タイ料理に魅せられて:痛みと優しさのマッサージ体験
一年程前から、タイ料理にはまっている。
ハマっているといっても、タイがどこにあるかはよく分からないし、タイ料理以外にタイのイメージはない。何が有名かも知らないし、辛いものは食べられないのだが、イメージよりもタイ料理は辛くないものが多い。
私が特に好きなのは、甘い味付けのバッタイや、辛くないフォーやガパオなど、日本人にも馴染みやすいタイ料理だ。子どもとはタイ料理店に入れないので、大人のみの外食、特に友達と出かけたときが私のタイ料理チャンスである。
高校の時の友達には、もうすでに三回連続でタイ料理に付き合ってもらっている。ありがたいと思う反面、毎回タイ料理で申し訳ない気持ち半分、
「こいつ毎回タイ料理しか提案してこねぇな。馬鹿の1つ覚えめ」
と思ってるんじゃないか?と疑う気持ち半分だ。まぁ実際
「またタイ料理かい、頭タイにやられちゃったの?」と言われたしな。
タイ料理から、タイ古式マッサージへ
ある日、その三回連続タイ料理に付き合ってくれている友人に
「そんなタイ料理が好きなら、タイ古式マッサージに行ってみよう」
と提案された。私の脳内メモの「タイ古式マッサージ」の欄には「以前読んだBL小説で、ヤクザの親分と恋人が並んでタイ古式マッサージを受けてるシーンを読んだ。とてもよいBL小説だった、続きを期待」と書いてある。
肝心のタイ古式マッサージについての記載は特にない。私の心のメモは大体そんなものだ。タイ古式マッサージがなんなのか分からないまま、興味本位で行ってみることにした。
マッサージを受ける前に、タイ料理屋を食べてタイ気分を盛り上げる。バッタイとガパオをシェアして食べつつ、タイ古式マッサージについて検索した。最近流行りのAIくんによると
「タイ古式マッサージは、2,500年以上の歴史を持つ伝統的な治療法で、タイにおける医療の一環として発展しました」
とある。ヨガや整体などの手法を組み合わせたマッサージのようだ。
キリスト様が生まれる前からタイ古式マッサージは人々に受け継がれてきたのだ。2500年以上の歴史を持つタイ古式マッサージをこれから受けるなんて、楽しみじゃないか。友人と
「2500年って、中国4000年の歴史の半分だね~」
と、全く実りのない会話をしながら店にむかった。
あやしい店構えに、身構える…
「ここだよ、怪しいけど大丈夫だから」
と言われてついたそこは、雑居ビルの二階にあるらしく、店舗へ続く階段の下にマッサージのメニューの看板が出ている。その看板には
「当店では性的サービスは一切行いません!!」
「風俗店ではございません!」
と非常に目立つ様に書かれている。世の中に「マッサージ店=エッチなお店」という図式があることは、風俗未経験の私ですら知っている。
(これはフリではないのか?)
と疑っていると、友人は
「そうだよね、そう思うよね。でも違うから。勘違いした人がいたのかもね」
と店舗の階段を上っていく。建物自体古そうで狭く、急な階段だ。私は少し不安もあったが、経験者の彼女がそういうなら大丈夫なのだろうと、大人しくそれに従った。もし万が一えっちなサービスがあったら受けてみるのもやぶさかではない。なんでも経験だ。
店舗は非常に暗く、オレンジ色の常夜灯くらいの明るさしかない。広さは15畳くらいだろうか。カーテンで仕切られた4つの空間がある。ここにも
「当店は性的サービスは一切行いません!」
の注意書きが、暗闇でも目立つように書かれている。
(まぁ、こんなカーテンで仕切られただけの空間でエッチなことするお店はない…か…)
と少しの安堵感と、なぜかちょっとがっかりした気持ちでいると、タイ人女性が二人、笑顔で出迎えてくれた。
「予約か?」
と聞かれたので
「すみません。二人で予約していないんですけど…」
と友人が言うと、タイ人女性は
「今、いっぱい。あと30プンしたらきて」
というので私たちは適当に時間を潰し、言われた通り30分後に店舗に戻った。
タイ人女性はカタコトながら、笑顔でコースや金額などを説明してくれた。嫌な感じが一切ない。私は、言葉の通じない異国の方とのコミュニケーションは得意ではない。むしろ言葉が通じる日本人との交流も苦手だ。しかし、タイ人女性の優しさというか、抱擁感というか、なぜか母性と安心感を覚え、カタコトの日本語か心地良く感じた。
私と友人は「60分5000円」というコースを選び、お会計を待つ間、
「60分もマッサージしてもらったら途中で寝ちゃうかも、でも寝たら勿体ないよね」
と友人に言うと、彼女は
「うーん、寝れないと思うよ」
とニヤッと笑ったのだ。その言葉に私が首をかしげると、
「やってみたら分かるよ」
と言うだけで詳細は語らず、それぞれカーテンの中に通された。
いざ、タイ古式マッサージ
服を着替えうつ伏せで待つように指示されたのでそれに従うと、さっき会計してくれたタイ人女性とはまた違う女性が
「よろしくお願いします、でははじめます」
と足裏からマッサージをはじめてくれた。
どんな風にマッサージしているかは見えないが、おそらく肘で足裏を押している。普通に気持ちいい。寝てしまいそうな心地良さだ。友人の「寝れないと思うよ」という言葉はなんだったのか?と思いながら足裏の心地よさを感じていると、女性が私の背中を跨いだのを感じた。今度は肩~首あたりのマッサージに移るようだ。私は肩や肩甲骨辺りが痛むことが多いので、待ちに待った部位のマッサージに期待して目を瞑った。
次の瞬間、私はあまりの痛みに目の前に火花が散ったのを感じた。女性は、肘で私の左の肩甲骨辺りをグイグイと押し込んできたのだ。
(え?何これ?痛すぎるけどこういうもんなの?この程度の痛みで騒いでたら恥ずかしい?)
