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クリスマスが近づいた

12月25日がキリストの本当の誕生日とは関係ないということを知ってもうどのくらい経つだろう。

それでも世間では毎年この時期には赤と緑の飾りつけがあらゆる場所に見られる。とても輝いて美しいけれど肝心の救い主のことにはあまり関心はないようだ。

私は逆にこの時期のクリスマスに興味がなくなってしまった。ワクワクすることもなくなった。ただしそれは救い主への興味を失ったという意味ではない。礼拝する気持ちは昔に比べてさらに厳粛に、さらに強くなっている。(だからこんなこと書こうとしている)

ところでクリスチャンでない方にとって、キリストの救いがなんであるか、何から救われるのか?ご存じでない方も多いだろう。なんせ日本では知る機会が少ないし、聞いたことがあっても正確ではないことも多い、無理もない。

はっきり言うといわゆる現世でのご利益とは程遠い。

罪の入ってしまったこの世界は滅びにむかっており、その終わりはいつか来る。その終わりとは人類による神への背きに対する神の怒りが地上に降り注ぐというもの。黙示録によれば天変地異やその他の悲惨なことがおこり、多くの人々が苦しんだり滅んだりする。

その怒りから逃れられるというのがキリストの救いなのだ。なぜキリストが神の怒りから私たちをお救いになることができるのか?

それが十字架だ。神が自らそのひとり子を地上に遣わし罪人である私たちの代わりに死刑を引き受けてくださった。罪のないお方が罪人の身代わりとなられた。だから、助かることができたのだ。これを信じるかどうかの選択が迫られる。

すでに信じた者たちはその日まだ生きていたら空中に挙げられる。もしすでに死んでいたらよみがえってやはり空中に挙げられる。

もう世の終わりが来ようともその怒りを恐れる者でもないし、またある日突然の恐怖に驚くこともないのである。「信じるものは救われる」とはこのことなのだ。

その後神は世界を新しくされる。

そして私たちをお救いくださった御子キリストが「全世界の本当の王様」として私たちを直接ご支配してくださるのである。これが神の御国である。

そこにはもう死も病気も裏切りもない。私たちを訴え、罪へと誘惑する闇の力は滅ぼされる。絶え間ない感謝と賛美が続くだろう。神の王国である。

約2000年も前であるが

粗末な家畜小屋で飼い葉おけに、真冬ではないクリスマスに、その神の御国の王は人の姿で赤ん坊として誕生した。

身代わりに死にわたされるために生まれてこられた、真の王なのだ。

彼は一度確かに死なれたが、三日目によみがえり、今は天におられる。再び来られる準備をすすめておられる。

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