ペットの「同伴搭乗」問題から考える批判論
令和6年1月2日に起きた日本航空516便衝突炎上事故に関連して、ペットの「同伴搭乗」についての議論が交わされている。件の事故で2匹のペットが助からなかった。
ペットを貨物扱いにしており、この事故だけでなく熱中症などで死亡するケースもあるということで、ペットの同伴搭乗を求める声が大きくなっている。
しかし、現在同伴サービスを行っているスターフライヤーにおいても、緊急時にペットを持ち出すことはできないと明記されており、このような事故があった際には助けることはできない。
こういうことから、ペットの同伴搭乗を求めることに対する批判も多く聞ける。
「緊急時にペットを助けることで助からない人が増える」
「飛行機以外の交通機関でも同伴サービスを行っているのだからそちらを利用すればいい」
これらは至極真っ当な意見であると思う。
ただ、すごく現実的で将来性のない意見だとも思う。つまり、「『現状』はそうであるからペットの同伴搭乗なんて不可能だよね」ということしか言っていない。では「未来」はどうなの?
それは誰にもわからない。しかし、声を上げることでそこに需要が生まれ、技術革新や法律改正につながる可能性があるという点は見逃してはならない。
この問題は、ペットの同伴搭乗を望む人たちの多くがおそらく「ペットがかわいそう」という感情論で突き進んでいることであり、それが批判を増幅させている気がする。(さらにややこしいのがその人たちが本当にペットを飼っているかというところもある)
そのようなアニマルウェルフェアの観点で議論を進めると、抜け出せない泥沼に踏み込んでしまうので、踏み込まないように注意して考えてみる。
そうすると、考えることは単純であり、ペットの同伴搭乗を望む(なおかつ実装された場合に利用したい)人たちが増えれば、航空関係者はその人たちの需要に応えるべく、技術革新を模索するであろうし、航空法を変えるような働きかけもするであろう。これが実現されればよりよい未来になるはずである。
「現実的ではないよね」と突っぱねることもできるが「困難だけどできるにはどうしたらいいのか」と議論する方がはるかに建設的である。