⑦45坪のオールウェイズ第三章「今も昔も・夢ものがたり」②後編 J.S.W(s)と育てた男
季の雫 1
ー何時まで続く泥濘ぞー
深夜、楽屋兼視聴ブースの球式アンプに火を入れる。
ポット照れた様に赤くなる。明日から緊急事態宣言!アルコール販売中止!8時以降営業禁止!という。
5月から3ヶ月間、ラ・ママ39周年アニバーサリー月間が始まる矢先の要請。流石に放縦極まりない感情に襲われる。
私好みのロック音楽を部屋一杯に充満させるが、窓のビリ付きに思わずボリュームを絞り込んだ!
それにしても長い人生最後の大変な試練である。こんなときは上京した頃の懐かしい音楽を、邦楽、洋楽関係なくひたすら聞きまくりプログラするのが私には一番である!
プリアンプのセレクトポイントをユーチューブにセットする。流れて来るのはユーチューブ版“ジェットストリーム”。
あの当時、芝居の台詞を覚えながらF Mでよく聞いたものだ。
そういえば都会の洒落た夜の雰囲気と、多少飲みすぎた気怠さの中、レイモンドルフェーブルに身を任せる。子守り唄よろしくグッスリ眠ってしまった。今日は立ち稽古。慌てて飛び起き、朝の満員電車で必死に唱(とな)える様に台詞を覚える。気が付けば回りの人達、マジに固まり、マジにたじろいでいた。
そんな俳優時代を思い出すだけでも、気は落ち着くものだ。
あの独特なジェット音で始まる“ジェットストリーム”。
パイロットと管制官の緊張したやり取り。やはり英語だからリズムがあってノイズすらかっこいい。
やがて貴婦人と言われたD C-8、今夜がラスト・フライトで離陸する。
彼女の優雅でセクシーな姿に、ミスターロンリーがオーバーラップ。城達也の心地よい響きの詞(かたり)にのって、ミッドナイトの静かなる夢ロマンが始まる・・・。ああ、あの時ミスターロンリー聞きながら、終わる前に早々とそのまま眠ってしまったのも頷ける。
久しぶりに聴くポール・モーリア、パーシーフェイス、レイモンドルフェーブルのイージーな曲の数々。ましてやユーチューブは映像付きである。
すでにアンコリ(衝突防止灯)の灯火も星のまばたきと区別がつかなくなる。
ジェット音を残して去っていった貴女.。目を閉じて、まだ見ぬ異国の華やかな街並みの佇まい、香り・気配へ想いを馳せれば、なを去り難い。再び見上げる満点の星の、なんと饒舌な事であろうか!
朝ともなれば、真綿色した雲海の懷に、貴女は静止画のように抱だかれ動かない。しかし、僅かに雲のそよぎが寝息の優しさを伝えてくれる。
レーダードームは朝日を受けオレンジ色。燃えるような光の中、目覚めた貴女は最期のフライトを楽しみながらも、ちょっぴり寂しそうにウィンクし、すべる様に朝焼けの行方へ消えていった。
ジェット機には今更ながら感傷的ではあるが、感動的なドラマと素晴らしい叡智結集を感じるのである
だがしかし、私はYS-11(国産のプロペラ機)の方が好きだった。なぜなら飛び上がる動力の業(わざ)がよく理解出来る、、、(笑)。ただいづれにしても飛行機は、ヤッパリだめだ。年に一度の打吹山の麓、手作りプロペラ模型飛行機大会。気流に乗り、山の行方に消えていった、誰かの縒り巻きゴムのプロペラ機。
五月晴れの青空へ、高く舞い上がっていったおまえは、上空からあの町の何を眺め、何を見たのだろうか。
そしてそのまま何処へ消えたか私は知らない。山越えした飛行機は殆ど行方知れずになったらしい。
何かにつけこの歳になると、幼い頃の想像や思い出に浸るものだ。最後の曲、この穏やかさは何なんだ。求めずして流れてきたこのメロデー。アンドレ・ギャンニオンである。多少切ないが心静めるにピッタリである、
ムーサの神々に感謝するのみ。
こうして今夜の、我が憤怒の滝登りは一応おさまるのでありました。
そう言えば、J.S.W(s)の和弥もジェット機というバンドを演っていたことを“ふと”思い出した。
