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09chiharu
私の長所
人にあだ名をつけることが得意です。
履歴書の自己PRに書いたこと、など無い。
損保時代の私は、沢山のあだ名を生み出していた。とんでもな相手(特に代理店様が多い)ほどカワイイあだ名をつける。
そうすることで相手への苦手意識が軽減される気がした。
同僚たちも面白がってくれ、
フロアに広がるギスギスした空気を、少しだけでも緩和できていたのではないかと自負してる。
私が退職すると決まった年度末、支店全体で行う納会的なものがあった。
ホテルの宴会場かなんかで。
他の地域へ異動になる人、退職する人たちが一人ずつステージの上へ。
支店への(空気的には支店長への)感謝の言葉を皆と同じく定形文のごとく私も述べた。
そして、送り出される我々は、所属支社の先輩や後輩からプレゼントと共に送る言葉をいただく。
この時、私は何を期待していたのだろう。
恐らく、7年間への労いだろう。
それは当たり前のように、定形文としてもらえるものと信じて疑ってもいなかった。
そして私の番。
「〇〇さんはあだ名を付けるのが上手かったですね。次の職場でもこの力を発揮して下さい!」
私は失望感で一杯になった。
内勤リーダーを担っていた年上女性。この方はお世辞にも社会性があるタイプではなかった。
彼女には悪気がないのはわかる。
むしろ定形文ではなく、気を利かせたつもりなのだ。
内輪の飲み会なら嬉しい言葉だったかもしれない。しかし私にとってその場は、最後のけじめの場だったのだ。
「私の7年間を肯定してもらいたかった」
今までの辛い思い出が走馬灯のように流れ、
私は涙を流し続けた。
名残惜しさではなく、悔しさの涙とは誰も気づかなかっただろう。気づくような会社なら辞めていない。
定形文は無難だが人を傷つけることはない、と知った。
そして、あだ名を付けるはスキルは履歴書には書けない。