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「農家と直接つながる意味~生きていくために」新規就農への記録・その40
最近、こんな話題をネットで見ました。
「もっと消費者は、
農家と直接つながるべきじゃないか。」
なるほど。
ちょっと自分の考えも、
少し書いてみたくなりました。
千葉から新潟に来て、
はっきりとわかったこと。
今、農業に従事している人たちは、
60代から70代、80代の人たちが圧倒的に多い。
あと5年、少なくとも10年もすれば、
農業を支えている人たちはぐっと少なくなる。
そのことを肌感覚で感じます。
別に農業に限ったことでもなくて、
全国的に、運送、建設、製造、介護、医療、教育…
どの分野も人不足。
それもそのはず。
子どもたちの数が、
ものすごい勢いで減っている。
減っているという言い方は
正しくないですかね。
ええと、
出生率が下がる。
子どもが結果的に少なくなる。
学校も、統廃合が進む。
その子どもたちが減るということは、
新社会人も毎年減る。
働く人が、減る。
まさに、負のループ。
人間が生きていく上で必要なことは、
最低限、水と空気と食料が必要です。
水と空気は、
直接的に増やすことは難しいけど、
食料は、
意図的にかかわることができる。
だけれども、
働く人、
特に農業に携わる人が少なくなれば、
生産量が確保できない。
機械化、無人化。
あらゆる場面を省力化できたとしても、
必ずどこかで
人の手は必要になってくる。
その担い手が確保できないのであれば、
衰退していくことは止められないと思います。
あと、作物を育てるための肥料、
機械を動かすための燃料。
それらが手に入らなければ、
大量生産は難しい。
また1000円キャベツのようなことが
頻繁に起きてくると思います。
でもそのほとんどを輸入に頼っている。
そして、種。
種も9割を輸入に頼っている現実。
そして、
F1種と言われる種が主流であり、
そのF1種は一代限り。
出来た野菜から種は採れない。
もはや、
自給することはとても困難で、
「輸入ができている」から、
日本の農業は成り立っている。
輸入が止まったら、
この国は食べ物を作れない。
大きな自然災害もなく、
どの国とも仲良く過ごしていければいいけれど、
現実的にそれが可能かどうか。
生活していく上で、
物質的にも、経済的にも、
暮らしは満たされてきたかもしれないけれど、
でも、食べることができなければ、
生きていくことができない。
でも、食べ物は身近にあり、
お金で買えてしまうから、
余った食べ物を捨ててみたり、
食べきれないのに買ってしまったり。
そんな生活に慣れてしまった。
本当の豊かさってなんだろう。
そんなことを、つい考えてしまいます。
まずはいきていくために、
食べるものを確保すること。
そのためにはどうすればいいのか。
まずは、自分で作る。
米はかなりの技術が必要だけれど、
野菜は案外、ハードルが低いです。
なんならプランターでもできる。
だけども、
きっとすぐに物足りなくなります(笑)。
どうせなら、
なんとか畑を借りた方がいい。
畑が無理なら、庭を耕せばいいんです。
こんな感じで!
…まあ、
やれないことはないですよ、と(笑)。
ただ、それは田舎だから、
土地があるからできるんでしょ、
と言われれば、確かにその通り。
千葉にいたときは、
私も庭なんてほとんどなかったし。
マンション住まいだったら、
庭そのものがないでしょう。
だから畑を借りたわけです。
プランターもね、
やってはみたんですけど、
やっぱりなんか、
物足りなくなってしまって(笑)。
でも、
大根とかじゃがいもとかじゃなく、
ミニトマトやナス、ピーマン、インゲンとかなら、
狭い面積でも繰り返し収穫できるので、
プランターでもいけると思います。
お勧め!
でも、仕事が忙しいという場合もあるでしょう。
私もそうでした。
50過ぎたら、
逆に土日の畑作業がリラックスできたけど、
20代、30代の時は、
もっと他にやりたいこと、
やらなきゃいけないことがあって。
家庭を持ち、子育てが始まると、
それはそれでとても忙しい!
