鮮魚街道七里半#5
-利根川から江戸川まで-
江戸時代から明治初期、銚子で水揚げされた魚をなるべく早く江戸まで運ぶため、利根川と江戸川を陸路で繋いだ鮮魚街道(なまみち)をめぐる旅。
二〇二〇年 千葉県柏市-松戸市
二〇二〇年九月二〇日(日)一〇時
新京成線から東武アーバンパークラインと交差する新鎌ヶ谷駅で茶をしばいた。昨日も来たVIE DE FRANCEである。私は隣の席のオババ二人の噂話をBGMにして、さて、これからどうしようかと悩んでいた。
航空基地までバスで行き、前回の続きからちゃんと歩くか。
基地の手前までちょっとだけ歩いて戻ってくるか。
実はこれから歩く鮮魚街道(なまみち)は、自衛隊の航空基地によって遮断されている。つまりその部分は立ち入り禁止区域なので歩けないのだ。もちろん現代版の鮮魚街道は基地を北側に迂回して続いているが、それは後から便宜上作られた新しい道で、江戸時代にあった鮮魚街道ではない。今回のスタート地点は航空基地前なので、その迂回ルートを通る所から始まる。これから時間をかけて、その後付けの鮮魚街道をトレースすることに何の意味があるのか。昨晩までそう考えていた。そして今、新鎌ヶ谷駅の喫茶店でスマホを使って調べたら、待ち時間無く、バスで「航空基地」行きが来るという。だったら最初の計画通り、鮮魚街道をちゃんとなぞって歩いて観ようとなった。
要するにバスが無いなら言い訳をこねくり回して諦めたけど、すぐにバスが来るなら行ってやってももいいや。というスタンスなのだ。私はすぐに喫茶店を出て、スマホが示す時刻の東武アーバンパークラインに乗り、高柳駅で降りて、徒歩三分でバス停に着かなくてはならない。
時刻表通りに東武アーバンパークラインの、高柳駅に着いた。駅前のロータリーは工事中で、そこから少し離れたスーパーの脇にひっそりとレインボーバスのバス停はあった。後ろにはスーパーの要らなくなったダンボールが幾重にも詰まれている。バスを待っている客はパート帰り風の女性と男子大学生、そして一五年前の古いデジカメ、LEICA M9を首から下げた私だけである。一〇時五〇分、時間通りにバスは来た。この同乗している顔ぶれからして、航空基地に降りるような屈強な人物は私しかいないだろう。ということは、この「次、停まります」ボタンは私が押すしかない。昨日、人生初の「次、停まります」ボタンを押したのに、二日連続で押すことになるとは。人生っていうのは本当に何が起こるか分からない。
車窓から覗くフェンス越しの基地をぼーっと眺めてはいるが、心は落ち着かない。そして、いつでもボタンを押せるように指は早撃ちガンマンのようにヒクヒクと動いていた。車内アナウンスが
「次は航空住…」
ピンポーン!
航空というワードに反応して、思わずリアクションバイトをして、一つ手前のバス停「航空住宅」で「次、停まります」ボタンを押してしまった。こうなるともはや航空住宅で降りるしかあるまい。私はバスのタラップから、見たこともない土地に放り出された。恨み節で過ぎ行くバスを見送ると、フェンス伝いの視線のその先に昨日待ったバス停「航空基地」の東家が見える。
「航空住宅」までは未走破だが、まぁいいだろうよ。ここからは下総航空基地の迂回ルートである。割とコンパクトな滑走路の周りをぐるりと遠巻きに歩く。有刺鉄線の向こう側には夜間の滑走路を照らすサーチライトが鎮座している。細い歩行者専用道路は両脇をフェンスで囲まれて、滑走路の端っこを横切る。この迂回ルートは特に面白くなかった。
下総航空基地を半周してから、遮断された部分の鮮魚街道の跡を見るべく、基地のフェンスギリギリまで歩く。
地図上では鮮魚街道になっていないが、庚申塚や馬頭観音がある道を見つけた。今まで鮮魚街道を歩いた経験から察すると、この裏街道感や道幅を見るに、恐らく本当の鮮魚街道は、ここなんだろうなと思いながら航空基地のフェンスまで行き、Uターンして鮮魚街道に戻る。途中で雨に降られたが、小雨程度ですぐに止んだ。佐津間という意味深な地名の町を抜けて、東武アーバンパークライン六実駅に着いた。
初めて六実駅周辺をぶらぶらと歩いた。駅前も思っていたより賑やかだった。
六実駅から一駅移動して、新鎌ヶ谷駅駅から新京成線に乗り換えり帰宅した。