銚子街道十九里半#10
─椎柴から銚子まで─
利根川土手に登り、東に歩き出した。
布佐から松戸までを歩く鮮魚街道の旅は三度で力尽きた。今度は鮮魚が高瀬舟で運ばれたこの利根川に沿って、布佐から銚子まで下ろうと思う。つまり、ここから利根川の水が太平洋に流れ出るまでの道程を進むのだ。この道を銚子街道(利根水郷ライン・国道356号線)と呼ぶらしい。
布佐河岸に標識が立っている。海まで76 .00キロメートル =19.352 里。約十九里。
*
7月中旬3連休初日。
寝坊した。7時半過ぎに家を出る。
今日は津田沼駅までバスである。折り畳み自転車を駅まで運ぶからだ。そう、今回から思い切って新しい撮影システムを試みるつもりである。
A-BIKEに乗りながら
スナップ写真を撮る。
この〝写真スナップAシステム〟が成功すれば、まるで機動戦士ガンダムに出てくるGアーマーシステムのように飛躍的に私の作戦行動範囲が広がり、より沢山の傑作写真が生まれることだろう。
ちなみにこの〝A-BIKE〟とはなんぞやと思ったかたもいらっしゃるだろう。要するに折り畳み自転車である。ただし、折り畳むとめちゃくちゃコンパクトになる。それはいまだかつて見たことのない小ささである。持ち込んだまんま、しれっと電車で普通に膝の前に置いて座れるし、輪行移動に楽な事この上ない。それこそスーツケースより小さいので、自転車を電車に持ち込んでまっせ感がないのだ。
JR津田沼駅に着いたが20分も待ち時間があるので、一旦総武線快速で千葉駅まで移動することにした。なにせ今日の関東地方は記録的な猛暑である。成田行きの電車が来るまで、陽炎が見える灼熱のホームに佇むよりは、目の前に来た千葉行きのギンギンでガラガラな冷房車に乗りたくなるのは当然のことだろう。千葉駅に着いてモタモタと乗り換えていたら成田行きの電車がすぐに来た。一応乗客と自分の自転車に気を使って一番先頭の車輌にしたので楽に座れた。なにせ道中は長い。コンパクトとはいえ自転車を傍らに成田まで33分も電車に揺られるのだ。どうしても座って移動したい。
そういえば一緒に乗ったグリーンのワンピースを着た美しい女性は、席が空いているのに一向に座らない。運転席の窓の前に立ちっぱなしである。あんなに美しい横顔なのに痔瘻(ぢろう)なのだろうか。まぁ、それはそれでセクシーだな。
成田駅に着くと銚子行きの電車まで16分とあまり待ち時間が無い。しかし、ポンポンが痛くなってきた。昨夜の飲み過ぎが祟っている。駅の男子トイレに行くと人気ラーメン屋のような長蛇の列。こんな田舎駅でそんなこたぁあるまいと思ったが、ここが連休の初日の観光地であることを忘れていた。それならばと改札の外に出る。確か駅横にアウトドアな大型トイレがあったはずだ。いよいよ腹具合に余裕がなくなってきたが、なんとか無事にトイレットに着いた。こっちのトイレはガラガラだった。アウトドアなので鉄の棺桶のように蒸し蒸しだったが、おかげで余裕をもって済ませることができた。しかし、なんか撮影行というと毎度毎度こんな事をやっている。私の人生は今後もトイレット博士に悩まされ続けるのだろうか。
電車の時間はギリだった。一度は便器に座りながら電車を一本遅らせるかと諦めかけた。だが間に合うならそれに越したことはない。なにせ次の銚子行き電車が来るのは、まるまる1時間後だ。
少しは空いているかと思い、ホームの端まで行って先頭車輌に乗り込んだが、どの車輌も激混みだった。しかし、この満員状態も長くは続かず、佐原でガラガラになることは分かっている。
途中駅から私の真横にかわいい母娘が乗ってきた。母は40代、娘は15、6歳といったとこだろうか。
母のほうとばちくそ目が合う。
娘もどこにでもいそうな可愛い新人コンビニ店員みたいでいいが、母は熟女AV女優の友田真希にちょっと似た感じだ。愛嬌がいい。笑うと目尻がきゅっと垂れて可愛い。4度もバチんと目が合ってしまった。私との距離感も異様に近い。最後には佐原の駅に着くと電車が停まる瞬間に私にしなだれかかってきた。「あーん、すみませぇん♡」と。こ、これはなんかあるんじゃないか、これはなんかあるんじゃないか! と思ったが、母娘は何事もなく牛めし松屋のサービスみそ汁のようにあっさり、あっさりとホームに降りてしまった。