と考え、「痛い」と口に出せずにいた。
しかし、右の肩甲骨辺りも同じように押し込まれたとき、
「い、いてぇ…」
と口から出てしまった。タイ人女性は
「いたいか?」
と少し笑いながら、力を緩めてくれたが200%の痛みが150%になったという感じだ。あまりの痛みに
「へへ、へへへッ」
と笑いまで起きた。
「痛すぎて笑っちゃう」という初めての経験に戸惑う私を横目に、タイ古式マッサージは着々と進む。腕をあらぬ方向に曲げられたり、肘でぐりぐりされたり、とにかく痛い。
それでも、痛いからと体に力を入れてしまってはいけないのだ。注意された訳ではないが、マッサージに抗って痛みで体を固くしてしまっては、マッサージの効果は半減するだろうしなんと言っても痛みが倍増する。
タイ古式マッサージで悟りの境地へ
痛いけれど、それを脱力してすべて受け入れてしまうほうが、痛みは最低限で済む。体にもいい。
(…もしかして、それって人生にもいえることなのかもしれない…)
痛みを受け入れながら、私は朦朧と思った。
生きていると避けて通れない悲しいことや苦しいことなんてたくさん起きる。でも、避けて通れないなら抗っても仕方ないのではないか。そこにある悲しいこと、苦しいことを全て受け入れて、痛みを仕方のないものとしてしまった方が、心の痛みは最低限で済むのではないか。きっと受け入れた痛みは、自分の心の糧になり、自分を強くしてくれるのだろう。
タイ古式マッサージで思わぬ人生観についてたどり着いたが、痛いもんは痛いのだ。
(タイ古式マッサージがあるってことは、タイ最新マッサージもあるのだろうか…)
(オナラしたくなったらどうしよう…)
(ある意味…これはエッチなサービスと捉えることもできる痛さなのでは…!?)
(エッチなおねぇさんと、エロいおねぇさんの違いってなんだろう…!?)
など、とりとめのないことを考えつつ痛みに耐える60分が終わり、最後にパンパンと肩を大きく二回叩かれマッサージは終わった。
激しいマッサージで、1つに結んでいた髪はほどけていたが、女性が私の髪を結び直してくれた。大人になると「誰かに人の髪の毛を結んでもらう」ということは滅多にない。久しぶりに自分ではない誰かに髪を結んでもらう感覚に、私は幼少期に母親に髪を結んでもらっていた頃の記憶を思い出した。
カーテンを出ると、友人が先にソファに座って待っていた。出されたお茶を飲みながらぐったりとしていると、最初にお会計をしてくれたタイ人女性が
「痛かったな、今度は痛くないオイルマッサージやろう」
と優しく言ってくれた。私はなぜか涙が出そうになった。お茶を飲み終わり
「ありがとうございました」
と靴を履いていると、そのタイ人女性が私が転ばないように腕をそっと支えてくれた。タイ人女性は優しいのだ。
「ありがとうございましたー」
と多少カタコトなお礼の言葉を聞きながら、私は生まれ変わったような気持ちになっていた。タイ古式マッサージは、人生において避けられない痛みとの向き合い方を教えてくれた。
「最後、腕支えてくれたね。やっぱり日本人より距離感が近かったね、優しかった」
と私が言うと、
「さすが、微笑みの国タイだよね」
と友人がいった。そうだ、タイは微笑みの国だった。あの店員さんたちの抱擁感、安心感、母性は、そういった国民性から来ているのだ。
今の日本人に必要なのは、タイ的精神
日本でタイ料理屋さんが増えているのは、もちろん味が日本人に合っているというのもあるのだろうが、その優しい国民性に癒やされているところもあるのではないだろうか。
良い意味での雑さとおおらかさ、来る物拒まず、去る者追わず。今の日本人が必要としている精神が、タイにはある。
怒っているより、眉間に皺を寄せているより、微笑んでいた方が幸せに決まっている。私はますますタイに魅力を感じ、帰り道にナンプラーを買った。これで自宅でも異国情緒を味わえる。そのたび、タイ古式マッサージで気付いた人生の生き方について思い出すことにしようと思う。私はタイ料理が好きだ。タイ人の方々の優しさも好きだ。でもタイの場所はまだよく分かっていないし、何が有名なのかも知らない。でも、それでいいかなと思えるところも、タイの魅力だと思う。私の脳内メモの「タイ古式マッサージ」の欄には、「めっちゃ痛いマッサージ。タイ人女性はとても優しい」と新たに追加された。