
そんなことを繰り返して、一年。


漫画、というより物語が致命的に描けないことに気づく。😨
描きたいという膨大なエネルギーを、言葉に変換出来ない。。。


話を考えられない理由、薄々気づいてる。
物事を基本的にフィーリングで回しているだけに、
順序立てて話を組み立てることに不慣れなのだ。
思い返せば友人との会話も、内容のない会話を、
思いつくままに繰り返すだけなわけで・・・・・・


建設的、というかロジカルな会話か。
いやエロ漫画の作劇場は論理が破綻していても
読んでいて思わず納得しちゃうような超理論的な会話か・・・・・・



つまり何を言いたいかというか、
キャラクター同士の掛け合いが思いつかないのである。😦


絵を描くというライフワークを通して、
度々自分が今まで何も考えずに生きてきたことを実感させられた。
無計画に描き始めたものが上手くいった試しは一度もない。
計画、と言ってもそんな仰々しいものでなくて良い。
殴り書きのメモに、描きたいことの指示が書いてある。そのくらいで良いのだ。
段取りが、資料が、本当に大事なのだ。



それを踏まえて、漫画だ。
漫画という分野はまさに考えることが、
いや考えようと思えば無限に考えることが増える際限のない世界なのである。


考えることが多過ぎて、もういっそ何も考えたくなくなるまである。
私が望んでいたエロ漫画とは、もっとシンプルだったはずなのに。

いわゆる「何が分からないのか分からない」状態だ。
ここに陥ると自分一人でその欠点に気づき持ち直すことが困難になることを
私は28年という歳月の中で学んできた。

学んできた、と言ってもこれの具体的な解決法を私は持ち得ない。
これが学校や職場であるならば、分かる相手にお願いして教えてもらえば良い。
しかしここには私しかいない。初めから私一人。並走相手も競争相手もいない。



独学なため、誰に質問するわけでもないが、
いや仮に質問出来たとして
「エロ漫画のことで相談があるんだけど…」
と切り出せる知人は私にはいない。
というか家族や友人にさえ漫画を描いてることすら言ってない。

はっきりと見えない答え。あれ、何を描きたいんだっけ?



消化不良な日々、それでも、エロ漫画が好き

読む専であって、描きたいほどの欲求は自分にはないのか?
そんな悶々とした思いを抱えながら話の構成を考える毎日。
試しに私がどういうところで話作りに詰まっているかお見せしたい。

はーとめいる(以下は)「話作りか、まずは登場人物だな」
は「例えばそうだな、ここに気の強い人妻がいます。」

縦セーター着せるだけで人妻っぽく見えるのすごくない?

は「人妻と来れば、時間を持て余した大学生の登場か?」


メカクレ系で日焼けしてて筋肉モリモリだとなお最高

は「二人は同じアパートに住む隣人
物語における役割は主婦(32)と大学生(20)です。
主婦は現在14歳の子供がいます。
大学生は今年でスポーツ学部の2年生になります。
二人の出会いは町内会のゴミ拾いです。
上記画像は二人の初めての出会いの場面になります。
同じ班になった主婦に大学生はそれ以降積極的に話しかけ、
季節は過ぎていき・・・・・・」

といった感じで、話を膨らませていけばいいのかなと思い、
液タブの画面に齧り付いてはいるが・・・・・・



竿役がヒロインと全然SEXしてくれない!!!!!!
もうびっくりするくらい動かない。

いや正確にはキャラクターは動くんだけど、
竿役くんの行動がSEXにまで紐づかない!!!!!!
というか隣人と自然に密室で二人きりになる展開が思い浮かばない。

これ、恐らく作者の自分自身、
竿役が人妻を寝取ったり孕ませたりという行動が・・・・・・、
つまりは、本当に読みたいであろう展開を自分で考えるとなった瞬間、
読みたいけども、心の底では共感出来ないから描けない・・・・・・、
自分の良心の呵責で筆が止まってるんじゃないかと、
この文章を書きながら思い至ったんですよね🤯



思うに、性癖というのは、受諾する分には他人事として受け止められるが、
自分自身が書き手側に回った際、傍観者でいられないため、気が気でいられない。
つまり共犯関係になってしまうことに抵抗があるのだと思う。
そりゃ常識的に考えれば人妻に手出したらだめだろ🙁


常識、つまり読み手として目は肥えていても、
書き手としては凡夫なため、自分の中の常識を壊せていないのが問題なのか?
しかし心を痛めながらエロ漫画を、性癖としてはNTRモノを描くというのは
本当に健全と言えるのだろうか?


いや、前提が間違っている。
考えてみれば、エロ漫画は非常識なのだ。
良心の欠片もないような軽薄な男に、最愛の妻が犯され、身体も心も奪われる。
妻が宿した新たな命に、疑いなどなく、ゆるりゆるりと日常は過ぎていく。
現実ではおよそ許されないことが、いや許せないことが、
エロ漫画の中では許容できるのだ。


幕間でしっかり肉体関係を持った二人


性癖と良心は相反するものかもしれない。
むしろ、良心がなければこの性癖は成立し得ないまである。


やはり私はエロ漫画が好きだ。
ハンドルネームを「はーとめいる」と名づける程度には、
ハッピーエンドとは程遠い作品が好きなのだ。

このnoteを皮切りに、自分の中で作品を発表するという
ハードルが、少し下がった気がする。
やはり、言葉に書き起こすというのは良いものだ。


ここまで読んでいただきありがとうございます。
サークル「人生赤信号」して作品を発表する予定なので、
良ければ今後ともよろしくお願いします。🙇


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