⑤45坪のオールウェイズ 第三章「今も昔も・夢ものがたり」①ーオナニーマシーンー
季の雫
オナニーマシンの話しに入る前に、もう少しシブヤ・ラママのことを語りましょう。
夢翔して上京。それから13年の月日が流れました。私も俳優としてはまずまずの経験をするもアンダーグラウンド(アングラ)の時代は過ぎ、才能豊かな俳優たちは表現の場を失い、東京を離れてゆきました。
当時渋谷公園通り沿いに、ジャンジャンというキャパ120名ほどのライブスペースがあり、すでに名あるアーティストたちのステージを提供していたのです。
ラ・ママは、全てのジャンルの若いアーティストたちのフリーな表現の場として、また彼等の拠点としてスペースを解放しようと思い立ちました。
そしてこの大切な空間の使用条件はただひとつ!
“夢翔・やり切る情熱”でした。
私はジャンルの好き嫌いはなく、オールラウンドに音楽(ロック、JAZZ、シャンソン、ミュージカル、クラシック、邦楽等)オペラ、演劇、コント、モダンダンス、フラメンコ、舞踏、マイム、影絵、人形芝居又、実験的パフォーマンス等々、今思えばこの玉手箱のようなライブハウスは、毎夜彼らの情熱でむせかえっていたのです
今コロナ禍のなか、灯の消えた暗いステージに立ってみる。音楽シーンもそれぞれ表現手段も多様化し、ライブハウスの有り様も随分変わってしまった。
しかし、名もなき誰かが置き忘れた一枚の歌詞用紙を読んでみる。
そこにはアビリティー豊かな詞(コトバ)、研ぎ澄まされた感性、ほとばしる感情、38年前と何ら変わらぬ姿があったのです。
読みながらも若者達のあの危うさと、切ない程の一途な思い、それへの私の共感と感動がいっ気に甦みがえってくる。
しかしあの当時多くのアーティスト達がここは、“夢を語る場所であり、夢をかなえる出会いがある” と言ってくれた。その言葉が、今もここにあるのだろうか?
更に、巨大な空間にアーティストを送り出すのも大切な使命ではある。しかしそれ以上にステージを離れ、一社会人となった時、ラ・ママに出演していたことが、おこがましくも、彼らの人生のステータスの一部になり得てるのだろうか?
そんなラ・ママが今も息づいているのだろうか?
何か大切なものを忘れ去ってきた気がする!
小屋を維持する大変さは、コロナ禍の中さらに際立っている、、、。
過去どのライブハウスも理想を掲げて競いあったものです。しかし現状は蜘蛛の糸にぶら下がり、どの小屋もいつ落ちるのかと腹の決まらぬ、凄まじい精神状態である。コロナごときでつわものどもが夢の跡では、余りに虚しい。
兎に角、1日も早くコロナ禍以前の状態に戻るのを祈るばかり!
その時こそ私の口癖、やるべき事をやりきれば、後は、人生ケセラセラ(人生なるようになるさ)が飛び出すのであります(笑)。
次回も、余りの懐かしさに開店、閉店前後のラママ昔話を話したくなりました。鮮やかに甦るあの時代が、まさにラママの原点であったのです。
さて【今も昔も・夢ものがたり】初回取り上げたバンドの話しに入りましょう。
「今も、昔も、夢ものがたり」
ー【オナニーマシーン】ー
イノマーよ!サヨナラは言わない
※・・・ひでへ。とてもじゃないがバンドのやることじゃない。
ラ・ママはオイラにとって実家みたいなもんだ。好き勝手やって、お酒飲んで寝ちゃうみたいな。・・・中略
いや、すみませんというか、逆にフシギです。
そのうち絶対親孝行するのでその日までもうちょっと我慢してください。デキの悪いボンクラ息子を。―シブヤラ・ママ20周年記念誌よりー
※ごめんなさい・・・。
ふふふ、まだ25歳なんだ(笑)オイラなんてもう40だもんね〜。
チンポもしなしなだよ。良いなあ。25歳なんてピチピチだ。
でもそう考えると25歳のコにオイラ達オナマシくん(平均年齢42歳)はひどいことをしているんだな。
立派なセクハラだもの。
犯罪ギリギリO U T!アッハッハ
申し訳ねーッス。中略
でも社長さんはそんなボクらにすごく優しく接してくれます。
出番前にいきなりオナマシのメンバーがいる楽屋に現れた社長さん。
