【Epilogue】だんちゃん、交通事故に遭う。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、でも鼻管の喉の痛みは忘れられません、だんちゃんです。
昨日ずいぶんとバタバタした記事で、あれが最終回なの??と尻切れトンボ感を感じた読者さん、すみませんでした。
院内でぎりっぎりのタイミングで書いたもので。最終回らしい締めもなかったからエピローグで締めます。適当かよ。
なんといってもライブ感とリアルさを大事にしているので。思ったことを即時的に文字に起こして、後からは振り返らず一気に書き上げるスタイルなので。
そんなわたしも、昨日の地獄のような1日から余裕が出て、入院生活を振り返りたい気分になったので、振り返りたい気分のまま即時的に書いていきますみんなついてこい。
入院で身をもって体験したこと。
それは紛れもなく、強烈な苦痛に耐えること。
一言で簡単に言ってしまえば、痛みがわかるということですね。
わたしは「人の痛みがわかる、器の大きい大人になろう」という目標のもと、この「痛みがわかる」ということの解像度を縦にも横にも上げようと奮闘したわけです。心の中で。
そして最も厳しい痛みの中で到達したのが、生物としての尊厳を捨て、化合物の集合体として自分をとらえるというパラダイムシフトでした。
自分は壊れてしまったおもちゃ、今修理に出されているんだ、と思うと、急に今やられてる治療が筋の通ったすごいものに見えるんですね。
その境地に達したとき、周りのあらゆることがありがたく思えてきます。
なんといっても、そもそも自分が生を営んでることがすごいことに思うし、自分を生かしてくれる治療にもありがたみを感じるし。
そうすると、自分を生かしてくれている食への感謝の気持ちが非常に強くなります。
目の前にある食べ物は何よりも尊く何よりも美味しい。たとえそれに味を感じられなくても。体は食に生かされていると身をもって感じます。
さらに、自分を想ってくれる人への感謝の気持ちが溢れてきます。
私と同じ痛みを経験した人なんて一握りのはずなのに、痛みを感じているかのように寄り添ってくれる人がいる。
こんなに大切にしなくちゃいけない人がいるんだ、わたしは何があっても本気で助けてくれる人がいるんだ。
実はね、このnoteを含めてわたしの発信を実は毎日見てたよ、やっと退院できたって見て感慨深いよ、って言ってくれた人もいてね。さすがに涙腺に厳しいです。
完治したら、こんな素敵なみんなに会えるんなら、そのときは最大限成長して、優しくてかっこいい私でありたいよね。
そうして、何事もない日常への感謝の気持ちが溢れるようになってきました。
人も自然もいろんな苦難も抱えながら、いろんな思いを乗せながら、日常が今日も回っていく。そのことがどんなにすごいことか。
壊れもののおもちゃのようなわたしたちが、いっときも呼吸をすることをやめず、心を動かすという、より高次的である社会的な営みをやめず、そしてそれらに必要なご飯を食べることをやめず、
その間も自然は時を刻んで変化して、今日という日常ができあがっている。
考えてみるとずいぶん不思議で、それだけで恐ろしくおもしろい。そう思いません?
生きてりゃ寝たら気持ちいい、食べたら美味しい、まわりはおもしろい。
すごいことだよね。ありがたいよね。
この自分の中の思いに気がついたのが、最後の夜になりました。
「痛みがわかるようになる」とか「まわりに感謝できるようになる」って、もっと目の前の景色が超絶カラフルになっていくもんなのかな、と思ってたから、もっと感受性上げなきゃなのかなって思ってたけど、
より正しいのは、自分の心の中の色のわずかなグラデーションに気づくようになることなんですね。紅赤と紅葉色と唐紅を区別して見えるような。
もっとド派手な何かが起こるのかと思ってて油断してたよ。あれがわたしのゴールだったのね。あれが最後の夜になるなんて思ってないもん。
こうしてわたしの入院生活は幕を閉じました。
日常に少しずつあたたかみを感じられるようになったんじゃないかな。どういう心持ちや捉え方をすればいいっていうのを明確にできたわけじゃないし、薄れていくかもしれないけどね。そのためにnoteに記しておいたんだけどね。
それから、人が痛みを感じているときに、少しはその痛みを想像できて、少しはそこに気持ちを寄せられるようになったんじゃないかな。
優しくてかっこいい人になれたのかなぁ。退院後のわたしと会うみんな、楽しみにしといてね。
もし、つらくなったら、痛みを感じたら、いつでもここに戻ってこよう。
みんなにとっても、いつでも戻ってこれる場所だと思えてもらえたらいいな。
p.s. スリザーリンクの上級者タイムクリアしました!と、深い河読破しました!っていう伏線回収したかったけど無理だった!ごめんね!
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