世界が変わる日
お腹に居る息子が21トリソミーだとわかってからの私たちは
とても忙しかった。
と言っても高齢妊婦なので安静にしていなくてはならず、
実際は日がな家に居てただただ調べ物をするだけなのだが。
お互いに、それぞれが調べた情報を持ち寄り、
ああでもない、こうでもないと、産まれてくる息子のこれからについて、
自分たちの気持ちについて、たくさんの話をした。
検査の結果を聞いた時、お互い実際にどう感じたのか。
これから来る未来に向けて、どんな気持ちの整理をしたのか、とかも。
唯一ダウン症を持った人と触れ合った過去が私にあったとはいえ、
それについては何も知らないも同然だった。
夫においてはもっと未知の世界だったろう。
しかし少しずつ、普通とは違う(敢えてこういう表現をする)「ダウン症」について知って行くうちに、私たちから見える世界は、徐々に徐々に、変わっていった。
例えば、電車で乗り合わせた車椅子の人、ヘルプマークを付け優先席に座った誰か、知っていても遠い存在であったダウン症のある人…
何かしらのハンディキャップを持った人たちは、私たちにとって大人も子どもも「他人」ではなくなった。
そして段々と、こちら側(健常の世界)にいた私たちがあちら側(ハンディキャップのある人の世界)に行ったのか、もしくはあちら側にいると思っていた人々が本当はこちら側にいることに今まで気付かずにいただけなのか、それはわからないが、自分たちの場所から見て「すべて」だと感じていたものは、実は世界のほんの一部でしかないということに気がついた。
そしてこの「こちら側」から「あちら側」へ(もしくは「あちら側」から「こちら側」へ)と反転した新しい世界が、
どれだけ複雑な世の中なのかということを、
何年もかけてゆっくりとゆっくりと知ることになる。
追記:
この記事を書いてしばらくして、偶然に見つけた映画の記事を貼っておく。
“世界が反転する”、この現象を常に背負って生活している自分たちに取ってこの映画は正に言い得て妙と感じる。
このような自分たちが置かれ抱えている「不条理さ」を描く映画があることを有り難いと思う。
ここに書いていることは、何が正しい、ということではなく
ひとつの選択として私たちが進んだ「道」のことを振り返るために
書き記しています。