私の心と同じように伽藍堂になった車内。猫も杓子もみんなわいわいと佐原駅で降りていった。空席も選びたい放題だったので4人掛けのボックスシートに一人でゆったりたと座った。
眩い新緑の田園風景が流れて行く車窓に旅情を感じながら、鞄からカメラをそっと取り出して撮影の準備準備を始める。今日のカメラはライカSL(Typ601)である。久しぶりの登場だ。現在M型ライカは入院中。フレームセレクトレバーがまるで超合金のロケットパンチのように知らないうちに取れて無くなっていた。このフレームセレクトレバーとは、レンズ交換をするとレンズと連動して画角フレームが切り替わるレバーで、手動で他の画角のフレームを表示させることもできる。私にとっては特に必要の無い機能だが、ある所にあるはずのレバーが無いと寂しいし、既に古い機種なので、あとからやっぱり治したいと思って注文しても「もう部品が無いです」と言われかねない。治すなら早めがいいだろう。きっと引っ越す時に箪笥の裏から出てくるに違いない。
それにこのカメラは最後のブラックペイントかも知れないし、最後の底蓋式かもしれない。最後の動画機能搭載のM型ライカかも知れないし、限定のM10-Pブラックペイントを除くとかなりの最後っぺ真鍮底蓋ライカかもしれないのだ。大事に使いたい。とくにフィルムライカから使ってきた身としてはあの底蓋式には思い入れがあって、バッテリー交換のときに蓋を指に挟んでボディを逆さまにする時こそ〝これぞライカだろう〟と思う儀式的なものなのだ。電池交換なんかそんなに頻繁にやるもんでもないので、底蓋式は継続して欲しかったがM11であっさり排除された。まぁ、いい。
そんなこんなで今回は久しぶりなSLくんの登場なのだが、決して嫌いなワケではない。デカくて重い以外は最高に便利なカメラである。R3ちっくなデザインも厳つくてカッコいい。
セーム革でボディとレンズを拭き拭きし、最後にブロアでセンサーとレンズをパフパフと吹いてホコリをはらった。
そうこうしているうちに目的地であるJR椎柴駅についた。降車客はほぼいない。赤ら顔のおじさんたちはICカード端末にピッしないで下車していった。多分地元の人たちはIC決済システムになって無人駅が増えたら、無人駅から無人駅への移動は一律無料になったのだろう。何故だかは知らないが。
さて、気分を変えて自転車A-BIKEの組み立てをしようじゃないか。まずは駅ソトのベンチにゆったりと腰をかけた。慌てるでない、慌てるでないと自分に言い聞かす。最近ギックリ腰ぎみで危ない。変な姿勢をとるとすぐにギグッとくる。もうラストギグッスにしたいのでなるべく腰を労わるのだ。
取扱説明書を鞄から取り出してベンチに置いた。これを見ながらA-BIKEを運搬形態から自転車携帯にトランスフォームする。慣れると10秒で出来るという。それならばたとえ初めてでも1分はかからないだろう。
いや、可動部が意外と硬くて時間がかかる。動画で予習までしたのだが、結局5分はかかっただろうか。
しかし、なんとか完成した。
見事な出立ち。
タイヤが小さいので、キックスケーターに椅子とペダルを付けた感じだ。田舎ではちょっと目立つかな。カラーリングは赤いポイントがZガンダムみたいだ。
意を決して跨がった。だが、椅子を固定するのを忘れててペダルを漕ぐたびに右に左にツイストダンスみたいになってしまった。ここは原宿のホコ天かよ。その動きが地味に腰にヤバい。
一旦降りてシートをキッチリ固定し直した。もちろんスナップ写真を撮りながら走る予定なのでシートの高さは低めにしておいた。
さて、仕切り直しといこうか。これから私の写真は劇的に変わる。諸君!見るがいいそのスタートだ!
ぐ、ぐぐぐぐぐ。
全然進まない。
ぺ、ペダルがくそ重い!
例えるなら電動ママチャリの電動を切って、一番重いギアを入れている感じだ。ひと漕ぎにぐーーーーっと力がいる。タイヤも小さくて安定感が無く、まるで酔っぱらい運転のようにグネグネとハンドリングがふらつく。駅から国道に出るまでの100mを走るのにかなりの体力が必要だった。これじゃ危なくて交通量の多いタイトな歩道は走れない。そして登り坂が苦手。なんならマンホールの周りにある小さなアスファルトの盛り上がりすら、じかに足で蹴って乗り越えなければならない。
今すぐにでも放り投げて歩いたほうが楽だ!
