刃物専門編集者の憂鬱 その1 「え、オレが選ぶんすか!?」
はじめまして。「編集者&ライターときどき作家」の服部夏生と申します。
肩書きそのままに、いろいろな仕事をさせていただいているのですが、ちょっと珍しい「刃物専門編集者」としての日々を、あれこれ書いていこうと思います。
* * *
■『ナイフカタログ2023』ってイカした本があるらしいよ。
さて、四半世紀続けてきた「刃物専門編集者」としてのあれこれを書いていくことに決めたのだが、まずは、宣伝をさせていただきたい。
2022/11/15にホビージャパンという出版社から、編集を担当した『ナイフカタログ2023』というムックが出版されている。
800アイテム以上のナイフが勢揃いという、なかなかに壮観な本だが、なんでこんな本があるのか、ということは、同社のブログサイト『SCREW』でも簡単に紹介してみた。よろしければご一読ください。
■ナイフ作家の登竜門、「JKGナイフコンテスト」。
今回は「選考」の話である。
ジャパンナイフギルドという団体がある。
通称JKG。「カスタムナイフメーカー・カスタムナイフショップ・ナイフコレクターなどにより構成されている非営利の同好会」をうたっており、ナイフに幾分かでも興味を持っている人ならたいがい知っている団体である。
この団体が、毎年行なっている「ナイフコンテスト」というものがある。
プロ、アマ問わず個人で制作したナイフなら応募OK(もう少し細かい基準はあるが割愛する)というコンテストで、ここでの受賞をステップに世界的な作家になった人も多い。
早い話、ナイフ作家の登竜門ともいうべきコンテストなのである(プロで実績のある方も応募&受賞されているから、正確にはちょっと違う性質ではあるが)。
■ハットリ、審査員やってるんだってよ(笑)
と、思いっきり持ち上げておいて言うのもなんだが、僕、このコンテストの審査員を務めているのである。
いつ頃からお声がけいただくようになったか、記憶は定かではない。
最初の頃は、ナイフを作りもしない、購入もしない(これについては今度書く)という僕が、審査していいんかいな、と思っていた。だが、「知らなすぎず、知りすぎもせず」というどっちつかずな立ち位置じゃなきゃ見えないものもあるだろう、と、いつしか腹をくくるようになった。
心が決まると、力も入る。今では選考を行う9月が近づくと、今年はどんなナイフが集まったか楽しみで、そわそわして、事務局の切れ者、ジュニア氏に「どーすか」と、わざわざ声をかけるくらいになった。
実際、このコンテストに集まる作品のクオリティが年々上がっているのである。
刃物、さらに言えばナイフにあまり興味のない方をいきなり置き去りにしてしまうが、僕は、ブレード(刃)の削り方、ハンドル(柄)の角の取り方、シース(鞘)の革の縫い方など「技術」全般に関しては、門外漢である。
そこは作り手たちの領分である。なので、なるべくテクニック面は選考基準としないようにしているのだが、そんな僕でもわかるくらい、ここ数年、明らかに応募作の技術のベースラインが引き上げられてきているのである。
その状態は、ポップミュージックの世界にも通じる。僕たちがベンジーや民生に心震わせた「イカ天」時代に比べ、今のミュージシャンたちはおしなべて、演奏技術が高い。それも圧倒的に。
これは要するに、バンドがポピュラーになり、多くの人が関わることによって生まれた「集合知」によって、さまざまなメソッドが出来上がり、往時の人たちが独学で苦労してきたハードルを、楽に乗り越えられるようになったがゆえの状態である。
技術の向上が、近年の作品の傾向に何をもたらしたのか。それらはかつての潮流とどこが異なっているのか。
ここらへんに関しては、いつかもっと詳しく分析してみたいが、とにかく、そんな図式がナイフメイキングの世界にも起こっている、と僕は感じているのだ。
■今年の選考もすげー楽しかったんすよ。
そんな技術的平均点の向上による助けもあり、僕のような立ち位置の人間は、デザインやアイデアといった部分に集中して目を向けられるのである。
それにしても、今年のコンテストの選考は、ひときわ楽しかった。
以前は、とある場所に皆が集まって選考していたのだが、ここ2年は、コロナ禍ゆえオンラインでの選考となっている。ただし、選考期間中は、ジュニア氏が店長を務める「マトリックス・アイダ」というお店で、手にとってみられるようにもなっている。
今年も9月のある期間、見学可能ですよ、というお知らせがきた。
せっかくの機会である。現物を見ない手はない。
幸い東京での仕事もいくつか溜まっていたので、万象繰り合わせて、西日本にある棲家から、薄っぺらのボストンバッグ抱えて、北へ北へ向かったのである。
今回は、幸運もあった。
上京前に、審査員のトオル氏から連絡があって、ちょうど僕が見にいく日に、氏もいることが判明したのである。
■世界的作家と一緒になって選考できるなんて!!
