【短編小説 丘の上に吹いた風 6】ドクター外中のおにぎり
6.ドクター外中のおにぎり
婦長室のドアをノックすると、すぐにどうぞと返事が返ってきた。
袖山は書類に目を通していた婦長の前に座った。
「婦長、先日の件なんですけど」
「その件なら私も賛成です」
「それは心強い。僕からそれとなく話してみます」
「それとなく? 直球でいいと思いますよ、外中先生だいぶ鈍感なところがあるから。それで危うく結婚相手逃しそうになったじゃない? あの時はさすがに私も焦りましたよ」
「今回は大丈夫ですよ。なにしろ・・・・・・」
「そうですね、なにしろ・・・・・・」
婦長はふふと笑い、書類をまとめて机の隅に置いた。
袖山は婦長室を出て休憩室に向かった。
「外中、今から飯?」
袖山は午後三時になってようやく昼食にありついている同期の医師の肩を叩いた。
ちょうどおにぎりにかぶりつこうとしていたところに声をかけられ、外中は怪訝そうに振り向いた。
飯を邪魔された外中がこんな顔になるのは大学時代から変わらない。袖山は思い出して可笑しくなった。
「今日もおにぎりか。それにしてもお前のおにぎり、相変わらずでかいな」
「結局これに戻ってくるんだよ」
返ってくる言葉もあの頃と変わらない。
「具は何だ?」
「今日はツナマヨだ」
袖山は外中の隣に座り、ホスピス丘の上の案内書をテーブルの上に置いた。
「これ、お前に白羽の矢が立ったんだ」
「俺に? 何で?」
「それ」
袖山は外中のごつごつとした大きな手の中にあっても、ひときわ大きく見えるおにぎりを指差した。
「それから苗字」
「苗字?」
「今晩飲みに行けそうか?」
「ああ。夜勤じゃないし。今んとこな」
「詳しい話はその時にしよう。とにかく案内書読んどいてよ」
「急だな、しかし。あまりにも急だ」
「善は急ぐものだからな。じゃあ、いつもの居酒屋でな」
ぽかんと袖山を見送った外中は案内書に目を戻し、おにぎりをかじった。
カウンターの隅で短く切り揃えられたごわごわの顎鬚をひとしきりなでた後、うーんと唸って腕組みする外中を横目に、袖山はビールを一口飲んだ。
「お前ほどおにぎりが似合う男はいないってことだよ」
「なんだよそれ」
「それは冗談として、あんな事件の後だろ? ホスピスを再開するって言っても簡単じゃないんだ。それでも入院希望者が後を絶たなくて、それに押されて再開を決意したって話だ」
袖山はグラスを置いて、真っ直ぐに外中の目を見た。
「三田先生、ずっと後継者探してたらしいんだ」
「いい話だと思う。でもそんな大役、俺に務まると思うか?」
「やれるよ。なにしろ婦長のお墨付きだぞ」
「え? そうなの?」
外中はまんざらでもなさそうに小鉢のきんぴらごぼうをかっ込んだ。
「お前も運命みたいなもん感じてないわけじゃないだろ?」
運命と聞いて、カウンターの奥で刺身を切りつける店の大将がにやりとした。
「勤務する小児科で看護師や入院患者からトナカイ先生と呼ばれているのも、毎年クリスマスパーティーでトナカイ役を任されているのも、単なる偶然にしては出来過ぎだろ」
袖山の声に熱がこもった。
「薗さんのおにぎり、食ってみたいな・・・・・・」
「そう言うと思った。じゃあ決まりだ。今度の休みに行ってみないか? 俺も一度三田先生と薗さんに会ってみたいんだ」
袖山は残りのビールを飲み干してグラスを置いた。
「収まるところに収まるもんなんだな・・・・・・」
へばりついたビールの泡がゆっくりとグラスの内を伝い底に広がった。
店の引き戸ががらりと開いて、三人連れが入ってきた。
風は暖簾をはためかせ、店の中に吹き込んだ。
「どう思う?」
「髭ちょっと短くない?」
「そのうち伸びるよ」
「それに白くない」
「あとで白くなるよ」
風はしばらく話し合って、何か納得したように、壁の品書きをぴらりとめくり、換気扇から出ていった。
潜っても 潜っても 青い海(種田山頭火風)