60でも、45でも、許せるように。
『次のパート先でも仕事ができなくて辞めることになるんじゃないか…』
『絶対に、上手くいかないに決まってる…』
その強い考えに囚われて、苦しくて苦しくて、昨日は病院に行きました。
今の主治医の先生と、色々と話をする中で。
「あなたの今までのカルテを見ると、以前に◯◯先生がADHDだと診断したみたいに書いてあるけど、こうして話を聞いているとADHDっぽくないよねー。
なんでADHDって言われたんだろう…」
「ADHDの解説を見ると“これは自分のことだ!”って、大概の人が少しずつ当てはまるように書いてあったりするんだよー」
「何度か(受診して)話を聞いているけど、あなたは100か0かでしか考えられない完璧主義な性格なのかもしれないって思うね」
「あなたはADHDだと言われて、どんどんそっちに自分を当てはめていって、自分はADHDだ、だからできないんだという考えになっちゃってて、それで自分で自分を苦しめてるって感じがするよー。
本当はまあまあできているのに、100じゃないから「0だ!もうだめだ!」って。
だって、完璧主義だから。
でもさぁ、(仕事で)一回言われただけで覚えて、次からは一人でやってもらうだなんて、ADHDだとか関係なく、そんなの誰でも無理だよ?
だから、そうやってあなたに言う人は、自分が一回で覚えたわけじゃないってことを昔のことすぎて忘れてしまっていて、自分は一回で覚えたという記憶違いをしているんじゃないかなぁと思うよ」
そして、
「発達障害というくくりで言えば、ADHDというより、アスペルガー症候群の気質があるのかもしれないねー」
と、ノーマークだった『アスペルガー症候群』という言葉が出てきて。
アスペルガー症候群についてはもちろん、よーく勉強していて知っている。
でも、自分が当てはまるというのは、考えたことなかったな。
アスペルガー症候群って自閉症の一種で、自分が自閉症だとは、全く考えたことがなかったからね。
自閉症についても、すごーく勉強してるから。
(娘が自閉症スペクトラムだからね)
そして、不思議なことに、自分はアスペルガー症候群ではないか?という気持ちでアスペルガー症候群の特徴なんかを調べると、たしかに当てはまるんだよな…(笑)
発達障害って、誰にでも当てはまるのかもしれない、本当に。
私はたしかに「100か0か」みたいな性格ではあるとと思う。
すぐ死にたくなっちゃうのも、そうなのかもしれない。
「生きにくい。だからもう死ぬしかないんだ」みたいな。
そういう思考のクセやパターンみたいなものを、自分で気づいて、少しずつ崩していくしかないのかも。
「100できなくたって、それはつまり0だってことじゃないんだよー。
60くらいできていればいいじゃない?
学校のテストだって、60点とっていれば赤点にはならないじゃない?
100か0じゃないんだよー
いろいろあっていいんだよー」
…とのことなので、100に固執しないで、60の自分も、なんなら45とかの自分も、許してあげられるように変われたら楽になれるかな。
そんなふうに、思えた昨日の通院でした。
(いい先生やね…)
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