LGB「T」にまつわるちょっとした話(2)
・トランスジェンダーが作ってきたクイアな文化の話…。
トランスジェンダーというと、現在の日本では性同一性障害のイメージを持っている人が多いと思う。ただ、性同一性障害という言葉が日本で一般化するまで(海外でこの疾病名称が一般化したことは一度も無い)日本に於けるトランスジェンダーで最も認知されていたのは『ニューハーフ』というショーパブ・水商売・セックスワークなどで働くトランス女性達だった。
・日本だけではないトランスジェンダー独自の文化
現在、男性同性愛者が使う『ゲイ』という言葉を使いだしたのは、アメリカの現在のトランスジェンダーの傘の下にある『ドラァグクイーン』『トランスジェンダー』と、男娼である『ハスラー』などの、セックスワークやクラブショーなどを生業としている人達でした。
ゲイという言葉の日本語訳は『陽気な人』ですが、その陽気な人が指すのは奇抜な感じで女装をしたりする『チャライ感じの人』といったイメージ。元々、男性同性愛者であるだけなら黙っていれば判らないので、ゲイリブが始まる以前にカムアウトする人は極々少数でそれらの人はホモセクシャルを名乗っていました。
一方でトランスジェンダーの傘の下にいるグループは、見て判る存在でさらに当時のアメリカでは反異性装の法律があり、女装することが犯罪であったために、自分たちの存在を肯定的に表現する『ゲイ』という言葉を使っていたわけです。
・日本のトランスジェンダー文化
戦後の状況では日本でも女装する人が認知されているという状況ではなく、セックスワークや水商売などがトランスジェンダーの主な働き場。また、海外と同じように社会から隠れて密かに異性装をするといった文化もあった訳です。
そして、フランス初のSRS(性別再判定手術)を受けたと言われるコシネルのショーが映画などで有名になり、彼女も在籍していたカルーゼル デ パリの公演が日本で行われます。これによりショーパブの文化が日本に到来、高度経済成長の最中で大規模キャバレーなども盛んだった頃で、「プティシャトー」や「ジョイ」などのショーパブが出現して、当時のトランスジェンダーが生きていく道の1つとして確立していきます。
・色々な呼ばれ方をしてきたトランスジェンダー
1960年代のカルーゼル デ パリの公演では彼女たちのことを『ブルーボーイ』と呼び、この呼称は1970年代後半まで使われます。そして、70年代のゲイリブを受けてゲイボーイという呼称が登場し、アメリカでゲイが男性同性愛者の言葉へ変化すると、男性同性愛者を『ハードゲイ』トランスジェンダーを『ソフトゲイ』といった呼び方をしたこともありました。
その後、Mrレディ、シーメール、ニューハーフ、21世紀に入り男の娘(おとこのこ)なんて言葉も登場。また、1990年代から、日本でもゲイで女装パフォーマンスを行うドラァグクイーンという人達の認知も進んで行きます。
・そんなトランスジェンダー文化の歴史が見られるイベントを開催!
というわけで宣伝です!日本におけるトランスジェンダー文化が花開いた1970年代から、その現場で働いてきたニューハーフの真理さんの話をタップリと聴けるプログラムを2月24日に開催します。
このプログラムでは日本のトランスジェンダーの歴史研究の第一人者である三橋先生が、真理さんが歩んできた歴史を解説しないがら、その時代を見てきた真理さんから、どんな事が起こっていたのか、テレビを始め多くのメディアにトランスジェンダーが登場してきましたが、そういった場では一切語られた事の無い色々な出来事をタップリと聴けるかつて無いプログラムです。
真理さん所蔵の貴重な資料も沢山紹介されるので、お時間ある方でトランスジェンダーに興味があるかたは是非、日曜日にアマランスラウンジへお越し下さい!