アダム誕生
彼は最初の人だ。
神によって地上のちりでつくられたとされている。
猿のようなものからだんだん人間になったとは書かれていない。信じようが信じまいが私たちは神の力とことばによってうまれた。
何も考えず生まれるだろうか。産み出せるだろうか。私たちはだた1枚の絵ですら写真ですら ああでもないこうでもないと心に描いた通りを実現しようと苦心する。
よくできているではないか。私たちのこの手も、目も、言葉も。私たちはクリエイティブの頂点である神に似せてつくられたからいろいろつくるのが好きだ。思い通りに、理想通りに、気に入るように工夫する。
それならなおさら生きた人間をつくるのに神はどれほどの工夫をし理想を込めてつくられただろう。
さて完成したアダム。彼には高度な知性が与えられていた。さきに整えられていた美しい環境と、そして動物たち、さまざまな魚や生き物たちに名前を付け管理した。神との共同の作業で、彼の活躍は神をどれほど楽しませただろう。やがて妻エバも与えられた。
私たちは互いに愛する。支える。強く優しい人を尊敬しときには弱いものを守る。このように正しく生きるとき私たちには喜びがともなう。
それなのに現実はなぜうまくいかないのか?なぜ怖がったり怒ったり不安になったりするのはなぜか?
なぜって、自分たちに与えられたものに限りがあり、安心するには少なすぎるから。他人の成功は自分の立場をぐらつかせる。あの人が他の人にやさしくしてると私に魅力がないような気がして腹が立つ。いや、自分の本当の姿を見せられて嫌になる。いくら努力してもまともなことだけやってたんじゃそれに見合うお金がかせげない。だからウソついた。バレたくなくて自分を変えた。
私たちは互いに少しでも楽に、長く、いい目を見たい、だから蓄えられるだけ蓄え、着飾り、他人に差をつけ、バカにされないように、くやしい思いをしないように必死に生きても、、、最後は死ぬのだ。
いやだろうがなんだろうが抜け出せない。どうやったって例外はない。神がおられるならどうして、苦しめて終わり?私に何を求めておられるのかさっぱりわからない。もう嫌だ、考えたくない、待てよ?そうか、神なんてそもそもいないんだ。
いや、違う。
神がつくられた世界は、はじめは完ぺきだった。死が世界に入ったから、命が永遠でなくなったから、人々の心は冷え込み、こんな世界になってしまった。これが罪の結果というものなのだ。
アダムを最高傑作としてつくられた神はアダムがこんな世界に住むことを望んでいなかった。アダムを愛された神はその子孫である全人類をも愛しておられる。もし神がこの世を、私たちを、もう要らないと思われたならいつでもこの時間も、いのちも、命のこの循環も止められるのに、そうなさらない。
愛しているから、次の世代が生まれるんだ。私たちに子供が産まれるんだ。
神に愛された者たちが住むのにふさわしい世界を、神は再び創造される。神はもとの世界に戻される。死が入る前のような世界に。そのためには今の世は終了する。
神に愛された者とはだれなのか。イエス・キリストを愛する者たちのことである。