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先輩と後輩
後輩が学長賞を取ったらしい。
わたしと彼女は芸大に通っていて(昨年、わたしは卒業したが)、卒業制作がある。
その卒業制作で、いちばん優秀な作品として認められ、学長賞を取ったのだと連絡を受けた。
昨年、わたしも同じように卒業制作を仕上げ、同じように学長賞をもらった。
だからと言ってはなんだが、彼女にはずっと「あんたも絶対学長賞取るよ、あんた以外いないよ」と言ってきた覚えがある。
わたしの代は曲者ぞろいで、団結力なんてものは一切なく、全員が個人プレー、団体で何か行事があるたびに揉め事が起こるような学年だった。
その中でわたしは、入学当初から「わたしが一番小説上手いから」と言い続ける、知人に「芸歴一年目の尖り」と言われるほど痛々しい感じの学生だった。
小説や詩や文学での表現を学ぶという学科において、入学時にこれまで創作をしたことのある学生は片手で足りるほどしかおらず、変に長くガリガリ書き続けてきたわたしは、絶望していた。
もっとうまい人がいると思っていたのに、上の代にもわたしほど長く書いていて、わたしほど日本語がうまい学生も見当たらなかった。
つまり、完膚なきまでに叩きのめされる、ということがなかったのだ。
入学時、「この四年間で何かしらの結果が残せなければ文章書くのやめる」と切実な覚悟で地元を出たわたしにとって、絶対に負けなければならなかったのに、負けさせてくれる相手がいなかった。
それは若かったわたしにとって本当に絶望に値するものだったし、実際、大学一年の頃は真剣に大学を辞めるつもりになっていた。
けれどなんやかんやあって、辞めるに辞められなくなってしまい、二年に上がった。
上がっても特段変わりはしなかった。周りはやっぱりわたしほど熱心に書いている学生はおらず、講義さえまともにでない学生もちらほらいた。
相変わらずわたしも「わたしが一番うまい」と言い続けていた。
でも、一人だけすごい人がいた。
それがK先輩だった。
一つ上のK先輩は、それまで結構な問題児扱いをされていた。
問題を起こすとかではなく、講義に出ない、単位を落とす、見るからに異質、とかそういう感じだった。
K先輩は、12センチのハイヒールを履いて学校にきて、キャバクラで働いているのを隠していなかった。
一番嫌いなタイプだと思った。それで講義をまともに受けているならいい。そうでもないから嫌だった。
けれど、K先輩が初めて書いた小説に、わたしは負けた。
日本語はぐちゃぐちゃ、発想も奇天烈、小説という体をなしているのかすらわからない文章。
それでも、K先輩の小説は、圧倒的に感情がこもっていた。
鬱屈した意味のわからない感情を、全裸で書いているような文章だった。
物事の嘘を書けたとしても、文章は感情の嘘は書けない。
それでもごまかすことはできる。自分の書きたくない感情を、書かずにいることはできる。器用に文章が書ける人間なら、なおのこと。
K先輩はそんな芸当ができるほど、器用な人間ではなかった。だからこそ、わたしは負けた。
わたしには、発想が貧困である自覚が、ずっとある。
K先輩はアイデア勝負の人間だった。普通の目線では気づかないものを持ってくることに長けていた。それまで書いたことがないのが逆に功を奏していた。
あの人が器用だったら、小説はもっとわかりやすく、感情はもっとシンプルだっただろう。読みやすさは段違いだっただろうし、一回読んだだけで、息切れしそうなほど疲れはしない。
けれど不器用だったからこそ、K先輩の小説にわたしは負けた。合評会で、泣きそうになったのを覚えている。悔しかった。とてつもなく。だけど同時に、すごく嬉しかった。
その後、K先輩と仲良くなった。
K先輩は小説と同じように不器用な人だった。酒を呑んで暴れるし、酒を飲まなくてもたまに暴れた。心が狭すぎる人だった。
今となっては本人は「自分は許容範囲が広すぎる」と言うことが増えたが、わたしからすると、それは広いのではなくて狭すぎて、自分の許せること以外は「そういうもん」で片付けて、よく考えもせず忘れるだけだと思う。
