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漱石作品って面白いかもー😙😙

何度も何度もトライしては跳ね返され、とん挫して、再チャレンジを繰り返しています。あ!主語が抜けてましたね。

「漱石作品を全部読むチャレンジ」ですよ。

アマチュアとはいえ、モノを書くなら読まねばならず、インプットの量と質は確実に文章に出る。SNSでの発信のみならず、仕事のメールでも同じことが言えます。この人の文章はいいなーと思ったことは少ないですね。

さて何を読むか?と考えるとちょっと困った事に。何でも良いんでしょうけれど、ビジネス書は仕事のことを思い出してしまうので、僕には合わないんです。サラリーマン生活も終わりに近づき今さら成功なんてって感じだし。

そういえば、以前読んだこの本に書いてあったんです。漱石作品は全部読め!って。

最近再読したこの本にも、漱石作品に隠されたメッセージの解説がありました。

異口同音に漱石作品の良さに触れ、読めば自我の問題解決のヒントや表現としての日本語の可能性が広がると。「それなら気合いを入れ直して、全集を最初から読んでいくぞ!!」と「定本漱石全集 第1巻 吾輩は猫である」を買い求めました。

定本 漱石全集 第一巻 「吾輩は猫である」

ところがこの本、漱石先生の筆致を忠実に再現していて「旧仮名遣い」です。それが大変読みにくい。そして「猫」はユーモラスで笑えるんですけど、僕の求める内容とは少し違いました。

求めるところは悩み多き人間像というか、時代の進歩とともに目標を見失った者が辿る運命とは?っていう内容なんですよね。全体的にダークなトーンの。

そんな感じで「さてさてまた困ったぞ」と書棚にある文庫本の背表紙と睨めっこしていたら見つけました。打ってつけの内容の作品が!

これこれ!「それから」です。

それから 新潮文庫版

大学を出て30を過ぎても「ニート生活」を送る主人公 代助。生活の全ては親がかりで働くことは「負け」だと信じています。そして友だちの妻 三千代に惹かれていく彼の運命やいかにってストーリーは何度か読んで頭に入っていいます。けれど今回は細部に書いてある現代文明社会に生きるがゆえの悩みがスーッと頭に入ってくる。例えば、

平岡はとうとう自分と離れてしまった。逢うたんびに遠くにいて応対する気がする。実を云うと平岡ばかりではない。誰に逢ってもそんな気がする。現代の社会は孤立した人間の集合体に過ぎなかった。大地は自然に続いているけれども、その上に家を建てたら忽ち切れ切れになってしまった。家の中にいる人間もまた切れ切れになってしまった。文明は我等を孤立せしめるものだと代助は解釈した。

「それから」夏目漱石 新潮文庫 119頁

どうですか?明治の人も令和に生きる僕らも文明(=文化)が発達したからこそ、言いようのない孤独感を味わっているのは共通していますよね。

主人公 代助の「自分が傷つきたくないのが一番大事。だから結婚も仕事もせず親に寄生して生きる」生きかたが、最後に身の破滅を巻き起こし他人も自分も傷つけてしまうのです。

この考えかたは僕にも大いに心当たりがある。それを克服するにはどうしたら良いのか?

今のところ明確な答えは見当たりません。強いて言うならその日その日を懸命に生きることでしょう。

少し大げさながら今後の人生を賭けて漱石作品を読み続け「現代文明社会に生きるがゆえの悩み」にわずかでも光を与えていければと考えています。

漱石作品を読み進めて何か思いついたら、noteに書きますね。

それではまた!

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今回の内容に関連する過去記事です。合わせてご覧くださいませ。

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