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「産む」のか「産まない」のか

のっけからセンシティブなタイトルで申し訳ないけれど
noteの一回目ではトリソミー21の息子について、
二回目では高齢出産と、自分たちの高齢妊活について書いたので
三回目は、

出生前診断を受けた後にやってくるもの、

について書きたい。

それは、
「産む」のか「産まない」のかという選択を表明する、ということ。

これは、自分たちがどう思っていようと(決して何があっても始めから産むと決めていても)、ドクターには伝えなければならないし、
場合によっては夫婦間での確認、家族への説明、というものが発生する。

それらは決して生易しいものではなくて、
けれど、通り過ぎなければいけないことでもあって、
その瞬間だけは、なんとも言い難い時間だった。

そして私たち夫婦は

「子供を産んで育てる」

という至極単純でシンプルなこと(実際はそんなに単純でもシンプルでもなんでもないが)を粛々とやるだけなんだという
他人がどう思うかは関係なく、ただそれだけのことをやり通し、
この大事な天からの贈り物を傷つけずに、守り生きていく……
そんなようなことを、日々、考えていたように思う。

もちろんはじめから、揺るぐことはなかったけれど、私たちは息子を
「産む」
という選択をし、
(そもそも選んだつもりはないけれど、なぜかと言えばそれははじめから決まっていることだったから)
ドクターに産む意思を伝え、出産までの今後の計画(エコーの専門科を受診するなど)を立て、
そしてお互いの家族への報告(それはまたいずれ書こうと思う)をどのようにするかを考えることになった。

そしてやっと、お腹の中にいる我が子と出産までのカウントダウンが始まるのだけど、
この時の出生前診断は、のちに私たちにとって、大きな大きな「糧」となるのだった。





ここに書いていることは、何が正しい、ということではなく
ひとつの選択として私たちが進んだ「道」のことを振り返るために
書き記しています。


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