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2025年まで地球があると思わなかった。

A Happy New Year🎉
新年あけましておめでとうございます。

最近は普通にVaundyのこの曲が好きなおじさんです。

昭和58年生まれの私としましては、2025年という字面がもうふざけているというか、ギャグのように感じてしまうんですよね。子どもの頃はノストラダムスの大予言で1999年に地球は滅亡すると思っていました。

その時、妹はまだ小学3年生。志なかばで逝くのかと母親に「可哀想だ、どうすればいい?」と泣いて相談したのが懐かしく感じます。両親は「まあ、大丈夫じゃない?」と言っていて、心の中で「…みんな馬鹿だー!」と怒りと失望に震えたのが昨日のことのように思い出され、恥ずかしさに未だに身慄いしますね。

幼少期

そしてその後もし生き延びても、人口爆発・食糧危機・自然破壊・相次ぐ内戦・世界大戦でそんなに地球は持たないと思っていたので、まさか変わらぬ日常が延々と続くとは思ってもみなかったです。反面、奇跡が起きれば核融合発電などで安全に莫大なエネルギーを供給でき、アーコロジーがたち並ぶ未来を想像していましたが、まだまだだな。(世界情勢は相変わらず深刻ですが、あくまで自身の日常レベルの話です。)

ぼくのかんがえたみらい(シムシティ脳)

とりあえず昨年は色々あったので、メモ程度につらつらと。

愛をありがとう。

去る9月9日、最愛の祖母が亡くなった。享年94。

ギリギリまで割と元気でした。

実際のところは本人しか知る由もないが、非常に良い豊かな人生を過ごせたのではないだろうか。人間としてどう生きてきたのかをそこまで深く知らないし、私が彼女の人生を評価する立場でもないのであくまで希望を込めて、「良い人生だった」と言っておく。

彼女の名前は好(よし)。現代にはなかなかいないだろうが、とても潔い良い名前だ。女学校時代は籠球(バスケ)部に入り、小柄ながらよく遠くからシュートを決めたそうである(本人談)。

戦後ちょくちょくダンスパーティーに行きタダ酒を飲みつつ誘ってくる米兵をまいて終列車に乗ったこと、地元の彼氏を捨て横須賀に出て祖父と出会い、49歳で死別しそれから未亡人ライフを満喫したと面白おかしく語るなど、なかなか変わっている祖母だった。

スウィングジャズと加山雄三、マンドリンの合奏を愛するなど音楽も好きだった彼女。テレビを見てこの"言い合い"面白いワ、と言うから何のことやら?と見てみたらラップバトルだったのは思い出すだけで笑える。

サンドイッチを食べ、死の直前に母に「お昼はうどんが食べたいね」と言って目を離したすきに事切れたらしい。

死ぬ2日前にビールを飲んだり、お酒が好きだった彼女。戦後の食うや食わずの時代を経てきた人間にとって、最期まで食事のことを考えられる現代の豊かさはその時点で天国だったかもしれない。

よくある「田舎に住んでいて年に一度会うかどうかな存在、ただただ孫に甘いおばあちゃん」ではなく、私がこの世に生を受けてから当たり前のようにそばにいたよくわからない昔のことを語る特殊な存在であった。ある時にはお小遣いをくれる「出資者」であり、ある時には母の小言の雨から身を隠す「防空壕」でもあった。孫って存在はつくづく都合の良い生き物であると実感した、もっと何かできることあっただろうな。

おばあちゃんと呼ばれるのを嫌い孫にはママさんと呼ばせる謎の拘りを見せた愛する「ママさん」、また会う日まで。

I'm Grandma's boy.

VJに向き合う姿勢がリセットされた。

昨年は1月にVJをしたのを最後に、ほぼ開店休業状態となった初めての年だった。誘われても断ることもあり、やめると宣言するつもりもないがこうやって縮小していくのだろうなーなんて思っていたのだが———10月に転機が訪れた。若者たちからの突然のオファーにより、僕は再びあの喧騒に身を戻すことになったのだった。

わかもの

彼らが作るパーティは、かかる音楽、ファッションなど細部の形は違えど自分が過ごした10代20代と同じようなエナジーに満ち溢れていて、本当に心が躍った。若者の不安定・不条理な格好よさに触れることができてとても満足だし、あんなに評価をしてくれるとは正直思わなかった。

わかもの
わかもの

世間でいう"VJ"と私の"VJ観"は大きく隔たりがある(と思っている)のだが、同じような価値観の人間はいつの時代もどの世代にもいるものだと実感できてとても充実した1年だった。
フロアをよりよく魅せられるようになりたいと久しぶりに思ったので、毎年言っているけど来年はアップデートしたいと考えている。

トップVJさんたちが周りにいて恐縮だけど、こんなことを言っている僕を指差して笑って待っていてくださいな。自分はとても小さな存在であることを実感したよ。何もせずにSNSだけ見てると、とっても卑屈な気分になっちゃうよねえ。

Fulie Till I Die

2023年の「開幕戦のメンバー全然わからない事件」から全然勝てず、J1からJ2に堕ちて、シーズン前は気持ちが本当に離れていくのを感じた。

クラブメンバーとしては3,4年目。誕生日から半年以上遅れたメッセージカード、シーズン後にもらおうと思っていて結局もらえなかった(毎年くるメールもなければ連絡をしても返事もなかった)サイン入りカードなど特典の不備に加えて、マルチクラブオーナーシップへの不信感が募った。
"若者の夢の海外移籍"を謳ってクラファンやサブスクでフリエサポの小銭を巻き上げてまでやる意味がわからない。今季は2部で最下位。 1922年創設のチーム、フリエのBチームではないのに扱いがそんなふうに見えてしまうから僕はこの運営スタイルがすごく嫌いだ。そんなこんなで今年はすごく遠のいた気持ちで、数年ぶりに試合に行かない日々が続いた。

そしたらGWくらいから連勝だもんなあ、本当に(いい意味で)腹が立つよね。

立役者・福森
髙橋利樹(残ってほしかった!)


結局仙台にも行ったし、強いもんだから愛は逆に深まっちゃう。現金なものである。

仙台へ。ここが地獄の始まりとも知らずに…。


ゴール裏の人たちがやっているフットボールパンクバンド、MADVOICEの皆様とも親しくしていただいて、結局何年も応援する中で一番濃い1年となった。

Fulie Skinheads
Tifosiyokohama1992
ゴール裏仲間(私はライトサポ)
いくぜJ1
このメンバーは永遠。

ラブロマンス・めくるめく愛憎の日々…は特になかったけれど、涙あり、笑いあり、出会いや別れを繰り返す1年でした。そんなに色々はなかったね、寂しいものだ。体調不良も長く続いたが、クリスマス後に厄年だったことを知って驚愕したね…。
とりあえず、この世界にとって小さな存在の私は、変わらずほどよく隣人を愛し、音楽とVJに向き合って生きていきます。もう42歳の歳やでボク、先はもうちょっと。みんな適度に今年もよろしくね。

あ。
音楽について全然触れていなかったので、すごく最近好きな曲を貼っておきます↓

作者近影。明日死んだらこれを遺影にお願いします。

H


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