K先輩と呑む酒はうまかった。今も変わらない。
一時は卒業も危ぶまれたK先輩だったが、ゼミの教授を心酔していたことで、なんとか卒業はギリギリできるようだった。
卒業制作もきちんと提出していた。読んだ。相変わらず最高だと思った。
でも、ちゃんと学習の成果は表れていて、パンツは履いていた。
わたしはK先輩以外が学長賞を取るわけがないと思っていた。あんな、常人に書けない文章の作品が選ばれないなら、今度こそ希望はないと思っていた。
思った通り、K先輩は学長賞を取った。
それはもう本当に嬉しかった。
わたしを負かした人は、真実、強かったのだと証明された。
だからわたしも、勝たなければならないと思った。
卒業制作は学生の作品だから、学校が受賞者を決める。新人賞とはまた違った基準であることは明らかだった。
学生にしか書けない、学生らしい作品。
それはたぶん、変に長く書いてしまったわたしが最も不得意とする分野であって、K先輩のような、感情で殴りつける作品が選ばれやすいだろう。
けれどK先輩と同じように書くのでは、意味がない。
だからわたしは、これまでよりいっそう、一般向けの小説を書いた。
土地を書き、家庭を書いた。普遍的なテーマで、ありきたりな設定を、懇切丁寧に書いた。
わたしも、学長賞を取った。
嬉しいか嬉しくないかで言えば、嬉しかった。
けれど満足はできなかった。その頃には、ちゃんと講義をうけ、ちゃんと作品を書き続け、面白い小説を書く同級生も増えていたから。
負けるかもしれない、と思った学生が二人いた。どちらも女の子だった。
一人は、生粋の芸術家タイプで、サイレンス映画のように静かで、どこか不気味で、けれど美しい小説を書いた。
もう一人は、ドロドロした昼ドラのような、粘着質で、湿気で腐ってしまいそうな、女の情念を書いていた。
わたしは、二人のうちのどちらかが取ると思っていた。
だから、どちらも、なんの賞にも引っ掛からなかった時は、憤慨した。
自分の受賞を祝ってくれるゼミの教授に怒りのままにLINEした。なぜあの二人が何も取れていないのか、あれには負けたと思ったのに。わたしだって自信はあったけど、あんなに平凡を目指して書いたものが、二人のような奇抜で、でもなぜか共感できる作品に負けるのか。
教授に言ったところで、何も変わらない。教授だって自分の担当の学生の作品を推したい気持ちはあっただろうし、誰よりも教授こそがあの二人の作品を評価していた。
けれど教員の立場では、表立って自分のゼミの学生ばかりを推薦することは叶わない。
大変な会議を重ねて決まった結果なのはわたしもわかっていた。わかっていたけれど、どこにも向けられない怒りを、どうすればいいかわからなかった。
一番になったはずなのに、悔しくてたまらなかった。今も。
だから、わたしは冒頭の後輩−−Nに望みを託したのかもしれない。
Nは、中身はともかく、属性がK先輩とよく似ていた。
絶対にハイヒールで登校するし、遅刻してでも納得がいくまで化粧をするし、ネイルは自分で綺麗に整えているし、染めた髪がプリンになっているところも見たことがなかった。Nはホステスだった。
わたしより一つ年上の後輩は、わたしのことをよく慕ってくれて、一緒に酒を呑むことも多かった。
ゼミの教授のおかげで真面目に講義に出るようになったK先輩とは違い、教授を慕いつつNは自分の「遅刻魔で変わっていて不真面目」な自分を誰に求められるでもなく提供し続けていて、わたしはNのそういうところが好きだった。
K先輩と、わたしと、Nは今でもたまに三人で通話呑みをする。
昨年、わたしは卒業間際になっても「次はNが学長賞取るから」といったことをNも、ゼミの教授にも言い続けていた。
Nはどちらかというと脚本を書きたがっていたし、三年間ずっとそっちを勉強してきていた。
印象とは違い、Nはかなり真面目だ。態度はともかく、周りをよく見て、自分が求められている自分を提供することに優れていた。そして何より、明確な目標があった。
