百貨店の夢のあと。
おはようございます。
「駅前」「特別」「ハイグレード」
百貨店というとこんなキーワードが連想されます。彼らが提供していた価値観なのだろうと。
1970年代から流行の最先端を発信していた「百貨店」は80年代後半のバブル経済をピークに斜陽化していったように見えました。
その理由のひとつは多様化する消費者のニーズに対応しきれなかったのではと感じてます。
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僕は小売業のマーケティングの門外漢ではありますが、斜陽化した理由にはこんなことが考えられるなーと。
百貨店が提供した噴水型の縦方向の回遊性よりも、モールが提供する広い平面の回遊性がいいんでしょう。
そして車社会にも対応できなかった。駅前デパートよりも郊外のモールへの流れを止められなかった印象を持っています。
また、全身全て高級品で着飾るのではなく、ファストファッションと高級ブランドを同時に身につけるメリハリ嗜好。
こんな変化する顧客のニーズにも合わない品揃え。
その結果、ダーウィンの進化論のごとく「環境適者が最も強い」とはいきませんでした。
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僕が生まれ育った街にも百貨店があり、子供の頃は野球のグローブ買ってもらったり、レストランフロアーで食事をしたりがとても楽しかった。
毎年1月3日には「お年玉」を握りしめてデパートへ!が恒例行事となってました。
社会人になってからも腕時計やラグジュアリーブランドの服飾品を買って「優越感」に浸れた場所。
そこは、いま投資ファンドへの売却で話題になっている
「西武百貨店」
です。
つい最近まで母から「ゴロー西武に行ってくれよ」と頼まれ、よく出掛けてました。
しかし、前述したようにバブル崩壊後は年々お客さんが減り、どの売り場も閑散としていて、地下の食品売り場へ行っても「本当に買うものがないね」と母がぼやいてた。
その結果、数年前に閉店。現在は跡形もなく取り壊され、再開発工事の真っ最中です。
数日前、炎天下の中、その工事現場で動く重機を見ながら「夏草や強者どもが夢の跡」という松尾芭蕉の句を思い出し「まさにこのことだなぁー」と少し寂しくなりました。
僕が子どものころ押すな押すなの大盛況だった「百貨店は夢のあと」なんでしょうかね?
それではまたです。