自分で決断しないこと:「日本陸軍」と「官僚主義」
「ヤバいのは皆分かってる。でも上が止めるって言わないと止められないよ」
「一度組織で決めたことは覆せないんだよ」
赤字を垂れ流し続けるビジネスに、撤退できないのですか?と聞いた時の私の上司の回答。当時私は、「役職」がなかったため、その「上」(役員)の人達に直訴できなかった。
合理的な証跡やデータもあるので、上司や部長が役員に、「辞める理由」のご説明ができるような資料を作りましょうか?と提案した時、全力で止められた。何故なら、それは、「上」(役員)に対して、「現場の上」(部長)の人達の決断が「間違っていた」と示すことになり、「現場の上」の人達の「メンツ」や「評価」に大きく影響するからだ、と暗に説明された。
日系の保守的な企業での出来事。外資の時には、絶対ありえないロジックがまかり通っていた。
「合理的ではない」判断で、赤字を垂れ流しても将来的に「自分の会社」が危うくなるだけだ。結局、自業自得で収まる。(株主には迷惑は掛かると思うが、賢明な株主ならギリギリにならなくても、決算や総会での説明で「ヤバさ」に気付くだろう)
官僚主義の意味が分かった瞬間
「続けることで、結局会社のためにも何のためにもならないことは分かる。でもやるしかないんだよ」
最初は、この上司の方が所謂「仕事ができない人」だからこういう発言をしているのかな、と思った。
しかし、別の部の長でも、別の「役員」の方でも、「正直ベース、言っちゃうと、ここだけの話」と前置きしつつ、こういう趣旨の発言を多くした。
ただただ、最高学府と呼ばれる大学に4年通い、20年以上(そしてこの先も)ずっと勤める、と約束しているだけで、赤字ビジネスを複数抱えていて、その清算を「自分が引退した後」、「本格的にヤバくなってから他の誰か」に持ち越そうとしていても、何千万という報酬が約束されている。*勿論、良い大学に入るために受験で努力をした人達は、古今問わず、本当に努力をしたと思うし、その努力は敬意に値すると思う。でもその4年で人生の全てが決まる社会は、柔軟で夢があるだろうか、と考えてしまう。人生の保険にはなると思うが、私はこういうステレオタイプの役員たちが(私のいた会社で)イノベーションを起こした事例を一個も知らない。口では、色々横文字を並べていたが。
会社のホームページに「役員」として名前の載っている人達が、某新聞では社内異動で報じられる人達が、ビジネスの「決断をしない」。そして、「役員」の数は日系の大企業の特徴か、非常に多い。日本の人口態の縮図みたいに。
役員たちは、「同じ大学」とか、「同じ海外の赴任先にいた」とかのネットワークでつながっている。20年以上仕事をしてきて、仕事の中身やプロジェクトではなく、年代が被ってもいないたった4年いた、「同じ大学」と「同じ場所にいた」という要素で、連帯感を保っている。
大事なことだと思う。仮にこれが、良いビジネスの結果に結びついていれば。
でも不思議なことに、特段結果には結びついていないように見える。むしろ、自分のポジションのすごさを担保してくれる同志・失敗している、と思わせない保証人のような存在に見える。事実、役員同士で、「ネガティブな話題(撤退など)」について、建設的な議論をしていないからこそ、赤字ビジネスが複数放置されていたのだと思う。
「俺関わってるんだよね、このビジネスの立ち上げ」と誇らしげに飲み会の最中に、ある役員が私に言っていた。
当時若かった私は、「女子社員」らしく、「適切に」笑顔を見せて、「すごいですね!」とだけ言ってやり過ごしたが、内心、現時点でこんなに赤字で、立ち行かない事業を立ち上げたのに、なぜ自慢気に話せるのか、理解に苦しんだ。
ある時上司が言った。「良く取引先から「御社の業界の方々は皆官僚っぽいですね」って言われる。」と。「これは当社だけじゃなくて、古い日本の組織はこうなんじゃないかな」と。
「俺たちは日本陸軍と変わらないんだよ」
この発言を聞いた時、私は上司を二度見してしまった。
この上司は、全力で役員への「赤字ビジネス撤退」のご説明案を阻止しようとした人。人間として決して悪い人ではない。むしろ子供思いの優しい人で、部下に対しても気を使い、良い人であろうと努力している人。そして「とても良い大学」を出ているので、頭もいいのだと思う。
彼は、決して日本陸軍をディスる趣旨で言った訳ではない。これは、「無謀」だと思っても、やり切る気概が必要だ、という趣旨で出た言葉だった。
この方は、真面目で、忠実で、本当に組織の規律を大切にしている。
日系の会社に入った時に初めて、何で日本が「無謀な」戦争をしたかが、何となく分かった気がした。
個人的には、1930年代当時の人々の方が勉学に集中すること、勉学を好んですることの質は、今とは別の意味で高かったと思っている。