「今も昔も・夢ものがたり」後編に入りましょう。
ー「J.S.W(s)と育てた男」ー
待ち人の(Kやん)名は、、、
本名 門池三則。 (株)バッドミュージック・(株)バッドミュージックグループ音楽出版両代表取締役社長。最近まで日本音楽制作者連盟理事長を務める。J.S.W(s)、Mr.Children ,the pillows、怒髪天などを育成、世に送り出す。
内装も、設備もできあがる。門池氏(以後もKやん氏)とはラママを1982年5月1日オープン日に決めるも、数々のトラブルの搦みで5月10日に変更、なんとか間に合わす。スタッフ一同ほっとするも、スピーカーは私のオーディオ用JBL.D-130(許容100w)、ドライバーLE-85(許容20w)、あっという間に飛んだ。ボーズ801を急いで手に入れるも、ロックの凄まじい音圧にこれも飛んだ。たまたま恵比寿にあったライブハウスが閉店の為、なんとか本格的なスピーカー(許容500w)を手に入れる。もはや日本で3台と活躍していない超レア物JBL4560、内2台今でもラ・ママでは現役である。
ミキサーは当初A p付7chから16ch、24ch、32ch、48chとラ・ママの成長に比例してチャンネルも増えていったのでした。
またスケジュールはもっと大変。すべてオーディション通過者ではうまくいかず、各ジャンル毎に力のあるアーティストのイベントを企画したのでした。カルメンマキ・5x、あがた森魚、優歌団、辻村ジュサブロー、碇山奈々他。ただしKやんには、ライブハウスという小さな器より、さらに大きな夢があったのだろう。
いきなり辞めたい!といって来た。
共同経営で大変な経験をした私はその難しさはよく分かっている。しかし、彼とならうまくいくと随分慰留するも、最後にJ.S.W(s)をなんとかしてやりたい!ライブハウスと両立は難しい!ということであった。
その言葉に彼の決意を感じた私は、理想とはほど遠いまだ乳呑み子のラ・ママを抱えながら、お互い厳しい3年間が始まったのである。
あまり交流がなくなって何年かした後、突然電話が入る。
Kやんである。挨拶はそこそこに、今度武道館でジュンスカイウォーカーズ(以後もJ.S.W(s)と記す)を演るという。一瞬耳を疑うもその時の私の出た言葉は、世界で二番目に\(^o^)/歓喜したのは、俺だぞ。と言ったことを覚えている。
彼の今までの大変さを知っている私なりの感情表現、嬉しかったね。ましてやあの最初に武道館への夢を語った、初々しい若者達の大きな第一歩が始まる!
原宿、ホコ天でJ.S.W(s)のカセットを売り、わずかな実入りで遣り繰りしていた皆の事は、よく知っている。彼を信じてついて行ったJ.S.W(s) メンバー4人!兎に角久し振りに会った皆の顔は、自信に満ちた別人の様に輝いてたのを思い出す。
-JUN SKY WALKER(S)-
「すべてに感謝しています」
森純太 Gt
メンバー全員で西武線に乗り込んだ。「さあ、出発だ」。時間は午前8時30分。ラ・ママの昼の部に出演する為。 入り時間は10時ちょっと前だ。僕はソフトケースに入ったギター2本とステージ衣装の入ったリュックを肩から下げて、エフェクターの入った紙袋を持っている。渋谷駅からの坂道がキツい・・・。
「トイレのドアのポスター」
宮田和弥 Vo
ラ・ママというと、ライブハウスらしくないその名前にとても強い印象を受けたのは僕だけだろうか?ジュンスカイウォーカーズというどんな音楽を演っているのかわからないその名前で、僕たちはラ・ママに出演した。まだ幼い高校生だった時の話だ。ラ・ママの事務所のトイレのドアに僕たち“ジュンスカ”のポスターが貼ってある。僕はその場所にポスターを貼ってもらうことが夢だった・・・。
「これからも仲良くしてください」
寺岡呼人 Ba
