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シッポを追いかけて


夜な夜な文字を書き綴っているのは、言葉のことが分からなくなっているからだ。

文字を書いているのに言葉のことが分からないなんて、おかしな話でしょう?


自分でもそう思うのだけど...

話そうとすればするほど

書こうとすればするほど

纏めようとすればするほど

使い方が分からなくなってしまう。



私が知っていたはずの言葉はどこだ??


だからこんなふうに、摑まえていたはずの言葉を取り出して、よくよく眺めてみている。

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おそらく小学生の頃には自覚症状が出始めていたのだ。


家にある親の本を盗み読んでいたあの頃は、もう言葉に対する疑問と渇望を閉じ込めておくことはできなかったのだろう。


中学生時代は、図書室の本を手当たりしだい読んでしまう発作を起こした。

そのせいで校内ナンバーワン図書室利用者で表彰されてしまう。


どこにやったか覚えていないが、記念品に国語辞典をもらった。



あれをもらったのは最悪だった。



殆ど全部の文字を読まずにはいられなかったから、治癒するきっかけを完全に失った。


辞典を読むのはビブリオフィリアの症状らしい。

それ以外にも、

思っている以上に本を買い過ぎて、お金が無くなる。

買った本が重すぎて、持って帰ってこられない。

本屋から出てこられなくなってしまう。

下手すると一日中本屋に居る。

シリーズものはすべてを読まないと気が済まない。

もう要らないだろうと思って捨てたのに、また読みたくなって再購入する。

同時並行で数冊を読んでいる。

未読の本が積んであることに幸せを感じる。


そう、私はいまもなお、この症状に頭を悩ませている。

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そのころ私の症状は、読むだけでは治まらなくなっていた。


文化祭間近の文芸部の顧問が、私の症状を知って文芸部誌の短編を書いてほしいと依頼してきた。


部員でもないのに書きたい欲求を抑えられず客員投稿してしまい、症状は進行してしまったのだと覚悟を決めた。


ところが、高校を卒業したらピタリと書き物の症状は治まった。


書き物をする仕事に就いたからだ。


文章を書く仕事と聞いて、看護師を想像する人は少ないと思うが、それは間違いだ。


多くの看護師は学生時代から、文章を書くことに追われている。


受け持ちや関わった患者さんの状態は、すべて記録として文章に残しておかなければならない。それは学生時代の実習でも同じ。


ケアをする以外の時間を確保するのに苦労するくらい、なかなかの量を書く。


そのおかげで、余計なものを書かずに済んでいたと知ったのは、最近になって看護師の仕事を辞めたからだ。


どうやら禁断症状らしく、こんなカタチで発作的に書き物をしてしまう始末。

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たぶん、文字にはシッポがあるんじゃないかと思ってる。


ついさっきまで、そのシッポを摑まえていたような気がしたんだけど、
気が付いたら手の中に居ない!


うっかり使っていると、いつのまにかスルリと身をかわされていて、途方に暮れる。


どんなふうに伝えたらいいか?

どうやって書いたらいいのか?


途端に言葉が分からなくなってしまうのだ。



今度こそ摑まえてやる!!



そう言って私は、スルリと身をかわして居なくなった文字のシッポを追いかけている。


文字がたくさんいるところに身を隠しているに違いない。


私は、これかあれかと本を手に取り、ページをめくり必死に読む。


あのシッポを捉えて言葉を摑み、今度こそ疑問と渇望のない安心した終末を迎えたいものだ。


安心....?


安心とはいったいどんな意味だっただろう.....


見え隠れするシッポに翻弄され私はまだ彷徨っている。

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