例えば、今みたいに書店に山ほど色んな種類の参考書が積まれていない。受験勉強も過去問集を解くくらいしか手段はないし、過去問自体も地域差などで限られていたと思う。限られたリソースで、勉学を極める必要があった。
また、娯楽が今のようにないからか、当時の(1930年代の)若い方で、高学歴の方は本当に古典と呼ばれる沢山の本を読んでいる印象がある。そして、音楽学科ではなくても、クラシック音楽を嗜む高学歴の方々は多い。
本当に、自分の糧になるように勉学に接して・吸収していて向き合っている方々が多い印象だ。
当時法律を作っていた人達も、今のようにググれば出てくるとか、法令データベース作ったなど勿論ありえないので、六法全書や関連法の分厚い「本」をいつも片手に、場合によっては諳んじられる程、蜜に関わっていたのだと思う。
そんな「質の高い」、高学歴な方々が、なぜ、あんな無謀な戦争をサポートし、政治家の戦争決断へと促したのか。私の長年の謎だった。
左翼と自称されているある人は「軍国主義で、短絡的だったから」と説明してくれた。でもこの説明は、私が「すごい」と思った、当時の政策をリードしていた高学歴の人達のプロファイルとはフィットしない説明だったし、あまりロジカルに感じられなかった。
右翼と自称されているある人は「無謀な戦争って言っている時点で国を侮辱している」と仰って、議論が出来なかった。*とてもお話したかったので残念だった。
そして、こうした探求とは別に、私の「職場」で思いもかけず、この回答のヒントに直面することになった。
それが、日系大手の人達の「決めるのは自分ではなくて上の人」という口癖と、軍国主義や戦争というイメージとは程遠い、絵に描いたような真面目で善良な「サラリーマン」である上司の「日本陸軍」発言。
無謀な戦略の意味:金銭的に可能だったのか
私が「無謀な」という言葉をこの記事で使うのは、政治的な主義主張(右翼とか左翼とか)のコンテクストからではない。むしろ、経済的・戦略的に、合理的ではなく、「無謀」だったという意味だ。
当時日本は、アメリカなどに「生糸」や「綿製品」など紡績品を買ってもらいながら、外貨を稼いで、戦争資金に充てていた(+日米通商航海条約破棄後は、充てようとしていた)。
1929年の世界恐慌前、日本の二大輸出品は、生糸と綿織物だった。米国への生糸の輸出額は恐慌前、年間7億円台だったが、恐慌後、米国内での絹織物産業の低迷により、3億円台まで縮小している。その後、日本は、当時価格競争力があった、綿の輸出を増やすも、恐慌後のブロック経済推進、元々の綿供給体だった英国領インドが大打撃を受けたことで、日本産の織物のダンピング(不当廉売)批判、関税報復を受け始める。*1929年の日本国家予算が歳入・歳出ともに20億円前後だったことを考えると、7億円や3億円という金額が、今以上にどれだけアメリカへの輸出に依存していたかが分かる。
戦争の要因について、世界恐慌が帝国主義的なブロック経済を生み、輸出入に依存する日本に、帝国主義的な道に向かわせた、という論調がある。欧米はそのひと昔前からこうした帝国主義で甘い蜜を吸ってきたのに、日本の植民地主義だけを責められるのはおかしいと。これについは、また別途考察してみたい。
だが、こここそ、私が日系大手と官僚的・政治家的思考が似ているな、と思う点だ。
上記の論文を読むと、こんな状況下、当時の官僚も政治家も輸出入リンク制など、知恵を絞っていることが、良く分かる。決して「軍国主義」でも「短絡的」でもなく、「合理的に」経済を回そうとしている。(貿易赤字解消のため、輸出額増加を目指し、輸出商品に必要な原料の輸入品に絞る政策を導入する、など)
一方で、どんなに工夫をしても、外貨を稼がなければ、膨大な戦費が賄えない。強固なブロック経済綱+欧米からの日本制裁で輸出入先がなくなり、半ば強引にインドシナ進出という選択をし、物資調達に討って出ている。
この経済的な修羅場を潜り抜けた政治家・官僚たちだ。当時7億円も生糸を買ってくれていた最大の輸出国であるアメリカと対峙している段階で、「資金的に非常に豊かな国」という認識は、どの官僚も政治家も持って入るはずだ。
ほんの直前まで国家予算の3割に該当するほどの、大量の外貨を稼いでいた相手先(アメリカ等)に、戦争を仕掛けよう、と決断するのは「合理的ではない」。むしろ、アメリカに戦争を仕掛けようとした行為自体が、「日本という国を侮辱」している行為に見える。
結果論だ、という人もいるかもしれない。最初は、真珠湾攻撃など日本軍は攻勢を見せていたから。でも、結果負けた。
戦略を練る時は、「こうなるといいな」という希望的観測、や「過去(日露戦争)ではこうだったし」という単純比較が入った段階で、もはや戦略ではない。そして、戦略なき戦は勝てないと思う。*これは、三国志ゲームが大好きだと言う上述の右翼の方も賛成してくれた。日本の戦争に置き換えたら怒られたが。