けれど、出会った当初から、わたしは「Nは小説の方が向いている」と思っていたし、それを本人にも、教授にも言っていた。
Nの考えは、外に出ているものより深い。
明るく何も考えていないように見せていて、Nはかなり考えが深い。だから脚本を書いても、心情をどう表現するかにこだわっていた。
自分の中の気持ちをどうにかして外に出そうとしているような気がして、ずっと「小説、一回でいいから書いて」と言い続けてきたが、Nには目標がある。
だからNは脚本を書いていた。
Nが卒業制作で小説を書くと言ったとき、わたしは本当に嬉しかった。
言うことをきいてくれた、とかそういう偉そうな気持ちではなく、純粋にわたしが読みたかったのだ。Nの小説を。
Nは美しいものも汚いものも全部まとめて愛せる器があった。誰かが失敗しても、笑い飛ばしつつ、絶対に相談に乗る。他人の喜ばしいことを自分のことのように喜ぶ。そういうNが見ている世界が、どんな小説になるのか、本当にずっと読みたかった。
ただ、Nがきちんと卒業できるかとか、ちゃんと完成させられるのかとか、色々不安はあった。
けれどNは書き上げて、学長賞を取った。
誰よりも芸術に救われたことのあるNにとって、作品は何があっても完成させるべきものだったのだろう。わたしの杞憂だった。
報告を受けたとき、本当に嬉しかった。思わず大声が出た。
ここのところ仕事が嫌で嫌で仕方なくて、本当に無気力に生きていた。
そこへの嬉しい報告だ。久しぶりに、心の底から嬉しいニュースだった。
K先輩も交えて通話をした。おめでとうと言い合って、Nは「Kちゃんと小林ちゃんの後繋げられてよかったよー」と言っていた。
本当に、一歳上だけど、上だと思わずずっと後輩扱いしていてよかったと思った。
下手に遠慮してしまっていたら、在学中にNに対し、ここの表現は読み取りづらいだとか、先輩ヅラしたアドバイスはできなかっただろう。
それはきっとわたしにとっても損失だったし、Nにとってもないよりはましだったと信じている。
だって、小説は読まれて初めて完成する。読者がいて初めて、小説はうまくなるし、面白くなる。完成度を上げるには、クソ読者だってある程度は必要だ。
わたしは少しでもNの作品作りに何か残せただろうか。Nは通話の後、小林ちゃんが言ってくれた、と言ってくれたが、実は少し自信がない。
わたしの言葉に意味はきっとなくて、そこにあるのは感情だけだ。
嘘をつくのは得意だし、人を傷つけるのはもっと得意だ。わたしの唯一の特技は、周囲の人間を不愉快にさせることなのだから。
だけど、そんなわたしを慕ってくれたNには本当に感謝しているし、Nの努力を間近で見られなかったことが残念でならない。
わたしはK先輩と同じ会社に入社した。
今でもよく合う方だろう。
Nは地元に残るようだから、少し遠いままになってしまう。
けれどこの三人は、一生ものの付き合いでありたいな、と思う。
実は学長賞を取ると、意外と精神的に負担になったりする。
K先輩も、結構ちゃらんぽらんな感じで生きているので、「学長賞を取ったK」としての振る舞い方がいまだにわかっていないらしい。
わたしはただ有言実行しただけなので特に変わらないが、NはK先輩と似たような印象で周りから見られているので、もしかしたら少しそういう気負いが出てしまうかもしれない。
そうなったら、三人で呑みに行きたい。
「ちんこ」か「ちんぽ」かはたまた「ちんちん」か、どれが正しいかで一晩は話せる三人だ。
多分呑んだら楽しくなってどうでもよくなる。夜通し呑んで、全部忘れてしまえるだろう。
正直なところを言えば、コロナも仕事も忘れて、今すぐNのところへ行って祝杯をあげたいところだ。
今後、書くことがどんどん遠のいていってしまうかもしれない。
就職しても書き続けられているのは、ほんの一握りだ。
でもNは、まだ目標を達成できていないから、それを掴むまでは書き続けてほしい。
わたしは夢を叶えたNの作品を、お金を払って読める日を待っている。
本当におめでとう。
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