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わかった人から、ニヤリ。

さて、普通ならこんなことは無理だ。私だってバカにされてニコニコできるような人間でも何でもない。

しかしだ。私たちはなんでも「バランス」ってあると思うんだけど、著しくバランスを欠いてると、整えたくなるのが自然な感覚じゃないかな。

たとえば、みかんが5個あったとして、私が今回3個もらい、友達は2個になった。次回に再び5個のみかんがあったら、次は友達が3個で私が2個で、なんだかスッキリ気持ちがいい。

もし子犬の兄弟がいて、一番末の小さい子がいつも端っこでママのおっぱいを十分もらえてないようなことがあったら、その子だけ後で兄弟と離して飲ませてやろう、なんて思うかもしれない。

もしも、神様がいて

遠くから私たち一人一人をそんなふうに見ていたら、この世でいい目を見ることができなかった子を天国では思いっきりかわいがってやろうって思うんじゃないかな。

ルカの福音書も言っている。

「人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているからである。
あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ。飢えるようになるからである。あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ。悲しみ泣くようになるからである。(6:22-25)」

そうゆうやつ。

ここで言われている「あなたがた」とはキリストを信じる人のこと。つまり、クリスチャンのこと。

キリストを信じることは、神にとってよいことであるし、神の子としてもらえる。よその子に悪いことをされているわが子を神は見逃さないでしょう。

そしてそれをわかっていて”右の頬のあと左の頬も出す人”は確かに今は痛いが、あとから神に「よしよし」されることを知ってる人。

極端に言えば頬を打たれながら後ろ向いてベロだしてるってことなのかも。

さあ、信じられない人にはバカバカしい話だろう。しかし信じる人にとっては「畑の中の宝」「よい真珠を見つけた商人」だと思う。

だから知らせたくて私は書いている。


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