否応無しにこのA-BIKEが走れそうな道を選ぶことになった。銚子街道と並行している裏道で交通量が少なく、比較的舗装がきれいな道路をスマホで探す。そんな道あるかいね。と思ったがたまたまそんな道があった。なんか撮影行の趣旨が変わりつつある。
路面状況を確認しながら下を向いて走るので気がついたが、この辺りの道は小さなイソガニの死骸が多い。蟹せんべいのようにきれいに自動車のタイヤによってプレスされている。この蟹の数。いよいよ海が近いのか。
昔、家族で行った千葉の安房の海水浴場を思い出す。少し海から離れた民宿を父の会社の保養所として家族のために利用していたのだが、海から歩いて、線路を越えてさらにその奥にあるのに、夜になるとイソガニが玄関の中まで歩いて来るのだ。その蟹の行動範囲に恐れ慄いたもんだ。ちなみにその民宿で恐れ慄いたのはそれだけじゃなく、宿が客で満員の時に我々家族だけ1階の母屋に泊まることになってしまい、夜中にオシッコに起きちゃって、恐る恐る板敷の廊下をギシギシと歩いて行き、突き当たりの便所の扉を開けると老婆が和式便所で後ろ向きにオシッコをしていて腰を抜かした思い出が甦る。あれは子供のころに体験した最大級のトラウマであった。
20年ほど前に写真を撮りにもう一度その民宿に寄ってみたのだが、すでに廃業されていたようだった。話が逸れた。
利根川からはたくさんの支流が流れ、その支流の分岐点には必ずと言っていいほど水神が祀ってある。
この支流や運河は撮影するにはもってこいの景色だが、このA-BIKEだと撮れ高よりも橋を乗り越える苦痛が勝る。なんとか避けてここまで来たが、いよいよ避けては通れない大きな支流に差し掛かった。この橋の起伏は自転車に乗ったままでは渡れない。一旦降りて押すと嘘のように軽やかだ。橋の真ん中でまたもやA-BIKEを川に放り投げたい衝動を抑え、壊れた空調機のようにぜいぜい言いながら休んでいると、一台のバイク(カブ)が通りすぎる。釣り人である。このA-BIKEと私をガン見していたが、すぐにカブはUターンして私の目の前で停まり、こちらに話しかけてきた。ブラザートムに似た陽に焼けた兄やんである。カブには何故だかアメリカの星条旗のプレートが付けられていた。自由の象徴である。兄やんはありったけの笑顔だ。まさにサンシャインスマイル。
兄「なんですかソレ!?すげー!」
(声が結構甲高い)
私「折りたたみ自転車でA-BIKEといいます」
兄「はじめて見ました!すげー!」
私「これで銚子まで行くんです」
兄「ありがとうございました!すげー!」
とにかくモビリティ好きで自由の象徴の兄やんにはすげー!乗り物のようである。是非とも彼にはこのA-BIKEを購入し、この苦痛をともに分かち合いたい。軽く挨拶を済ませたら、彼は来た道をブーンと軽やかに帰っていった。
しかし、漕げども漕げども一向に乗り慣れない。私も電動ママチャリとロードバイクを乗る身なので、おおよそ自転車に精通しているはずである。運転フォームも悪くはないと思うのだ。それなのにいよいよ股関節が痛い。このバイクを上手く走らせることに精一杯でスタートからここまで全然シャッターを切っていない。
なんなら写真どころではない!
