「優秀」という言葉に対する違和感
みんなが良く使うであろう「優秀」という言葉、自分はこの言葉を聞くたびにモヤモヤしてしまう
今日はこの「優秀」という言葉に対する自分の考えを書きたいと思います
なぜ自分は違和感を感じるのか
自分がこの違和感を頻繁に感じるようになったのは、ちょうど社会人になったくらいのタイミングで、同期に対して特に感じるようになった
自分はとある大手企業の総合職採用を受けて、去年の4月に社会人になった
コロナ禍真っただ中の研修は全てオンラインで行われたが、グループワークやオンライン飲みなどを通じて何人かと仲良くなった
そんな中、徐々に研修が進んでいくとこんな言葉をよく耳にするようになった
「○○さんって優秀だよなあ、だって△△部に配属だもんなあ」
「△△部に配属になったやつって、優秀そうなやつらが多いよなあ」
「○○は研修でもよく質問してるし、優秀だよなあ」
自分は「優秀」という言葉を聞くたびにモヤモヤした
そして何より、自分に対してこの言葉を使われたときに一番モヤモヤした
恥ずかしいわけでもなく、嬉しいわけでもなく、「自分にはそんな言葉合わないよ」という謙遜でもなく、何だかモヤモヤした
「なぜこんなにモヤモヤするんだろう」
僕は自然とそう考え始めた
そして自分なりの結論を出した。それは
「優秀」という言葉には発言者のエゴが含まれている、そんなエゴの含まれた言葉かけられても困る
僕が同期から聞いてきた言葉は全て、「(自分よりもあいつは)優秀」というニュアンスに聞こえていた
これが僕にはどうしようもなくモヤモヤしたのだ
そもそも「優秀」の定義とは
そもそも「優秀」という言葉の定義はなんだろうか
Google日本語辞典(Oxford Languages)によると
他より一段と目立って(=秀)優れていること。すぐれひいでていること。
goo辞書にはこんな記載があった
「優秀」「優等」は、知力や能力などに関して使われるのに対し、「優越」は、技術、能力、地位など幅広く使われる。
また、「何をもって優秀というのか」について言及した記事もあった
この辺の記事を読むと、社会一般で使われる「優秀」という言葉の定義は非常にあいまいだと感じる
さらに、「優秀」という言葉の裏側には必ず「比較」があるよう感じた
人によって解釈が異なるとは思うが、僕が思う「優秀」という言葉は、何らかの基準と「比較」した結果の「判断」に過ぎないと思う
僕が衝撃を受けた本、「反応しない練習」の内容を踏まえると、「比較」と「判断」は「妄想」に過ぎない
そして「妄想」しすぎることで人々は苦しむと書かれている
ちなみに先述した「エゴ」とはここでいう「妄想」のことを指している
「優秀」が口癖の人に物申したい
こんなことを考えて僕は、ついつい「優秀」と言ってしまう人に対して物申したい
「何をもって優秀だと判断したんですか?」
「あなたの妄想にとらわれた判断ではないですか?」
「あなたはその人よりも劣っているのですか?秀でていることはなにも無いのですか?」
なんでもかんでも「優秀」という言葉で終わらせずに、一度考えてみてほしい
もしかしたら何か大きな「妄想」に駆られて勘違いしているかもしれない
「優秀」
便利であるがゆえに、非常に危なっかしい言葉だ
最後に、あれこれ偉そうに書いたが、自分も思わず「優秀」という言葉と使ってしまうことがある
なのでこの記事は自戒も含めて書いてみた
「妄想」にとらわれず、頭で一度考えることを癖づけていきたい