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同僚の仕事のミスを受け入れられなかった、あの頃の私へ



「仕事で失敗してしまうのは、私の人格がいけないからだと思ってました」

今、私が経営する「soar」というチームの会議で、ある日メンバーが泣きながらこんなことを言った。

「以前の職場では失敗をしたら激しく怒られて、自分の人格を否定をされることが当たり前。いつのまにか仕事をするのが怖くて仕方なくなって、できない自分や弱い自分を、職場では絶対に見せてはいけないと思うようになりました。失敗は失敗のまま。私の人格がいけないから。それで終わっていました」

そのメンバーは何かあるたびに尊厳を傷つけられるような言葉を言われ、自信を失ったまま過ごしていたという。

「これで大丈夫ですか?」

私に仕事での確認をするたびに、なぜ怯えた目で何度もそう聞くのか。その理由がわかった気がした。ひとしきり語ったあと、そのメンバーは安心したように笑って言った。

「でもここでは、仕事で失敗したとしても人格は否定しない。失敗には改善の可能性があるから、共有しあってみんなでよくしていこう、っていう前向きな優しさがあるんです。私を私として受け入れてくれる」

嬉しいなと思うと同時に、私はある昔の経験を思い出した。今の私があるのは、きっとあの出来事のおかげだから。


ミスばかりの同僚を受け入れられなかった会社員時代


私は10年前、会社員としてある組織で働いていた。業務量も多く、常に人数はぎりぎり。当時はより一層業務が多忙を極めていて、私を含め、働くひとたちはみんな毎日気を張って仕事をしていたように思う。

一緒に働くスタッフの中に、Kさんという人がいた。

私はKさんと連携して仕事を進めることが多かったのだが、Kさんはいつも必ず同じミスをした。もちろん失敗があれば、一緒に組んでいる私にも責任が出てきてしまう。改善してほしいと何度も説明をしても、Kさんはおろおろとした仕草をするばかりで、その言葉が届いているのかわからない。ミスは直ることがなく、何度も繰り返される。

そして業務に日々追われていた私は、いつしかKさんと仕事をすること、顔を合わせることすらつらくなっていた。

そんなある日、遅番でバスもなくなり、同僚とタクシーで帰ることになり玄関に向かった。すると、「おつかれさま」と守衛さんが笑顔で声をかけてくれた。

私は、いつでもニコニコとしていて穏やかなその守衛さんが大好きだった。誰に対しても分け隔てなく優しく、年齢が60代だったこともあって、まるで自分のおじいちゃんのように慕っていた。

いつもと変わらない声掛けに、私は笑顔で「おつかれさまです」と応え、タクシーが到着するのを待った。

ただ、そのときの私は、長時間の労働で疲れていたことも相まって、ミスを繰り返すKさんに対してのイライラが沸点に達していた。同僚と仕事の話をしていると、いつのまにか私の口からはKさんに対する愚痴が溢れ出した。

「あの人はいつも同じ失敗をするし、直らない。どうしてあの人が働き続けているのだろう。もう失敗したくないし、一緒に働きたくない」

するとそれを横で聞いていた、守衛さんが突然、声を荒げて大声で言った。

「一緒に働いてる人のことを、そんな風に言うもんじゃない!」

いつも優しい守衛さんの顔は、怒りでこわばっていた。私はそんな守衛さんを見たのが初めてだったのでとても驚き、言葉を失ってしまった。

起こったことを少しずつ把握し始めると同時に、「どうして?」という気持ちがふつふつと沸いてきた。

確かに私はひどいことを言ったかもしれない。でも、私は頑張っているのに、あの人は頑張っていない。私は努力をしているのに、あの人は努力していない。だから失敗するんだ。私だってつらい。

ただただ、悔しさがこみ上げてきて、小さな声で「すみません」と言って私はその場を去った。

それ以降も守衛さんは、今までと変わらず優しく接してくれたし、私も何もなかったように、これまでどおりに挨拶をしていた。

でもあの日の出来事はずっと消化できず、職場を辞めてからもずっと、しこりのように胸に残り続けた。


その人の特性を知ること、背景を想像すること


しこりがとれたのは、それから数年が経過してからのことだった。

たまたまイベントで知り合った友人が、自分には発達障害があると打ち明けてくれたのがきっかけである。

その子は、「どうしても数が数えられない」という特性を持っていた。ものすごく明るく素敵な子なので、バイトの面接は合格する。だけど、その特性によってミスをしてしまい、どんなバイトをしてもクビになってしまうというのだ。

「でも私、夢があるんだ。だからお金を稼いで頑張りたいんだよね」

不安と希望の入り混じったその子の表情を見て、「応援したい。だから私も、発達障害について知って、自分にできることを考えてみよう」という気持ちになった。

調べてみると発達障害は、生まれつきの脳機能の発達のかたよりによる障害のことだとわかった。得意・不得意の凸凹(でこぼこ)があり、その人が過ごす環境や周囲の人とのかかわりのミスマッチから、社会生活に困難が発生してしまう場合が多い。

ただ、発達障害のある人のインタビューなどを読む中で、周囲の理解を得て、自身の特性を活かして生きている人がたくさんいることも知った。

人にはそれぞれ違いがあって、できることできないこと、向いていることいないことがある。でも、環境や周囲の人の関わりによって、その人の生きづらさを和らげたり、その人の持つよさを活かすことはできる。そんな当たり前のことが、やっとわかった。

