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爛漫


 春が来た。ついに来た。
 なんとなく数日前、いや、数週間前からそんな気はしていた。
 けれど、わたしはやはりいつになっても東北出身の血が抜けないのだろう。
 三月に「これはもう春だ」と確信するのは些か勇気のいることだった。

 春一番が吹いて、車が塵だらけで真っ白になってしまったのは少し前のこと。
 いまは、空気が、陽気が、風が、全身が「これは春だ!」と訴える。
 いままさに、もう春なのだ。


 昨日の朝、夜釣りから帰ってきた夫の扉を開ける音で目が覚めた。
 彼は、うっすらと瞼を開いたわたしを見るなり、開口一番に「春、爛漫だったよ!」と弾んだ声で言ったのだ。

「春爛漫?」
 くすりと笑いながら聞き返す。
 おはようでも、ただいまでもない。春爛漫。

 綺麗な言葉だなと思った。
 だけど日常で使うにはちょっと古風で、どこか特別な気さえするーー……そんな美しい言葉が目が覚めて一番初めに耳に飛び込んできたものだから、わたしはなんだかおかしくなって、自分の口角が自然と上がるような気がした。

 夫曰く、朝通った帰りの道に桜並木があったらしい。
 桜にしては早いのかな、ほんとに桜なのかな…と、首をひねりつつ、その様子を思い出しているのだろう、彼はどこか上機嫌だった。


 夫は付き合い初めの頃から、よく花を見つけるとわたしに教えてくれた。
 道端で咲いている花、生垣に咲いている花、誰かの庭で咲いている花。

「見て、花が咲いているよ」

 まるでそういう取り決めがあるかのように、それが彼の仕事であるかのように、いつも律儀に美しい花のことをわたしに知らせる夫のことを、わたしはとても好ましいと思っている。

 そんな彼が、朝一番に春を感じて、たくさんの桜を見つけたことをわたしに伝える時、彼が選んだ言葉が「春爛漫」だったのだ。
 そう思うと、わたしの中でその言葉がより一層輝きだすような気がした。

 わたしは「言葉」が好きで、よくこうして色々なことに思いを巡らせながら随筆を書いたりするけれど、それでもやはり愛しい人の反射のような美しく計算のない言葉には勝てないのだろうと感じるときがある。

 わたしにはそれがどうしても嬉しいのだった。


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かのりんか|よるの帳
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