僕が初めてラ・ママのステージを見たのはジュンスカに入る全然前の年末のオールナイトの日だった。広島から出てきたばかりの時で「あ〜東京のバンドはみんな凄い人だ」という印象があった。だから今でもその威厳は僕の中にあって“ラ・ママに出る=ひとつの夢”みたいな図式が頭から離れないのです・・・。これからもずっと仲良くしてください。
以上10周年記念誌より
「ラ・ママALIVEより」
小林雅之 dr
高校の冬に(ラ・ママ)に出てデビュー直前の時に凄い「どわ〜」とお客さんが増えた。あれはすごい嬉しかった。ホコ天とか演って、そのあとはなんとなくデビューもあって、そういう風になったのかな。(ホコ天)は最初はすごく恥ずかしかった。発電機とか借りてきて、ジャニーズみたいに、1日3回、4回とか短いんだけど、和気あいあいとした雰囲気で面白かった。ラ・ママでとったデモテープを売ったりしてラ・ママ借りて、朝までテープつくって門池さん(ラママ初代運営店長)の家で紙折ったり、300円か200円で売っていた。
門池さん、O氏(3代目店長)は恐かった。
でも門池さんには、本当にお世話になりっぱなしです。
怒られながら、愛されながら他のライブハウスの人とはそこまでの付き合いじゃなかった。
私は、大きくブレイクした彼等が、10周年記念誌等にこんな素朴で素直なコメントをくれるとは!これがJ.S.W(s)の魅力であろう!!4人のあの笑顔が目に浮かぶ。
rockinon.com
ラママに出始めの頃(設立メンバーBa伊藤君は途中呼人と入れ替わる)4人揃って挨拶に来てくれた。純太の第一声が、ジュンスカイウォーカーズは必ず武道館に行きますであった。その約束が現実のものになったのである。あの時は、そう言いきった純太に思わず返事に困っであ、、、そゔというのが精一杯。
ところが以後多くのアーチストが、J.S.W(s)につづけとラママからご利用証明書を貰たように、武道館に押し寄せていった。スタッフ共々あの当時アーティストと一緒の同じ夢を抱いての運命共同体。皆で明日なき(笑)青春してたこと、青春とは無責任と、、、で楽しかったよな(笑)。
そんな我々に武道館に出演したあるバンドが、このステージは、前座。本番は次のラママだからなと叫んでいる。それに呼応する1万の観客!わずか45坪の吹けば飛ぶような名もなきライブハウスの名を、、、!あの時の震えるような感動以来、ラママとは、スタッフは勿論、アーティストと一緒に造り上げてゆく小屋なんだと、つくづく思えてきたのであった。
アーティスト達は、ラママの機材設備が日に日に充実してゆき、小屋が、どんどん変貌してゆくのに驚き、それを楽しみにさえしてたバンドも多々いたのでした。より良くなるため、お互い切磋琢磨の競争であった。
厳しいNY、ラママのエレン・スチュワート女史が来日時、分刻みのスケジュールのなか、「来日する時は、渋谷ラママへ立ち寄るスケジュールを必ずいれて」といわれる、と困ったように関係者が言っていた。有難い事に、それほどに気にかけて頂いたのである。25周年記念誌をプレゼントした時、本を胸にあて本当に嬉しそうにして祝福してくれたエレンを思いだすのである。
和弥、純太、呼人、雅之この4人。それぞれの個性は全く違うが、人間性も含め愛すべきアーティスト達である。 これからも「見上げる樅ノ木たれ!!」であるぞな。
和弥は、はたの・ファンクラブまで作ってくれた。
J.S.W(s)
宮田和弥
「過ぎていく時間だけで歳をとったりしない。希望を失う時、若くても死んでいる」
“全部このままで”より
森純太
「赤い花をあのこのかわりに欲しくて抜いたら枯れてしまった。目を開けても信じたくはなかった。あの子も花も元には戻らない。目を開けたら少しわかった。もう一度夢を! 空より高く!」
“ただの恋の歌を”より
大切なことに気が付く時は 粉々にくだけたその後だった。見えないコブシを、空高く突きだして、変わるハズのないものに向かって叫ぶんだ!