突然、漁村に大聖堂が現れる。異様な景色だ。なにか強大なカルト宗教がこの銚子を支配しているのかと思いきや、あとで調べたら結婚式場だった。平成かよ!ここでレンズを50㍉から35㍉に交換した。自分でも何故だかは分からない。漁村の道が意外と狭かったからかもしれない。いや、そろそろ写真を撮らないとと思ったのだろう。
松岸駅の近くになると町は徐々に賑やかになる。前回来たときに、この松岸駅で総武本線の千葉駅行きに乗り換えた。この鉄路の名前に〝本線〟が付くだけで総武線や中央線は断然重みや奥行きが増してくる。
しかし、私もいよいよ松岸駅に来た。松岸駅の次はゴールの銚子駅なのだ。
A-BIKE唯一の利点といえば移動が歩行より速いことの一点のみである。この、恐ろしく重く、軸が少し後ろにあるペダルを漕げば、難儀ではあるが明らかに歩くより速い。しかし、やっぱり股関節が痛い。そして、今ではその痛みは股関節から膝にまで転移している。
松岸駅から1㌔ほど離れた辺りでそろそろ利根川沿いを走ろうと左折した。どんつきで川に到着すると、驚くほど開けた川沿いだった。
そう、すでに川沿いなんて雰囲気は微塵もなく、どちらかというと湾岸地帯だった。
車のディーラーや造船所、はたまた工場などが並んでいる。道路もめちゃくちゃ広い。
そして道は起伏無くまっすぐに伸びている。
A-BIKEにはうってつけの路面だった。
ちょうど後ろから暴走族がパァパァパパパーパァパァパパパーと後ろから追い抜いて行った。族車にもうってつけの道だろう。
見てくれるギャラリーは私しかいないが。
なにか話しているが爆音でお互い聞こえないようだった。
工場地帯なので、建物に隠れて利根川は見えない。見えないまんま河岸公園に着いてしまった。ここはほぼゴールと言っても過言では無いだろう。膝と股関節を労わるために公園でひと休みするとベンチに醤油メーカーのロゴがペイントされていた。そこだけでも銚子っぽい。
ゴールの実感がないまんまのゴール。
いや、これはノーゴールだろう。これ以上先に進まず、ゴールは次回に持ち越すことにした。
公園の先をぐるっとUターンして、銚子駅を目指す。するとさっきの暴走族がまた前を通り過ぎた。彼らは完全にこっちを見ている。
「さっきの、さっきのアレ!」
「あの変な自転車!ほら」。
暴走族がコソコソ話している。コソコソは話しているものの自分の単車の爆音よりも大きな声で話さなければならないので、そこそこ大声である。目立つために自分のバイクをカスタムチューンした暴走族がネタにするぐらい私の自転車は目立つのだ。そりゃこんなの乗ってキャンディッドなスナップ写真なんて撮れるわけがない。なんならタクシー運転手までもが二度見する始末。完全に悪目立ちしてしまった。
さっきノーゴールと言ったが、やっぱり一応ここがゴールになるのかなと公園をひと回りする。
銚子沖で水揚げされた鮮魚を利根川から船で運ぶには、ここ銚子港から帆が大きく舟底が平らな高瀬舟に積み替えたはずである。
はい、やっぱりゴール。
疲れてしまった。
どうせまた来るのだ。今度は利根川を茨城県岸の波崎町から布佐まで歩く予定だ。とんでもなく大変な旅になるだろう。斯して〝写真スナップAシステム〟は大失敗に終わった。次の新しいシステムを考えなくては茨城県側は攻略できないだろう。なにせ茨城県側はとんでもなく田舎で電車が無いから。
さっさと家に帰ることにした。幸いこの河岸公園から銚子駅までは近い。しかし当然ながら港から駅までは緩やかな登り坂である。シンボルロードというパステルチックな通りを最後の力を振り絞って漕ぎ続けた。まるでヤッターマンのドロンジョ一味の敗走シーンだ。
駅の入り口でA-BIKEを折り畳む。成田行きの時刻掲示板を見るとあと10分くらいしかない。さらに手前のホームではなく階段を登った奥のホームなので焦る。
収納編の折り畳みも練習しておくべきだった。トップチューブとダウンチューブの折り畳みが上手くいかない。プラスチックとアルミなので無理矢理に折り畳んだ。パキッと嫌な音を立てたが、なんとか折り畳めた。そして専用の輪行袋に無理矢理ねじ込んだ。少しはみ出てるがそれは電車の中でゆっくりとやればいい。輪行バッグを肩にかけ、階段を駆け上がり、さらには駆け降りてなんとか13時7分の電車に間に合った。駆け上がりと駆け降りの振動で上手いこと輪行バッグの中で収まり良くフィットした。
電車の中はガラガラで部活の高校生はみんな弁当食ってる。田舎あるあるなのか。
目の前の女子中学生の4人組が初めて彼氏と手を繋げた女の子に根掘り葉掘り質問攻めしてて、AVのインタビューみたいでおじさん興奮する。
JR成田で京成成田駅に乗り換えて家に帰る。地元の駅で折り畳むのが面倒くさいが、ひと駅手前で降りて自転車にトランスフォームして人目のつかない車通りの少ない道を走る。それでも目立つだろう。
家に帰ってまたバッグに収納して、嫁にバレないようにリビングの奥の隙間に隠した。こんな時に限って糞コンパクトなのですっと入った。お前は永遠にそこがお似合いだ!
次回は前から持っているジャイアントのミニベロ、イデオム1で茨城県岸を走ろう。イデの力を見せてやろう。震えるな瞳こらせよ復活のとき。