脚が不自由だと街歩きは不便ですねぇ〜。
皆さんこんにちは。ご無沙汰をしてしまいました。
妻が使っていた『iPhone 6s』がいよいよiOSサポート対象外になりそうで『お前スマホ不便だろ?』と誘い水を撒いたところ『そうね〜』と乗ってきた。ならば僕もと、そのどさくさに紛れ、ニューガジェット『iPhone14 Pro Max』に変えました。
まだ1日しか使っておらず詳しいことはなんとも。ただ『デカい』のひとこと。そして今回は購入記念でございますので『心機一転!』noteを『iPhone 14 Pro Max』で100%書くことにします。
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では改めて『脚の不自由さ』と『街歩きの不便さ』で感じたことを少しお話ししましょう。
先日、電車の車窓から駅員さんに介助されながらホームを進む『車いすの人』を見かけました。日中の空いている時間帯だったのですが、身がい者の方は誰かの手助けが必要。僕も脚が悪く街歩きには『ステッキ』が欠かせず、将来の『自分の姿』をそこに見るようでした。
『なんでこんなところに段差があるの?』『このすき間なに?』と街を歩くと身体的な不自由さが顕著に現れる。
不自由な身の『感覚』では脚を上げているようで『物理的』には上がっておらず、転倒につながる。電車とホームの『すき間』には『恐怖』すら感じることがあります。
これでは、朝夕のラッシュ時に電車通勤は無理ですね。そうなると『障がいを持った人』は『就労就学』の機会が狭まってしまうのではないのでしょうか?
いまや情報化社会が実現しいろいろな声が上がるようになりました。
年齢や性別、身体的な『格差のない社会』を標榜するなら、どんな人でも『自立した生活』できる『街づくり』をしてほしい。誰もが歳を重ねいずれかは高齢者になる。また、病気や故障、事故でいつ障害を背負うか分かりません。
リモートワークや柔軟な働き方・学び方も『格差のない社会』の定着に貢献できると思っています。
以前、障がい者の方が『車いすも<メガネ>と同じにくらいに、なるといいんですけどね』と言っていました。誰に対しても『優しさを持った社会』になってほしいと心から願うばかりです。
繰り返しますが、僕らの体もいつ障がいを背負うか分かりません。僕は格差の少ない社会を切に希望します。そのために微力ながら『発信』続けていこうと思いました。
それではまた近いうちにお会いしましょう。
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