見返りを求めてる
誰かの為に行動したこと、その対価を求めてる自分がいます。
対価といっても、お金や物じゃなくて気持ちの部分「ありがとう」が欲しいだけ。
ただ、気持ちだけであったとしても、見返りを求めようとしてる自分が嫌。
同居してる義理親には介助が必要なんです。
不思議ですよね、血の繋がりはありませんが動きますよ、必要であることなら手を尽くします。
その時に見返りを求めてるかといえば、正直なところそれはない、何もしない動かないなんてできるはずもありません。
ところが、後になってみて、手を尽くしたことを知ってほしい、やっぱり「ありがとう」でいいから欲しいと思ってしまうんです。
そもそも同居すること提案したのは自分自身だし、いつかは介助が必要になることを見越してたはずで、そう覚悟してたのに。
これは、実親でも義理親であっても、実際に同居したという経験、もしくは今まさに同居してるという人でなければ理解し難い問題かもしれません。
それでもなお、今の現状を離れて暮してる人に気づいて欲しい故に、自分の中では「ありがとう」を求めてた。
話を聞いて欲しかった。
そういう思いは得てして届かなくって、そういった話にもならなかった時に、がっかりしてしまう自分の欲が浅ましいと感じてしまいます。
今回は身内の中で、僕自身が見返りを求めてしまうという率直な気持ちを書きしるしたつもりです。
これは仕事上や友達同士なんかでも、やってあげたから、あの時助けてあげたから、後々何かしてくれるでしょ?
そんな気持ちを心のどこかで持ってることが、悲しいというか、結局人はそういうものなんでしょうか。
逆の立場になった時、せめて感謝の言葉をちゃんと伝えることができる人でいたい。
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