「ちょっといいかな?」と。てっきり怒られるかと思い、しょんぼりする3人。すると全裸だと寒いだろうと、ガウンを渡してくれました。
ジーン
でも、そのいただいたガウン、ライブでローションまみれにして捨てちゃいました・・・。ごめんなさい。ーシブヤラ・ママ25周年記念誌よりー。
初回のバンドはオナニーマシーンというスリーピースパンクバンド(Vo ・Baイノマー、Gtオノチン、Drガンガン)。
以上はボーカル、イノマー氏が20,25周年誌に寄稿してくれた文章である。
オナニーマシーン!これほど“愛情溢るるケイハクなステージ”を私に見せてくれるバンドはいない。演奏も歌詞もいいのだが。
もっともこの“愛情溢るるケイハクさ”は私の好きなバンドへの表現の一つでもあり、ある意味最もカッコいい連中のことである。
ある時ローションをぶちまける彼らを見て、ローションの素は石油ではないのかと疑問を持ち、“大丈夫?”と聞くと、二重唱で“大丈夫、大丈夫、発火しません”と言う。
それでも心配で。彼らが絶対的拍手を受けている間隙をぬって、テイッシュを持って誰もいないステージ横の控え室に入る。
あるあるローションで満タンのバケツ。ティッシュをしっかりと浸す。
取り出すや否や火を付けてみる。万一可燃性のものなら、撒いたローションで床のタップが電気ショート、彼はG線上のアリアならぬ、鉄板上の○○踊り。
笑いを誘っても、その後が凄まじく恐ろしい。
何がなんでも阻止せねば・・・。
火をつけてみる。ジュジュと音を残して、ティッシュの火は消えた。一度ならず三度とも消えたのである。
とその時、楽屋のドアが突然開き、フィナーレに向かって、いつもの「ローションショー」のローションを取りにきた二人と鉢合わせ。
ローションティッシュを持った私をみて、何しとるん?と不思議そうな二人。
ニヤリと笑う俺。この真剣な滑稽さはなんだろう?
ガウンの件は、ラ・ママの楽屋は隣のビルの4Fにある。
一度外に出ないと戻れないのだが、人通りは多い。
全裸の男二人地下から飛び出してきたら、通行人(特に高齢のご婦人)は、゙あら、この地下でいけない何かが行われているのかしら゙、と好奇心を持ったとしても、必ず当局に通報するに違いない!
せめて隠すところは隠して、ショックを弱めるべきと親心ならぬ、あるであろう事への対策のガウン提供でした。
もちろん、寒いだろうとの気遣いも少しはありましたですよ。イノマーくん
〔2018年7月イノマー氏に口腔底がん発見〕
9月手術、舌の根本の癌巣全摘、手術成功。
但し、ボーカリストとしての致命傷。いくらパンクといえども、必死に言葉を伝えようとする姿に、私は何も言えない。
入退院を繰り返していると聞いた2019年、久しぶりにラママに出演するという。映像とトークが中心で、銀杏B O Y Zの峯田君が出演。場内は賑やかで明るかった。しかしわたしは、辛さ故途中で小屋を出ていたのです。
その最後のステージから二週間くらいかな、イノマー氏、貴男と渋谷駅で導かれた偶然で、ばったり会いましたね。
10秒でもタイミングがづれていたら、お互い素通りしていました。普段着での最後の出会いでした。
あの時の貴男の顔は、なぜかスミマセンと謝っているように見えたのです。頑張ってというのが精一杯の私に、苦しさもみせず、ニッコリ笑顔を返してくれた貴方の優しさに言葉がありませんでした。
なぜか、奇跡が起こりそうな気持ちになったのも事実です。
ー最後のオナマシ20周年記念フェスティバルー於豊洲pit
2019年10月22日会場には三千人以上が集まり、超満員、悲壮感は余りない。でもイノマー氏の最後のステージ姿を、心に焼き付けようと声を掛け合っている。
登場した貴男は、全身全霊生きざま全てでパンクする。
覚悟した君の姿に,あれほどの拍手が湧き起こり、それを全身に浴びているイノマーの嬉しそうな顔。
ファンとはこれほどに優しく、ありがたいものか・・・。
おまけに峯田君やサンボマスター、氣志團、ガガガS Pの面々!
