息子が連れてきた遠い“記憶”
そしてしばらくして、私は遠い子供の頃の記憶を呼び覚ますことになった。
ダウン症について調べ始めた時、その感覚は蘇ってきた。
それは小学生の時。
毎年夏になると、私は新幹線にひとり乗せられ(今じゃ考えられないが)、親の知り合いの家へ夏休み中送り出されていた。
そこには同い年の子もいて、その家が開いているダンス教室で、夏中ダンスを習うのである。
そしてその教室をやっている親の知り合いは、当時、障がい者の福祉施設で出張でダンスを教えに行っていた。それには親の知人の子と私もついていく。知的、身体にハンデのある人たちが居て、私たちと一緒にダンスを習い、踊る。毎年、そうやってひと夏を過ごした。
そして、ダウン症の人たちがそこに居た記憶が、私の頭の中にゆっくりと蘇ってきた……。
当時小学校低学年だった私にとって、みんなは大きなおねえさん、おにいさん。彼らから見たらほんのひよっこの私に、みなとても温かく優しかった。
息子が周りのみんなにするように、お得意の“ハグ”をしてくれ、笑顔で迎えてくれ、温かい手で子供の私を慈しんでくれた。
そのぬくもりは、何十年も経った私の記憶の中に忘れずにずっと残っていた。
妊娠がわかったあの日から今日まで、私は息子がお腹に出来たことを一度も「絶望」だと感じたことがない。
90%以上の確率で陽性だと聞かされても、それを揺るがない思いで受け入れられたのは、あの時一緒に過ごした記憶があったからなのかもしれない。
ただ息子を取り巻くこの世の中には、何度も「絶望」を感じ続けている…
けどそれはまたいつか別の機会に。