トオル氏は、折りたたみのナイフ(フォールディングナイフと呼ぶ)で、世界的に知られている作家である。同じ審査員でも幹部クラス。万年ヒラの僕とは比べ物にならない「目」の良さを持っている。そんな氏と一緒に応募作を見ることができるなんて、幸運以外の何者でもない。
「サイトで大体決めてきたんだけど、やっぱり現物を見ておきたいじゃない」
そう語るトオル氏はとにかく、真面目である。ジュニア氏が作った特設サイトに上げられた、応募作40点のプロフィールを全てプリントアウトして、何やら所見を書き込んだりしているのである。
ボストンバッグの中身は替えの下着のみ。要するに、身ひとつでやってきた僕も、恐縮しつつ、一点ずつ手にとっていく。
最初に手にとったときこそ、そのナイフとの「相性」がわかる瞬間である。
重さやバランス、握り心地、振った時の感触。それらがしっくりくるかどうか。
おおむね、その感覚は、実際にある程度の期間使ってみても、変わることがない。こと刃物において、第一印象は極めて重要である。
しっくりこなければ、プライベートで来ているんだったら、静かに戻せばいいだけの話だ。だが、今回はコンテストである。
選考は、自分との相性で決めるわけにはいかない。
違和感は、用途の違いであるケースが多い。小型のナイフを好む僕は、枝を払うような大型のナイフを重いと感じがちだし、そういったナイフの中にはグローブをして持つことを想定して作られたものも多い。
一時が万事。「好み」をフックにした上で、手や目を通して伝わってくるものを、丁寧に選り分けて、その作品が、どのような意図を持って作られ、その意図がどの程度達成できているのかを判断していくのである。
■新しいもの、常識を覆すものに価値を見出す。
もちろん、大した目を持っていないのは、百も承知だが、選考において、一個だけ、心がけていることがある。
「新しいものを、それを理由に除外しない」ということである。
応募作の中には、必ず何点か、ナイフのセオリーを外したような作品がある。
見たことのないような機構やデザイン。
それらは、一見すると、珍奇であり、企画倒れのように感じる。
除外するのは、簡単である。
だが、それらを仔細に見ていくと、必ず「意図」が滲み出てくる。そして、それらは時として、ナイフの「常識」にとらわれた僕に、周りを見渡す余裕をもたらしてくれる。
よくできた、ウェルダンな作品も素晴らしいが、僕は、自らが知らず知らず作り上げていた固定観念を、軽やかに超えたものに出会うと、猛烈に嬉しくなってしまうのだ。
そんな胸のすくような、邂逅は滅多にない。本当に奇跡のようなものだ。
だが、コンテストでは、その奇跡に出会える確率が、グンと上がる。
今回も、あった。
「ね、ね。これってすごくないですか。見たことないラインじゃないですか」
「うん、俺も気になっていたんだ」
「ここに指置くと、しっくりくるんですよね」
「よく考えてあるんだよな」
「こういう作品がくると嬉しくなっちゃいますよね」
いつしかジュニア氏も加わって、こんな話をひたすら続けていくのである。疲れる。疲れるけれど、楽しくないわけがない。
■「気持ち」を伝えるための技術と情熱。
「俺は、もう大体決めたかな」
トオル氏の言葉で我に返ると、ずいぶん時間が経っていたことに気がついた。そろそろ集中力も切れる頃だ。けりをつけた方がいいだろう。
「僕も決めました。大賞は、これかな~って」
「俺も、あれかな〜って」
大賞などは投票で決まるので、公正を期すため、その場でどれかは言わない。だが、いたずらに長く編集者をやってきたゆえの「読み」で、大賞がどれになるか、ほぼ毎年当ててきた僕である。今年も、トオル氏の選考はもとより、最終的にどの応募作が何を受賞するか、なんとなく見えてきた気がした。
その上で、僕は、今年は、あえて大賞になりそうな作品を外して「好み」をより重視した作品を選ぶことにした。
