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人生のレールから脱線した

休職して、丁度1か月が経つ。
ゆっくり休めるかというとそれほどでもなく、病院に通ったり会社と面談したり、休職に関わる保険や税金の勉強をして忙しい日々を送っている。何より今後の人生のことを考えだすと、考える事が多すぎてあっという間に時間が過ぎてしまっていた。

「レールを敷かれた人生」という言葉があるが、今振り返ると自分の生き方は大体そのようなものだったと感じる。何となく入れそうな大学に入り、大学院では仲の良い友達と同じ研究室にした。就活は難航しており、ようやく内定を出してくれた会社に飛びついた。誰にレールを敷かれたわけでもないが、その場その時で何となく楽な方に、無難な方に流れてきた、平凡な人生だ。そんなレールの上を走りながら、「本当にこのままで良いのだろうか?でも、まぁ、楽ではあるし。」などと考えていた矢先、小石に躓いて脱線してしまったわけだ。

今は地べたに寝転んで心身を癒すことに努めているわけだが、このままずっと寝ているわけにもいかない。会社からは「躓いた小石は取り除くからまたレールに乗ってくれ」と言われている。「このレールが気に入らないなら路線変更してもいい」とも言われた。だがよくよく考えてみれば、絶対にレールに乗らなくてはいけない決まりはないのだ。自転車を買ってもいいし、なんなら歩いて行ってもいい。どこを目指せと言われているわけでもないし、どこへ行こうが最終的に動かなくなることは決まっている。

しかしこの敷かれたレール、恐ろしいほど魅力的なのである。今回のように稀に脱線することもあるかもしれないが、基本的には「適当な良い感じの場所」へ連れて行ってくれる。レールから降りて自分で歩くというのはとても面白く素晴らしいと思えるが、何もかも自分で決め自分で行動し自分で責任を持つ、というのは非常に大変なことだ。

私はこのレールが怖い。甘い言葉で囁いてくる。「安心しなよ」と。「悪いようにはしないよ」と。
私は自分が怖い。ずっと伸びているレールは安心もするが、代わりに今乗ると2度と降りられない気がする。にも関わらずこのレールに引き寄せられてしまっている。
私はこの誘惑に抗えるのだろうか。抗ったとして、それは幸福なのだろうか。抗えなかったとして、それは不幸なのだろうか。
今、私は嫌になるほど自由だ。

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