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明日、母宅の片付け完了します。

明日、母宅の片付けが完了する。

そんな大袈裟な!と思われるかもしれないが、私の中では大ごとだった。1972年からちょうど半世紀暮らした賃貸住宅。母は人生のほとんどをここで過ごしたことになる。

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5月末、痴呆症になった母を半ば騙すように特養の施設に入れ、週末は片付け作業に集中した。

母が使っていた家財道具の90%以上は捨てた。思惑を入れず「バッタバッタ」とゴミへ出す。そんな作業を繰り返していると、まだ健在ながら母親の輪郭が少しずづ薄れていく寂しさを味わった。

そして今夜、お世話になった近所の人たちへの挨拶文を書いていてまた感傷的な気分になっている。

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そして二冊の本を思い出した。

一つ目はこの本。『働くということ』

この本の中で多摩ニュータウンの開発に携わった京王電鉄役員の『働くということ』がある。

「会社員としてはそこそこ充実していたが……」と言いよどむ。団塊世代のベッドタウンとして急激に膨張し、その過剰なインフラを持て余し始めたニュータウン。自らが開発の一翼を担った街がいまや、少子高齢化に悩む日本の将来図を示す。「街の衰退はやはり寂しい」

働くということ 日本経済新聞社=編 日本経済新聞社

自らが開発の一翼を担った街が衰退していく。それはさぞかし寂しいことだろう。

私が育った場所もその通りだ。

最寄りの駅までのバスの本数も減り、人の気配がなく、子どもの声が全く聞こえない場所。通い始めた頃、自分達の子ども時代と全く違う光景にあ然とした。

親世代が年老いていくのとと同じように「街全体」が年老いていくかのようで、ここにいるとやはり寂しい。

いまは活気のある高層マンションが何棟もそびえる場所もいずれはこうなるんだろうか?

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もう一冊はこの本。塩谷舞さんの「ここじゃない世界に行きたかった」

この本の中に塩谷さんが育った「千里ニュータウン」のことが書いてある。それとまさに「ドンピシャ」。だけど少し年代が違うかな。それと僕は「自分が育ったのは千葉県にあるXX住宅です!」とは言えない。

なぜだろう?

人間が生まれ、育ち、子どもをもうけ、やがて年老いて鬼籍に入る。その後はその子どもたち、孫たちが社会を受け継いでいく。

この街にはその循環が全く感じられない。都心から1時間とかからない場所に「ぽっかり」と出来た異空間のようである。

鉄筋コンクリート構造の耐久年数が経過したら取り壊される運命なのだろう。

なので故郷という感覚を持てない。

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よし!最後の挨拶状を封筒に入れてと。カギは3本あるな。

えーでは、50年間お世話になりました。まだまだ残暑厳しい毎日ですが、どうかお体だけはご自愛ください。

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それでは明日最後の片付けに行って参ります。

今回はこれでお開き。それではまた。

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