【日記】男女の友情は成立するのか

男女の友情が成立するのか。
これはよく聞く話題ですね。

いろんな意見があって正解はないと思います。
その前提のうえで私が思うことについて書きたいと思うます。

まず結論から言うと「これ男女の友情は成立するけど友情ならマジョリティーな人は同性といる方が基本的に楽しいんだろうな」です。
あくまでマジョリティーな人らのことです。
例外もある前提です。

こう思った経緯について書くと、私も元々男女の友情って成立するのもなのかわからなかった人間です。
仲の良い男性はいても気軽に距離感詰めるのにはなんとなく抵抗あったり、何人もいる時は普通でも2人っきりになる瞬間があるとなんとなく異性として意識してしまったり。
関係を発展させるつもりはないにせよ、じゃあ間違って意識させないようにしなきゃとか考えて「私たちは友達の距離感」というのを分かりやすく明示しまたされることで、初めて安心できる友達の関係性になれるような感覚がありました。
パートナーがいる人ならそもそも必要以上に近づくのがおかしいので距離を離しても自然ですが、お互いフリーだと線引きは意識してました。
これは全然嫌いとかではなく、むしろ大好きな異性ではあるけどその「大好き」はあくまで何人かでつるんでるうちの1人として、みたいな人らが対象です。
つまり仲良くない人やそもそも無理な人、あるいはむしろ異性として好きな人あたりはまた別の話です。

前置きが長くなりましたが、そんなかんじで「男女の友情って成立するんだろうか?」と考えていましたが、ここ最近になって最初に示した結論に辿りつきました。

理由の一つとしてまず仲の良かった人らの既婚率が高くなったことによる雰囲気の変化です。
私の学生時代の友人らとは性別関係なく昔から遊んでいましたが、年一くらいでしか集まらなくなって既婚者も増えると、変にお互いを異性として意識しないようにする心の緊張もなくなり、以前よりもなんとなくフラットに接することができるようになった気がします。
そうなるとどうなったかと言うと、どちらかと言えば自然と同性同士で固まることが増えました。
なんか、パートナーを欲する人たちの世界から解放されると、結局女子は同性と喋ってるのが楽しいし、男子は同性と遊んでるのが楽しいんだろうなと。
みんなでわいわいする時間は楽しいけど、それはそれとして普通につるむのには感覚が近い同性がいいんだろうなと。
30歳も近づいてきたここ最近はそうした変化を強く感じるようになりました。

理由の二つ目は、子育てを終えた両親の変化です。
家族として、家にいるのや旅行に行くのは2人でいいんだと思います。
でもじゃあ父親は休みの日に何をしているのかというと、何年も会ってなかったような学生時代の友人とまたつるむようになって一緒にしょっちゅう釣りに出掛けています。
母親は仲の良い数人のママ友らと一緒に人形劇や読み聞かせのボランティア活動をしています。
なんか、それが楽しそうだし自然に見えるんですよね。
思えばおじいちゃんやおばあちゃんも基本的には同性でつるんでいるイメージあります。
つまり異性と積極的に交わろうとするのは基本は10代〜20代あたりだけで、それは子孫を残そうという本能から来てるんだと思います。
なので異性と友達のように接しようとすることそのものが、実は稀有な時間だったんじゃないかと今は考えたりします。
だって30が見えてくると友達なら基本同性でいいやとなるし、もし出会いを見つけるのであればもう最初の方から結婚などを考えるのが当たり前の年齢です。
もちろん趣味や仕事を通じて新しい異性の友人ができないと思っているわけではありません。
むしろ広がっていってる人だって普通にいると思ってます。
なのでこれはあくまで「基本的には」のはなしです。大事なとこです。

そんなわけで男女の友情について語ってきました。
まとめと結論としては

・男女の友情は成立する
・でも基本的には同性でつるむのが自然
・本能や社会的な視線からこのあたりがぐちゃってしまいがち
・今回の話は全部異性として接してる人(惚れてるあるいは惚れられているみたいな感情が伴っている人)は例外

こんなかんじですかね。

二十代、もう大人になったのだから今あるものは大した何も変わらないと思っていましたが、意外と何かが変わるもんだなと感じる今日この頃です。
でも正直惚れた腫れたの世界が苦手だった私は今のこの環境が昔より心地いいです。
なんか小学校高学年くらいの、男子は男子、女子は女子で普段は仕切られてるようなかんじ。でもピリついた空気は取っ払われてるかんじ。
好きな人らを好きだと言いやすい世界でずっと生きてたいですね。

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