従ってこれは結果論以前に、戦略の段階で、合理性が欠けているため、負ける確率が高いことは、頭の良い官僚であれば分かっていたはずだ。特に、当時書籍を愛した官僚や政治家の方なら、孫子の兵法を読んでいただろう、と思うし、自明な気もする。
外貨が稼げなくなった→今度は戦費調達のために、国債を発行する→外国の方々は「日本の侵略」や「ブロック経済」が理由で、買ってくれない→「国内」では買う余力のある人たちは、「輸出先」が減ったことで、余力(=お金)がなくなる→何とかして確保した物資やカネ(満支・インドシナから)は優先的に「戦費」に充てられる→一般国民は益々物資が割り当てられずジリ貧。
高揚的な愛国論・精神論で国民を鼓舞することに頼らざるを得ない、日本国中枢のロジックがよく分かる。無謀な戦略には、情熱的な「国民の皆様のご協力」が不可欠だった。
日本国民の日々の食事を奪ってまで「外国」に固執する政治。私は個人的に、こういう決断は「国家に対する侮辱」ではないかな、と私が右翼だったとしたら尚更、「合理的に」そう思ってしまう。
無責任の連鎖:一番「上」が不明瞭なまま「上」に判断を仰ぎ続ける
役職を得て、役員と直接話せるようになり、役員に同じことを聞いたら「上に聞いてみないと分からない」と言われた。
私は混乱した。「「上」って社長ですか?」と聞くと、そうだ、と言った。この頃になると、会社のルールが分かる。「社長」は雲上人なので、もう一つ上の役職に私が上がらないと会えない。*RPGみたいだなと思った。
そして、役員に、合理的な証跡やデータもあるので、役員が社長に、「辞める理由」のご説明ができるような資料を作りましょうか?と提案した。
すると全力で止められた。何故なら、それは、「上」(社長)に対して、「現場の上」(役員)の人達の決断が「間違っていた」と示すことになり、「現場の上」の人達の「メンツ」や「評価」に大きく影響するからだ、と暗に説明された。
上司や部長と全く同じことを言われた。
ある日、役員と飲み会をしている時に、オフレコとして社長との話がどうなったかを聞いた。「Hatokaさんに促されて社長に軽く言ってみたんだよ。そしたら、社長も認識はしていて。「上」に聞いてみないと分からないんだって」と言われた。
私は本気で混乱した。社長の上って何でしょうか?と聞くと、「会長」だという。「会長がもともと原案の事業だからさ。ちょっと大変なんだよね。」と言われた。
私は「その人達はもはや当社の人ではないので、実情を知らないのではないですか?」と聞くと、「だからこそ、説明しないといけないんだよ。資料作ったりもう大変だよ」と役員が言っていた。
役員が決めないで、外部に判断を仰ぐのか。私は途方に暮れた。
役員自体は「日本最高学府」を卒業しているし、事業の内容を良く理解しているし、事の重大さも良く分かっている。頭の回転も非常に速いし、的確に論点を説明できる。そして、「善人」で「部下思いの親切な人」だ。
物事を分かっている人が決断をしないで、全く関係ない会社の「上」の人や、普段会社に来ない「会長」に判断を仰ぐ。そして、目の前の自分が対応可能なもの(役職的にも大きな判断が要らないもの)を「自分の仕事」として、粛々と取り組む。
恐らく、当時の「優秀な」政治家・官僚も、大人数の中で全体は見えていたのだと思う。ただ、「自分で決断する」という意思が皆無だったのではないか。特に軍では規律や上下関係が厳しいが故に、その軍が政権を取ってからは、1政治家、1官僚ごときが、「自分で決断する」という発想さえ、今以上に起こらなかったのだろう。そして、輸出入リンク制度など、「目の前」の自分の役職的に大きな判断が要らないものを「自分の仕事」として粛々とこなしたのだろう。いかに、その仕事が全体を見れば、小手先に成り下がろうとも関係なく。
大きな決断を、自分で決めないでいいことは、楽だろう。
しかし規模が大きいが故に、早く決めないことで新聞沙汰になるような、大惨事が起きた事例が多くある。
「失敗」が明らかになった時、粛々と皆いかに問題が出たかを分析し、それを今後繰り返さない体制を全力で構築する。皆真面目だし、善良だ。組織の規律を大切にしている。ただ、「自分で決める意思がない」。
「日本陸軍」は異常だったのではない。個々人が、一生懸命、「上」を見て判断が曖昧な命令に、忠実に従った立派な人達の集まりだったのかもしれない。
そして結果、多くの惨事を生み出してしまった。外部にも内部にも。
日本陸軍だけではない、他でもない、私も「私」が自分で考えて、「私」で判断しなければ、気づかない内に、「日本陸軍」の一員になる可能性も十分あるのだ、と気づかされた。私が、「善良」で「組織や国家に忠実」で「親切」な市民であろうと心掛けていたとしても。
私が私で判断することを忘れたくない、と強く思う。