なにを思ったか、ワシが美術館へ行くなんて。『地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング』 を見てきました。
東京六本木の森美術館で開催されている『地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング』に行ってまいりました。
全体的な作品を通しての感想はInstagramにまとめておりますので、こちらにリンクを貼っておきます。よろしければどうぞ。
その中でもいくつかの展示ではかなり現実的でシリアスな展示があり、実はそこに展示してある作品が印象に残ったのです。
それをいくつか申し上げましょう。
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まずはアーティスト 飯山由貴さんの《影のかたち:親密なパートナーシップ間で起こる力と支配について》DVを表現された作品です。
この展示スペースでは印刷物を配布しておりました。それに目を通すとこんなことが書かれています。
そして、そのコーナーで「家父長制を食べる」と言うタイトルの映像作品がありました。出演者のDV被害者(女性)が加害男性に見立てた等身大の「パンを作り食べる」内容です。その作品はDVを受けた個人に溜まった「復讐心」や「憎しみ」を克服することを表現しているとのこと。
僕はその一部を見ました。
作品中、パン生地を捏ねて顔のカタチを作っていくのですが、その途中で顔に見立てた粘土状の生地を押しつぶしたり、引っ張って伸ばしたりするシーン、焼き上がったパンの横に寝そべりその女性が「号泣」するシーンの双方では「暴力がもたらした支配」に対する「復讐心」と一度は愛したであろうパートナーに対する「好意」が複雑に絡みあったのを表現していると感じました。
でもパン生地を押しつぶし引っ張るシーンには受けた暴力の痛みのようなモノ、そして「これでも喰らえ!」との思いが迫ってきて怖かったです。
DVとは悲惨だとの認識は報道を通して持っておりましたが、閉鎖的な空間で起こる支配を目的とした暴力は本当に悲惨なのだと強く印象に残りました。
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もう一つが小泉明郎さん《グッド・マシーン バッド・マシーン》です。
展示スペース中央には服を着せた動く機械が3点と片一方だけのスニーカーがありました。そしれ正面には催眠術にかけられ言葉を失っていく男女三人の映像が流れています。その映像ではこのようなナレーションがありました。
「ほら、無性に可笑しくなるでしょう?」
「私が<はい!>と言ったら言葉にならない声だけ出せるようになります」
「ほら、行って見てください。私は機械ではないと」
映像では泣いたり、笑ったり、叫んだり、言葉を失い取り戻していく男女の声が大音量で流れていました。そしてスクリーンに映し出されたこの言葉が「グサッ」ときます。催眠術にかけられた三人の発した言葉の英訳。
「I am not machine.」
普段生活特に仕事の場面で感情を出すことが避けられています。得てしてそれが感情を失い、精神を病むきっかけになることが多いと感じており。
この言葉とスクリーンで再生されている男女三人の叫び、
「俺たちは人間なんだ!」
と言う、ビジネスの効率を追求しすぎるあまり忘れていた人間の根源性を訴えかけてきているようで、とても印象に残りました。
この後の展示スペースに移動しても、映像のナレーションが聞こえてきて、少し怖かったです。
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書くことを始めてから最初に訪れた「美術展」。人間の命が有限であること、命は傷つきやすく壊れやすいものであること。コロナ禍がもたらした恐怖感、孤独感とどう向き合うか。自然への畏怖。
色々な想いを連想させる作品群に圧倒され美術館を後にしました。
アートを通して「人間とは何か」「社会とは何か」「自然とは何か」を知ることは「絶対にあり」と想いを強くした次第でございます。
何を思ったかワシが美術館に行くなんて。
とは思いましたが、これだけ心に迫るものを感じ取れたのは大正解!。
そして、心に残ったモノをこうやって言語化するのが、展示会や作品のコンセプトの理解に役に立つと実感いたしました。
また機会を作って美術展に行ってみようと考えています。
それではまた。