世界の色が変わったときの感動を忘れないで。
塾講師のお客さんは、自身のお子さんを塾には通わせていないそうだ。
なぜかといえば、塾なんて行かなくても真面目にやってりゃ受験は突破できる、とのこと。
至極もっともである。
そして、塾に行くだけで満足しちゃってる子供も多いとのこと。
確かに。
私も中学時代、同級生全員塾に通っていて、通ってないのは私だけだったけど、
成績はずっとトップクラスで、塾って一体何の意味があるんだろうと疑問に思っていた。
馬鹿にしているみたいになっちゃうので、口には出さなかったけど。
きっと、親も子供も、通ってるだけで満足しちゃってたんだろうなと想像する。
大人になってからは、アルバイトで勉強嫌いの小学生の勉強を複数見たことがあるけど、
そろばん習ってるらしい子の算数が全然ダメで、
親はそろばん習わせておけば何とかなると思っていそうなのが透けて見えた。
他の子も、教えて欲しいのは「答え」だけで、考え方を知ろうとしている子は少なかった。
勉強がノルマをこなすだけのものになってしまっていた。
子供は本来、勉強が好きなはずだ。
赤ん坊から幼児期にかけて、積極的になんだって学んで吸収している。
それが小学生になって急に出来なくなるのは何故?
それは親の責任だと私は思っている。
しかしその親もまた子供の頃に、勉強を苦痛なものにさせられてしまったんだと思う。
子供が理解するまで教えるのは本当に骨の折れる作業だが、
わかったときや出来たときの感動を味わえば、勉強が苦痛にはならないんじゃないかな。
私は体育が大嫌いな子供だったけど、
それこそ走るときの体の動かし方とか、逆上がりするために鍛えるべき筋肉と筋トレの仕方とか、
ちゃんと教えてもらえたら、こんなに嫌いにならなかったと思う。
ただ走らされて、ただ鉄棒に向かわされて、ただ痛い思いをして、出来ない自分が惨めだった。
運動嫌いの私でも、唯一バドミントンだけは、たまたま打ち返せたのが嬉しくて、ハマって練習したものだもん。
勉強だって一緒だと思うんだ。
学ぶ感動があれば、塾じゃなくても、どこでも良い。
どんな子供たちにも、学ぶ喜びを忘れないでいて欲しいと願う。
そのためには、大人にも思い出してもらわなければいけない。
理解し、出来たときの、世界の色が変わった瞬間のことを。