私は、Kさんのことを思い出した。

Kさんが発達障害であったかどうかはわからない。でも、あの繰り返していた同じ失敗は、もしかしたらKさんが「特性によってできなかったこと」だったのかもしれない。

不真面目だったわけでも、努力をしていなかったわけでもない。「やりたくてもできなかった」のかもしれない、と。

未熟だった私は、あの頃、仕事と人格を結びつけてしまっていた。仕事の出来ばかりを気にして、その人自身に目を向け、置かれた境遇や気持ちを想像することができなかった。

もしあのとき私が、共に働く一人の大切な仲間としてサポーティブな姿勢でいたとしたら、もっと気遣いができたのではないだろうか。仕事の仕組みを変えるとか、適性を見て役割を変えるとか、何かできたのではないだろうか。

振り返ればKさんは、いつも暗い表情をしていた。決められたルールに従って、苦手なことをしなければいけなくて、苦しかったのかもしれない。

今ならば、あの状況はKさんの努力によってしか変えられないものではなく、ちょっとした周囲の配慮や優しさでよりよく変えることができたのかもしれないとわかる。

思えば自分も、失敗があったとき、私が能力の足りない人間だからだと自分の人格否定に陥ったことがある。だから努力して努力して、それをカバーしなければいけないのだと。

人は自分に対してしたことを、他人に対してもしてしまう。その連鎖に自分もハマってしまっていたのだろうなと、今になって感じる。

守衛さんが言いたかったのは、「一緒に働いているひとを否定せず、仲間として思いやること」の大切さだったのだろう。

Kさん、ごめんなさい。
守衛さん、ありがとう。

それに気づいたときに溢れた後悔と感謝は、今も私の胸に強く残っている。

弱さを共有して、一緒に乗り越える


私は今、リーダーとしてチームをつくっていくなかで、働くメンバーによく伝えていることがある。

それは、「大前提として“あなた”という存在をとても大切に思っている。だから仕事へのフィードバックはあなたの人格を否定するものではない」ということ。だから、失敗が起こったとしても、責めるのではなく、しっかり対話をしてその人の背景を理解しよう、ということ。

「この失敗をしたとき、どんなことを考えていたのかな?」
「何か苦手だなと感じることはあった?」

同じ失敗を繰り返すとき、ルールが守られないとき、なぜそうなってしまうのかを一緒に話す。仕組みに問題があるときも多いが、その人が過去の経験による思考の癖があったり、恐れを持っていたり、特性的にどうしてもするのが難しいことがわかったりすることもある。

もちろん仕事としてしっかり成果は出さなければいけないので、そこで仕事の適性が合わず組織を離れるという決断に至る場合もある。だが、周囲がその人の特性や弱さを理解し、チームで状況の改善に向けて動くと、しっかりその人のよさが活かされるようになることも多い。

また、私たちには「弱さの共有」という文化がある。これは北海道にある福祉施設「べてるの家」の理念から大きく影響を受けたもの。自分の弱さを周囲に開き、自分の言葉で伝える。きっとその弱さには、人ともっと深くわかり合える可能性や、問題解決への光が隠されているから。

これまで会社や学校で自己開示できる環境になかったのか、最初は「自分の弱さを見せちゃいけない」と考えているメンバーも多い。soarに来て初めて、できないことがあるのは自分の人格がいけないからじゃない、だから素直に自分のことを言ってみようと思った、という声がよく聞かれる。

自分のことを言葉にして伝える練習を繰り返すなかで、メンバーたちが少しずつ自分を受け入れ、自信をつけていく姿はとても頼もしく美しい。表情やまとう空気がポジティブに変わっていく姿を見ると、本当にこの場所をつくってよかったなと思える。


相手の内面や置かれた境遇を想像し、支え合える社会に


メンバーにとって、soarが安心して自分を語れる場になっているという嬉しさと同時に、この社会に人のありのままを受け入れようとする居場所は、あまりにも少ないのだということも思い知る。

だってKさんと同じように、私も以前の職場では自分の話なんてしなかったのだから。

人の可能性が活かされるどうかは、その環境や周囲の関わりによって大きく変わる。

世の中にある困難や、それによって生まれる人の特性を、全て知識としてインプットすることは難しいかもしれない。でも、相手の内面や置かれた境遇に関心を持って対話することや、相手の気持ちを想像することはきっとできるだろう。

言い換えれば、「人に本当に関心を持つ」ということ。

相手に本当に関心を持ち、理解しようとすること。その人にできないことがあれば、それを責めるのではなく、みんなでそれを補い合って“なんとかしよう”と試みること。その人が自分らしくいられることを、本気で願うこと。

そんなあり方をする人が、チームが増えれば、きっと社会はもっと優しくなると思う。

まずは私自身から、そして自分の足元から、世の中に安心して自分らしくいられる場を少しずつ広げていけたらいいなと思う。


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この記事は、ソーシャルイノベーションフォーラム×noteの「#こんな社会だったらいいな」コンテストの参考作品として書かせていただきました。
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工藤 瑞穂
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