hatae

数少ない幸運の持ち主、を育てています。 この世界のどこかにいる、もうひとりの私に届きますように。

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最近の記事

3の倍数の喜び

途中まで自然分娩に挑み、私自身の痛みとお腹の子に負担になるという医師の判断で、帝王切開に切り替えて息子を出産した。 麻酔で眠らされていた私は、目を覚ましたベッドの上で、赤ちゃんがNICUに入っていることを報された。 ようやく我が子に出会えたのは、術後立って歩けるようになってからだった。 体重2000グラムにも満たない、保育器の中ですやすやと眠る息子は、それはそれは小さくて可愛くて、その小さな手と指は儚く、我ながらおかしな表現だけど、まるで溶けて消えてしまいそうな綿菓子のよう

    • 世界が変わる日

      お腹に居る息子が21トリソミーだとわかってからの私たちは とても忙しかった。 と言っても高齢妊婦なので安静にしていなくてはならず、 実際は日がな家に居てただただ調べ物をするだけなのだが。 お互いに、それぞれが調べた情報を持ち寄り、 ああでもない、こうでもないと、産まれてくる息子のこれからについて、 自分たちの気持ちについて、たくさんの話をした。 検査の結果を聞いた時、お互い実際にどう感じたのか。 これから来る未来に向けて、どんな気持ちの整理をしたのか、とかも。 唯一ダウン症

      • 息子が連れてきた遠い“記憶”

        そしてしばらくして、私は遠い子供の頃の記憶を呼び覚ますことになった。 ダウン症について調べ始めた時、その感覚は蘇ってきた。 それは小学生の時。 毎年夏になると、私は新幹線にひとり乗せられ(今じゃ考えられないが)、親の知り合いの家へ夏休み中送り出されていた。 そこには同い年の子もいて、その家が開いているダンス教室で、夏中ダンスを習うのである。 そしてその教室をやっている親の知り合いは、当時、障がい者の福祉施設で出張でダンスを教えに行っていた。それには親の知人の子と私もついてい

        • 21+1の希望

          NIPTという出生前診断の検査を受けてから、ドクターに産む意思を伝え 私たち夫婦は息子が持って生まれてくる染色体について調べ始めた。 細かなことは割愛するが、染色体が一本多いことで起こる弊害(と言っていいのだろうか)、障害、寿命の問題、身体的なリスク、成長、ことば、 新生児期のケアや食事、排せつの問題エトセトラ。 ダウン症の兄弟の話を扱った映画「弟は僕のヒーロー」の中で、主人公の弟(ダウン症がある)の両親が「作業療法に理学療法、音楽療法、グルテンアレルギーに各種検査、療育

          「産む」のか「産まない」のか

          のっけからセンシティブなタイトルで申し訳ないけれど noteの一回目ではトリソミー21の息子について、 二回目では高齢出産と、自分たちの高齢妊活について書いたので 三回目は、 出生前診断を受けた後にやってくるもの、 について書きたい。 それは、 「産む」のか「産まない」のかという選択を表明する、ということ。 これは、自分たちがどう思っていようと(決して何があっても始めから産むと決めていても)、ドクターには伝えなければならないし、 場合によっては夫婦間での確認、家族への

          「産む」のか「産まない」のか

          「妊活生活」という船旅

          子どもがほしいと思ったとき、私はすでに40手前で、4つ年下の夫は「どうにかなる、作ろうよ」 と呑気なことを言っていた。 今から妊活がうまくいったとしても、出産を迎えるころには私は40を過ぎた超高齢出産。 どんなリスクが待っているか、考えただけで気が気じゃない。 男というのは、こうも楽観主義なのか…と呆れていたのを覚えている。 それでも妊活に踏み切ったのは、夫の 「どうにかなる」 を信じたから。 思い返せば、ずっと「親」になるのを望んでいた。 子育てをしてみたい、と思ってい

          「妊活生活」という船旅

          息子が降りてきた日

          二年に渡る妊活生活を続け、とうとう息子は私のお腹にやって来た。 検査薬で確認をして、クリニックで妊娠の確認をして、それから10月10日、息子と私の「出産までの旅」が始まった。 2週に一度くらいのペースで健診を受け、夫とふたりクリニックに通う日々が続いた。 そして妊娠3か月目に入るか入らないかの頃、ドクターから検査を勧められた。 「出生前診断」。 夫が、「受けてみれば」と言った。 その時の私は 42歳。 診断を受けない理由のほうが、探すのが難しかった。 血液検査の結果は

          息子が降りてきた日