もう元気な彼とは会えないだろうと思いつつも、気のおけないキッズたちが何時ものように戯れるような言葉遊び。
その思いでを語り合う姿に、そして愛情溢るる彼への友としての心遣いに、何より皆の音楽がエネルギッシュに会場一杯、一杯に鳴り響けば響く程、イノマーの気持ちが痛いほどわかる。 もう緩くなった私の涙腺が全解になりやがった!
彼達の心もいかばかりか、、、こんな言葉無用のキャッチボールが出来るんかい!
楽屋に最後の面会に行った時、オノチンが今年のクリスマス、ラママでまたやりますから!何度も、何度も大声で言っていた。
それはそばにいたイノマー氏になんとしても生きて、生きて、生きるんだぜ!という叫びでもあった。
抑えきれないオノチンの感情が、言葉を失いただ唇を噛みしめるだけの無能な私に、そしてイノマー氏の事は勿論、仲間と言える友の大切さ、いのち、生きる!という言葉の凄まじさが、改めて私の心に突き刺ささった夜でもあったのです。
20年もの長い間、ありがとうオナマシ。そして夢みるイノマーよ!充分親孝行してくれたよ!
その日から、2ヶ月後覚悟の知らせが届いたのでした。
2019年12月19日永眠。享年53歳。
以下の文章は、オナマシ祝20周年フェスティバルの為のコメントです。
20周年はまだまだ途中の道程(童貞)
私がオナニーマシーンを初めてみた時は、田口トモロヲの時もそうでしたが、その行為に人糞の畑から引っこ抜いた食材を洗いもせず、いきなり口に放り込まれ、苦く、泥と土の味を口いっぱいに感じながら、止むを得ずジャリジャリジャリジャリ噛み締める。 この味は、このステージは、この行為はなんじゃらほいと戸惑っているうち、図らずもいつしか飲み込んでいる自分がいたのです。
お客を見ればダイブの連続!まるで運命共同体的な感情の高まり合いはなんなんだ!決して用意周到に演出されたステージとも思えない。
しかし、このエネルギー源は、母の胎内で行われる受胎という名の奇跡への賛歌でありながら、それ以上に踏み潰されたモヤシのように、叶わぬまま果てゆく精子たちへのレクイエム、ましてオナニーであれば、尚更である.。
イノマー氏に音楽でお客を満足させているのだから終わりのセレモニーは不要ではと聞いたことがある。
彼は “これが今夜のステージ全てを完結させる表現なので” とはにかみながら言っていた。それ程に自分を晒(さら)していたのである。
あの当時、現実は若者のロマンをゾクゾクさせるために充分であり、夢はその現実を飛び越え、未来を己の手に握ったと錯覚するほど魅力的な時代であった。
お互い私はラママを、あなた達はしばらくしてオナニーマシーンというバンドを結成した
時は過ぎ、時は変わり、時はやがて夢みることを忘れさせていった。もはや現実は未来を予言することすらやめてしまっている。ならば我々は、まだまだやるべきことがたくさんあるはずです。
オナニーマシーンは、黄昏ゆく砂利道を一杯に広がって歩く姿がよく似合う。
オナニーマシーンは、高層ビルの谷間より、板張り路地裏で戯れ遊ぶ姿がよく似合う。
優しさ溢るるあなた達。 そして友と呼べるあなた達。 いつまでもラママで愛溢れるステージを見せていただきたいものです! 祝20周年!!ウィンク!
彼の病状を知る私には、キツイ内容、せめて3年前であれば心から祝福できたのに、、、無念の極である。
イノマーよ!サヨナラは言わない。
明日また会おうラママで、夢翔する君と!!
追記
葬儀の時、竹内まりやが流れていた。思わずハットしたことを覚えてる、、、。多分彼の選曲だろう、、、。
やがてこれは葬式のロケ現場、私も出演者の1人と錯覚する程不思議な気持ちになったのは何故だろうか?
オナニーマシーン・イノマーの写真で検索してみてください。気の置けない心の通いあった写真の数々、私の表現より数倍素晴らしい連中です。 「友を知れば、彼を知る。」です。
ークレイダーマンのMariage D amouを聴きながらー
今夜は、感傷に浸りきる!
月日、季(トキ)を迎える度に、まだまだ書き足りない付け足したい気持ちがわいてくる。 表紙の写真は、イノマー氏と峯田氏(無断で写真を載っけてしまってスミマセン。)
(6)45坪のオールウェイズ、次回
第三章 【今も昔も・夢ものがたり】2 JUN SKY WALKERS と育てた男 (人間皆こうしたもの前編)予定