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パーカーが教えてくれた、「なんでもいいよ」。

先日、インスタグラムでこんなことを書きました。

「自分らしい」とか「私らしい」という言葉に縛られていたなぁと思いました。
でね、この要因ってなんだろう? って考えてみたのです。
そしたら、女性誌畑にいたのが要因のひとつかもなぁと思いました。

私らしいーーこの意味って、「みんなと同じでなくていい」「あなたはあなたでいい」というメッセージが本来は根底にあるはず。
10年くらい前、私が編集部に在籍していた頃は、対抗誌は「●●ちゃんOL」「××ちゃんOL」「モテ服」「モテメイク」みたいな見出しがほとんどでした。雑誌が押し出すスタイル、みんなに好かれるスタイルを目指せ!みたいな……。
そんな、「みんなと一緒に〜〜」から脱却していいよ、というメッセージを込めたのが、私が在籍していた編集部だったと思ってる。
だから部員として働く7年弱、「私らしい」みたいなフレーズを多用したし、読む人の「私らしさ」を引き出す企画を考えたし、私自身も「私らしい」ページを作るために頭を使ってた。
会社を辞めてフリーになってからは、多くの雑誌が「自分らしさ」を応援するようになったと思う。ここ数年は、ジェンダー問題とか風の時代とかも相まって、「自分らしく」みたいなフレーズが一般的にもなった。


そんなポジティブなはずの「私らしさ」という言葉に、私自身が縛られてしまってた! と、パーカーを通して気づいたんですよね。

言葉が武器になるというのは、SNS時代の今、よく言われることだけれど、これって、マイナス感情を持つ言葉だけじゃないなと思ったんです。
ポジティブに捉えていいはずの「自分らしさ」が、私にとっては見えない檻になっていた。

パラドックスだし、堂々巡りな話なので結論なんてないのですが、
私らしくありたい! 私らしさを知りたい!ーーそんなのどうでも良くない?!って思ったわけです。
パーカー着てテンションあがればそれで良くない!? 
私らしさなんて、私だってわからないよ! 
今日の私と明日の私は違うし、変わっても、変わらなくてもいいよ、って思ったのです。

書いてたら結論が出てきましたね。
たくさんの言葉が自然と目に飛び込んでくる日々だからこそ、
自分にかけてあげる言葉は、「なんでもいいよ」が一番いいな。
そんなふうに思います。



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