【短編小説】 いつかの空が
”窓を開くと外は雪国だった”
違うな。窓は開けない。
”カーテンを開くと雪国だった”
はて、初雪の感動は伝わるだろうか。
一夜にして季節は変わる。
”開けば、白が覆った街だった”
何の事か分からんか。
“カーテンを開けば、白が覆った街だ”
なかなか詩的な感じはする。
状況は分かるが、情緒はない。
“舞い降りる雪。朝は冬になった”
”冬は朝になった”の方がいいか?
分からなくなる。後は、好み。
“雪に遠くの人を想う”
悪くない。平均の味だ。
普遍的で凡庸。
僕にだって思う人はいるから悲しくなるのか。
いないから満ち足りて、言葉を綴れるかは分からない。
言葉を選ぶ作業。所持する単語で、新たな景色を試みる。有り合わせの食材が詰まった弁当箱を明くる日、開く瞬間を待つ。
例えも違うか、表現は難しい。
“冬が来た”
それでいい、簡潔で。
「冬は朝になった」
道を行く朝の景色を思う。
君は出勤するだろう。子は学校に向かうかもしれない。既に自転車通学は禁止されているだろうか。経験でいうと期間は11月一杯。遠い記憶だ。
幸せな一家、話にだけは聞く。
かつて近づきたかった身体の傍らにいた男。
この頬を殴った左手。
「利き手はお前には勿体ない」
粋がり。見返す強がり。
あれだけの気概はあった。
「誰もお前を相手にしない」
陰口ではなく、直接の脅しを彼は言う。
向こう見ずな態度。
共にいれば楽しかった。自分まで強くなった気がした。
同じ帰り道を時に猥談した。罪のない少年の退屈、僕らは無力だった筈。春が来れば、なぜか違う場所にいた。同じ高校で、僕は受験の敗者、彼は場に妥当だった。中学時代、僕が彼らをバカにしてきたと感じていたのだろう。
いつも、ただ必死で自分の為の人生を探していただけだった。立ち位置さえ分からない闇に。
僕は彼を許すだろうか。
忘れる、ということ。
それさえも。
「冬が来た」
東京の僕を思った。
北国の低気圧をどれだけ人は知るだろう。現在、どう思うだろうか。足蹴にした田舎町を、一生訪れることのない道端を。中央と地方の話をしたいわけではない。対立と依存を、あるいは、そこにある交流を僕は知らない。
言葉だけだ。
「雪に遠くの人を想う」
脳裏では計画的に進んでいた。
有能な社会人は海の向こうにいた。大都市で安穏と生きる僕だった。困難を経験し、ある程度諸々を克服し、人生と上手く付き合えるようになった姿を想像する。
置き去りにされた僕が、いつか、包みを開けなかった人生だった。
「窓を開くとそこは雪国だった」
幸せは彼方の世界にあったのか。海の向こうで僕は自立したか。
それも嘘だ。行き詰まって、そして文字通り死んでいただろう。雪を降る度、誰かに思い出される特権を世に残したまま。架空の世界。亡き人を想う不幸と幸福の狭間で、少しは長い息の根で記憶と共に生きられた。
奇跡の物語は現実だろうか。誰かの心に自分があったこと。それも良い。僕の精一杯だ、そんな気がする。自らを大袈裟に捉え過ぎかもしれない。
「開けば、白が覆った街だ」
雪を感覚する。
あるいは、長い文章の果てに見出だせる。
多元的に僕がどこにいて、どこにいるのか。
溜め息を吐かず呼吸する。
傘を差さず、雪を歩く。
「どこまで行っても言い訳ばかりだ」と僕は言う。
「二人で話してるばかりでおかしくなってるのさ」
そう、僕は笑う。
「最近、叔父が楽しそうにガンダムの話ばかりしてたの思い出す」
「楽しそうだったな。あれでも合わせてくれてたんだろう」
「楽しかったか?」
僕はかぶりを振る。
「覚えてないが、思い出せないから嫌ではなかったんだろうな」
「嬉しかった、俺は」
「空気は伝播する」
それで僕は苦しんだ。悪貨は全てを駆逐する。
「俺には楽しい話ないよ」
「道内は、雪降ってんだろ?」
溶けて飲み水にならず、汚れる。
「じきに消えるだけだ」
「あるだけいいだろ」
無為に生き、やがて跡形もなく消える存在を許すだろうか。
「ちょっと、歩いてくる」
「帰ってくるよな」
「ああ」
「どこに?」
その奥の方。
「どこにもない場所だ」
意味深に言う。浅はかに聞こえる。
「次の冬まで待つ」
声は出た。
何を意味する宣言なのか、僕には分からなかった。
「絵はがきでも書いてるよ」
「そんな趣味か?」
「どんな趣味でもいい。生きている」
強いな、と僕は思う。
「ついてこれる早さで歩いていけよ」
「目印はないが、わかるよな」
僕は言った。
決め台詞にしては、完璧には決まらなかった。
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