僕の役割は、先ほど書いたように、技術面ではなく、境界を突破するような「インパクト」や「可能性」といった面の評価にある、と考えてのことである。
「で、大賞、何に決めました?」
「教えるわけないじゃない。まだ投票してないんだから」
帰りの電車の中で、トオル氏に軽口を叩きながら、今年もいい作品が見ることができたなーとしみじみしていた。
やっぱり、ナイフを作ってみたい、あるいは、こう使ってもらいたい、という気持ちが伝わってくるものがあると、それだけで、心持ちがふわっと温かくなる。そして、何か新しいものが生まれる胎動のようなものを感じ取れるんじゃないかと、ひたすら眺めたくなる。
別に上手じゃなくてもいい。ただ、「技術」や「センス」が、作り手の「思い」を正確に伝えているか、効果的に表現しているか、が肝要だ。
ブリストルの若者たちが、その熱い思いを表現すべく、楽器とか覚える前に、とりあえず、リズムマシーンやアナログプレーヤーを使って曲を流していたところから、新たなカルチャーが生まれ、マッシヴ・アタックやバンクシーといった、それまでの世界を塗り替えてしまうようなアーティストたちが出てきた時のようなものだ。
彼らは決して「上手」じゃなかった。でも、思いを伝えるためには、一才妥協することのない「情熱」があった(ここらへん、ものすごくざっくりしているので、異論があるのは認めます、、、)。
漠然としているが、僕の「票を入れるかどうか」の基準は「それ」の有無である。
■続けることで見えてくるものは、多分、ある。
繰り返しになるが、はじめに気持ちありきである。
そして、一度、その気持ちを持ったのであれば、願わくば、ずっと、ずっと作り続けてもらいたいな、と思うのである。
プロを目指してもいいし、ホビーとして楽しみ続けるのもいい。どちらの分野にも、先人たちがいるので、自分の「将来像」もイメージしやすいと思う。
何もナイフメイキングに限ったことではないが、続けることで見えてくるものは必ずある。
最初の情熱はいつまでも続くものではないし、初期に固定観念と感じていたものが、実は時間によって磨かれた真理だった、ということも多い。
ある程度の期間やっていくと、どんな分野でも、どうにも思い通りにいかなくなって、途方に暮れる時が必ずくる(というか僕は、そればっかだ)。
でも、自分がいる世界の醍醐味を感じられるかどうかの勝負は、途方に暮れてからこそ始まるんじゃないかな、と思うのだ。
そして、ナイフ、ひいては刃物づくりの世界は、皆さんが、どれだけ時間をかけても大丈夫な「深み」を持っている、とも思うのだ。
四半世紀にわたって、もそもそ刃物専門編集者をやってきている僕が、唯一、ほんの少しだけ声を大きめにして言えることである、ような気がする。
トオル氏と別れてからも、そんなことを考えながら、しばらく余韻に浸っていた。
ちなみに今回の受賞作と応募作は、以下の『特設サイト』で見ることができる。
上段の僕の予想が当たっているかどうか、結果にどう反映されたか、は内緒だが、いずれの作品も何らかの賞を受賞してもおかしくない、ハイレベルなコンテストだったことは間違いなかった。
■イカしたナイフの本、目白押しで出版だってよ。
最後にもう一回、宣伝させていただきたい。
以前、企画&編集をしたムック『アウトドアナイフの作り方』が、ありがたいことに完売となった。
そこで、内容をアップデートした改訂版、『アウトドアナイフの作り方 改訂版』を2022年の12/19に発売することとなった。(注:リンク先は旧作です)
詳細が決まり次第、また紹介させていただきたい。
また、今回のナイフコンテストの受賞作は、来年(2023年)3月に発行予定の『ナイフダイジェスト2023』で紹介させていただく心づもりである。(注:リンク先は2022年版です)
こちらも詳細が決まり次第、また紹介させていただきたい。