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#1ヶ月書くチャレンジ Day5:センチメンタルジャ〜ニ〜♪
いしかわゆきさんの著書「書く習慣」を読みました。巻末にあった1ヶ月チャレンジにトライします! 自分のことが書くのが苦手な私、がんばれ! レッツトライ!
5日目のテーマは、昔はどんな子どもだったか、です。
ひと言、言い表すとすれば、引っ込み思案な子、でした。
とにかく新しい人と話すのが苦手でした…。
引っ込み思案とか、人見知りな記憶を手繰り寄せて思い出すのは、4歳の時幼稚園を転園したときのことです。父の転勤が決まり、都内から千葉に引っ越しました。それまで通っていた幼稚園から新しい環境に慣れるためなのか、下見みたいな感じで母と新しい幼稚園に行ったのを覚えています。
その時、みんなが走り回って遊んでいるなか、私は誰かに声をかけるということはできなかった……。そこで母が、近くにいた女の子に話しかけてみたけれど軽くあしらわれたーーそんな光景を見ていた記憶があります。
でもこれが引っ込み思案になるのか? と今41歳の私は思うわけです。
だって初日だよ!
大人だって転職して1日目はなかなか馴染めないよね…と。
じゃぁ、どうして私が子供の頃は引っ込み思案だったと思ったのか考えてみました。するとぼんやりと思い出されるのが「体ばかり大きいのに引っ込み思案で〜」と、母が誰かに話しているセリフ。
今、思いました。
この母の言葉が呪縛のように「引っ込み思案な私」を作り上げていたのかもしれないな、と。4000g弱で生まれたし子供の頃から体は大きかったので、体が大きい=引っ込み思案ではいけない、みたいな観念を自分自身で取り込んでしまったのかもなぁと。
「引っ込み思案」というのは、母がみた世界の話だったのに、「そうあらねばならぬ」と信じちゃったんですよね。
もうひとつ、子供の頃のエピソードでよく覚えているのは、転園先の幼稚園で描いた節分の時の鬼の絵のこと。どんな鬼を退治したいの?とか先生に聞かれたのだと思うのですが、その時、泣き虫鬼を退治したい、と言ったことは朧げながら覚えています。あの鬼退治以来、本当に泣かなくなりました。今となってはもっと泣いていいのでは? と思うくらいに泣かない人になってしまった(涙)。
きっと、あの頃からなんとなく「大きい私は強くあらねば」みたいなものが芽生えたのかなぁと、これを書いてる今、思います。
本来はすごくやさしくて、ウブウブでいじらしい子だったのに……。
そしてこの「強くあらねば」で私はここまで生きてきたように思います。
でも最近、やさしくていじらしくてウブウブの私がまた、大きくなってきている気もしているのです。
こうやって書くチャレンジをして自分を晒すのもそのひとつです。
子供のときに脱ぎ捨てた。というより、変わりたくて重ねていった服やら鎧やらを、41歳になった今、脱ぎ捨ててきているのかな……。
なんか、そんなことを思いました。
本当は、もうちょっとライトにポップに書きたかったのに、今日の原稿はセンチメンタルジャーニーですね。(次の記事をアップするまでプロフィール画像をウブウブ時代の私にしてますので見てください☆)