“My GENERATION”より
寺岡呼人
「片道切符を買ってふりむかない旅に出よう。地図もコンパスもいらない。僕が未来を照らすから」
”ヒロイン”より
小林雅之
「絶対あったかいところで、絶対ケーキを食べるんだ。オマエと」
“おまえとケーキ”より
以上ラママ ALIVEより
シャイな男の素朴な妄想・心の絵本をみるようだ。この短い詞、フレーズだけで4人の純朴で、J.S.W(s)・名の通り、青き空どこまでも駆け抜ける、君達の爽やかな風を感じる。Kやんが惚れたのは色々あるだろうが、一途に夢翔(ゆめかけ)るキッズの姿と、自分の姿を写し絵の様に重ね感じたのかもしれない。
呼人が卒業したという。フリーダム・シープ、新たな可能性にチャレンジするのだろう。呼人は、J.S.W(s)での自分の歴史の大切さを決して忘れない男である。
貴男達を世に送り出したのがKやんならば、彼の華々し人生の幕を開けたのは貴男達です。そしてラ・ママの幕開けもJ.S.W(s)から始まった。
ありがとうJ.S.W(s)!
季の雫 2
皆んなコロナが終息したら久し振りに焼き肉でも食べに行こう。勿論ラママのオゴリで。雅之は、豚しゃぶかな?これはモメルな(笑)
当初は、皆で飯でも食べながら、私の知らない夜叉侍達、、、?の、色々な内輪話しを聞きたかったのだが、残念ながらコロナ故、実現出来なかった。知られざる逸話等、赤裸々に皿酒(茶碗ざけ)飲みながら無礼講、朝帰り覚悟でやりたかった。ただ殆ど語り尽くされているので、新しい記事にするのは大変ですね。そう言えば純太にタレント性があるからNHK朝ドラ受けてみたらと、MGに何度か言ったこともあったな。
それにしても、僅か45坪の宇宙の奇跡、信じられぬ程の出会い、語り尽くせぬドラマの数々、誰に感謝すればいいものか!この文言これから何度出てくるのだろうか。そしてあらゆる音楽に関われる、我が素晴らしい人生にそろそろ乾杯してもいいのかも、、、。
やはり゙やるべき事をやりきれば、後は、人生ケセラセラ(人生なるようになる)である!
夢を抱き続ければ、必ずや羊さえ天空を飛び、舞うのである!
落ち着いたら、新しいジュンスカイウォーカーズ・もう一度特集ブログをやりましょうか‼️ 勿論Kやん一緒に。
まさに世に出たジュンスカもミスチル、イエモンそして我々も人間皆こうした者。
多くの夢追い人達、その未来のなんと楽しみで、やり切る情熱のなんと素晴らしい事か!
どんなに素晴らしいアーティストでも、決して月からカッコよく舞い降りた人達ではあるまい。それぞれの生きざまのなか今があるならば、それがそれぞれの大切な人生(命)なのである。
深夜、バーブラストライサンドを聴く。今更ながら、音楽とはジャンルは何であれ感謝と祈り、そして生への讃歌なのであろう。
J.S.W(s)
宮田和弥vo 森純太 gt 小林雅之dr
~Fin~
個人の写真については
和弥 geinoujin-biyou-seikaku.com
純太 barks.jp
小林 m-on-music.jp
呼人 yohito.com m-on-musich.jp
他より掲載させて頂きました。失礼があると思いますが、よろしくお願いいたします。
Noteを書き始めて気が付くことは、幾らでも修正がきく事である。文章の手直し、誤字の訂正、写真等、の差し替え。私の場合公開後もお構い無し。だいたい全てが収まるまで2、3週間いや何ヵ月もかかるかも。原稿が上がり、スマホに掲載するとまるで別物にみえてくる。掲載後1週間位は、スマホをもって色々な場所で読んでみる。すると面白いように文章が変わってゆくのである。これが紙との絶対的な違いである。個人的には、より内容の有るものになると信じています。素人には、絶対的に有利な媒体だろう。暫く時が経ってそれぞれの章を、再度お読み頂ければ面白いかもしれません。欠点としては、機種によって文章の行間が、笑ってしまうほどバラバラになる事ですね。
次回は35年近く続けている新人コント大会前編・後編を(予定)ブログにしてみたい。 (7話で閲覧数1万回を越えました。励みになります。ありがとうございます。😆💕✨。)
又々お待たせしてスミマセン後2、3日で書き上げます。ただ予定を変更して、「山崎ハコ・安田裕美」特別編を書きます。
書きおえて聴く、洋楽アーティストは、シャンソンを企画する際偶然出会ったララ・ファビアン!゙je suis malada゙ブレスの深さは驚異的。感情表現の滑らかさも素晴らしい。彼女も是非一度聴いてみてください。
4ヶ月も待たせてすみません。そして開いてくれたすべての人に感謝してます。あと23話、大変だ!