漂流郵便局と宛て先がない手紙。
瀬戸内海の粟島に、漂流郵便局という名前の郵便局がある。
宛がない。誰に届けていいかわからない。
送りたい人はもはやいない。
そういう漂わせるしかないような、
誰かに宛てた手紙を、そっと受け取ってくれる。そういう郵便局である。
といっても実際に日本郵政が経営している郵便局ではない。 粟島の使われなくなった郵便局を、久保田沙耶さんが瀬戸内国際芸術祭2013でプロジェクト型アート作品として使用した、そういう場所だ。
2013の芸術祭が終わった後も、漂流郵便局はそのままそこに姿を残した。
そこには多くのハガキが送られ、また決まった日には、漂流郵便局を訪れた人はその漂着した手紙を見ることができる。海岸でふと目に留まった貝殻やガラス片を手に取るように、訪れた人たちは漂着した手紙に触れることができる。
前回の瀬戸内芸術祭の時、
以前から訪ねて見たかったそこへ、私は足を運んだ。
銀色のケースに無造作に納められたハガキたち。
なんとなく、気になったものを手に取る。
未来への自分への手紙、今付き合っている人への手紙、亡くなったお父さん宛のものであろう手紙など。
普通なら読めない、誰かが誰かに宛てた手紙。
誰かにとって意味のあったものかもしれないもの。
けれどその手を離れたその破片である漂着物。
それが意味のあるものか。私にとって意味のあるものかどうか。
それはビーチコーミングと同じで、拾ってみないとわからない。
私に宛てたものだ、そう思えたものを
手に取ったそれを持ち帰ることもできるというのも、また面白い。
*
久保田さんがこのプロジェクトについてまとめ、いくつかの手紙を紹介した『漂流郵便局: 届け先のわからない手紙、預かります 単行本 – 2015/2/2』がある。
この本は久保田さんが粟島で漂流郵便局というプロジェクトをやるまでについてとプロジェクトの中に内包した意図と、漂着した手紙の何枚かが紹介してある。
もともとこの粟島は、その地形から、浜辺に様々なものが漂着しやすい島だという。その粟島に、「言葉の、手紙の、漂流先」として『漂流郵便局』が作られる。島のあり方と一致したアートのあり方もとても魅力的だ。
漂流郵便局とは
漂流郵便局(旧粟島郵便局) は、
瀬戸内にあるスクリュー型の小さな島、
粟島の丁度おへその部分に在ります。
ここにはかつてたくさんの物、事、人が流れ着きました。
こちらは、届け先の分からない手紙を受け付ける郵便局であり、
「漂流郵便局留め」という形で、いつか宛先不明の存在に届くまで
漂流私書箱に手紙を漂わせてお預かり致します。
過去/ 現在/ 未来
もの/ こと/ ひと
何宛でも受け付けます。
いつかのどこかのだれか宛の手紙が
いつかここにやってくるあなたに流れ着く。
漂流郵便局員
※「漂流郵便局」はアート作品であり、日本郵便との関連はありません。
(引用:サイトより http://missing-post-office.com)
誰かに言いたいけど、誰にも言いたくない。
あなたに言いたいけど、わかってくれるあなたはもういない。
死んでしまったあなたに手紙を書けたら。
書き殴ったこの言葉を手放せたら。
そういう、浮遊した言葉を「送る先」を求めていた時期があった。
昔の人にならって、瓶に手紙を入れて海に流してみようか。
海は広いから、届くかもしれない。
漂流した先は数年後の未来かもしれないし、ひょっとしたら何かの力が働いて、過去かもしれない。
そういう空想と、海は、よく似合い、
それと、このアートはよく似合う。
誰も、ありえないだなんて、言えないのだ。
漂流させたものが大切な誰かのところに届くということを。
もしかしたら、あなたが拾ってくれるかもしれない。
そういう日を信じさせてくれる。
もういない、やさしかった頃のお父さんに言いたい思い。
先に逝った誰かに送る手紙。伝えられない愛の手紙。
昔遊んでたいつの間にか捨てられた人形に、伝えたいメッセージ。
こちらは、届け先の分からない手紙を受け付ける郵便局であり、
「漂流郵便局留め」という形で、いつか宛先不明の存在に届くまで
漂流私書箱に手紙を漂わせてお預かり致します。
過去/ 現在/ 未来
もの/ こと/ ひと
何宛でも受け付けます。
漂流郵便局は、共に
誰かがその言葉を拾い上げてくれるのを待っていてくれる。
了
果ノ子
(ハガキを出したい方、郵便局に読みに行きたい方はサイトを参考に)
(一応アート作品という形で、開局されている郵便局であり、手紙の著作権等は譲渡される点は注意。ただ、ロマンのあるアートに参加するという意味でも面白い作品。)
今年も、すでにいない兄に一通ハガキを書いた。
私の兄に、もしくは兄だけど、兄ではない誰かに
思いが届きますように。
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