そんな時は、
農家さんに作ってもらえばいいんです。
自分の代わりに、
お米や野菜を作ってくれませんか?と、
農家さんにお願いする。
まさに、事前に農家さんと、
定期契約するイメージです。
例えば、住む家や駐車場って、
月いくらで借りるじゃないですか。
その間は、建物や土地を、
自由に使えるわけです。
今風に言えば、サブスク。
音楽、動画配信なんかも、
月いくらで利用しているわけで。
これを農業に例えたらどうでしょう。
例えば、
お米のように毎日食べるものならば、
毎月定期的に配達してもらうサービスもあるでしょうし、
年間契約で、お米を確保してもらうことも有効でしょう。
消費者は、
去年のような米不足の時でも、
あらかじめ農家さんと契約しておくことで、優先的にお米を届けてもらうことができ、
農家さん側では、
春の段階でどれくらい作付けすればいいか計画を立てやすいし、
あらかじめ契約していれば、
経営的にも安定します。
農家さんも、
仕事として取り組むには、
お客さんの「数」が分からないと、
本来作りづらいはずなんです。
できるだけ、無駄なく作りたい。
生産者と消費者が直接つながれば、
そのような無駄はなくなる。
そして、互いに安心が得られる。
そのような支え合いの仕組みが、
お米に限らず野菜とかでも、
もっとあってもいいんじゃないか。
そんなことを考えるわけです。
ネットで調べてみたら、
それに近いような取り組みはすでにあるようです。
例えば、
新しい農業の形と呼ばれている「CSA」。
すみません、
この言葉、今知りました(笑)。
CSA(コミュニティ・サポーテッド・アグリカルチャー)、
地域支援型農業というんですね。
「地域支援型農業」とは、
消費者が生産者に代金をあらかじめ支払って、定期的に収穫された農作物を受け取る農業の形。
<メリット>
〇生産者は消費者から事前に代金を支払ってもらうことで、生産・収穫シーズン前に借入をすることなく、種や必要な農業資材を購入したり、人を雇うことができる。
<デメリット>
〇事前に支払いを済ませていても、豊作が約束されるわけではない。
〇消費者が希望する農作物ではなく、そのときに収穫されたものが届けられることが多いこと。
要するに、あらかじめ
何らかの「定期契約」をかわすことで、
生産者も消費者もそれぞれに、
安心を得ることができる。
スーパーで買うより
値段はかかってしまうだろうけど、
そのことが、
農業を支えることにも繋がり、
互いの日々の安心にもつながる。
保険のような仕組みにも似ているかも。
自分も今、
お米はさすがに自分では作れないので、
農家さんと直接やり取りさせてもらっています。
今までは私も、
千葉に住んでいた時は
一人の消費者でした。
スーパーでしか野菜に出会えないから、
その野菜の姿と値段で判断する。
おいしさは、
食べてみないとわからない。
でも、その判断の「ものさし」が、
見た目とお金だけで
本当に良いのだろうか。
自分が生産者側になったことで、
いろいろ考えるようになりました。
今までは、
生産者である農家さんが、
「消費者のために」と、
一生懸命野菜を作ってくれていた。
まさに、手間と時間をたくさんかけて。
作りすぎてしまえば畑で処分したり、
見栄えが悪ければ、
薬を使ったりもする。
しなくてもいい背伸びもしてくれていたのではと思います。
「それが仕事でしょ」と言ってしまえば、
それまでなのかもしれないけど、
やはり農業は、
他の仕事とちょっと違うと思う。
特別な「役割」があるんじゃないか。
いわゆる、エッセンシャルワーカーだと思うんですね。
若者が
新規就農しずらい職業にしてしまった、
どこかで農家さんに
「甘えて」しまっていた部分が、
少なからずあるんじゃないかと、
自問自答しています。
これからの生き方として、
「農家と直接つながる」という選択肢は、
とても大切な考え方になってくると思っています。
自分も「はたけのいす」を通して、
長く続けられる農業の形を
これからも自分なりに
模索していこうと思っています。