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Formal Swap:イギリス人学生コンビ

これを書いている今も、手からはまだ薄っすらサルビアの香りがする。

少しケンブリッジらしいことがしてみたくて、一人対一人のFormal Swapをいろんなところで申し出ている。Formal swapとは、学寮がそれぞれ行うFormal=晩餐会を二学寮が申し合わせて参加者交換する制度だ。それに準じて、お互いのフォーマルに学生同士で誘い合うこともFormal Swapと呼ばれている。そこまで付き合いが深くなくても、日本に興味があったり、うちの学寮に来たことが少ない人が快く引き受けてくれる。

今晩はCaiusの晩餐会。King’sじゃなくて、Caius ”Keys”ことGonville and Caiusだ。ケンブリッジきっての名門カレッジの一つで、古くからの伝統が多く残っていることや、ノーベル賞受賞者の数の多さに特色がある。Dxxとその親友のMxxxが案内してくれる。二人ともりゅうとした正装に、引きずるような袖のMAガウンだ。

Caiusのほうに自転車を置ける場所がないので、最初はMxxxが所属するTrinity Hallのほうに連れて行ってくれる。一晩に二つの学寮の案内が得られるなんて、かえって運がいい。

Trinity Hallは、TrinityやKing'sの超名門学寮に挟まれる、目立たない小さい学寮ではあるが、その分建物やコートの広さに対してこんもりとした古い木がいたるところを覆うバランス感に愛らしさがある。木陰が作る小さな居心地の良い空間が四角いコート=中庭にバランスよく散在するリズム感が良い。ケンブリッジの古い区画は、地区全体として統一感や一体感がありながらも、学寮一つ一つにそれぞれの様式やスケール感覚の違いがあり、庭造りの工夫があって見ていて見飽きることがない。

DxxもMxxxも園芸が好きなので、好きな樹の話や、家の庭にある桜やモミジの話、庭の好きな場所の話をする。私のつたない英語もよく意味を汲んでくれて、日本人とでもなかなかできないような話ができる。ここに書いたようなことを普通に話して、分かってくれるし、あちらからもまた違った面白い視点を提供してくれるのだ。なんて素敵な子たちだ!

Trinity HallからCaiusに移ると、建築の特徴が変わるだけではなく、一つ一つの建物が大きくなり、ぐっと雰囲気が変わる。門をくぐったところから、小さな並木のある中庭を通って、晩餐会場に移る。

通るところ、どこを見ても、コンセントの挿し口みたいな安っぽいそぐわないものが目に入らない。ここのフォーマルはしっかりガウン着用だし、Dress codeはカクテルドレスだ。俄然気も引き締まる。ホールは当然のように美しい。白い天井に黒い梁が通るところも、肖像画も、キャンドルの明かりも、”the other place”ことOxfordのほうのChrist Churchに雰囲気が似ており、学生が青いCaiusのガウンを着ていなければホグワーツのホールそのものだ。High table組の入場中は全員立って待ち構え、Graceを学生(お小遣いをもらっている)が読み上げてから食べ始める。なかなかないレベルでしっかりと形式だったフォーマルだ。

薄明りで全部ぶれちゃったので公式サイトの画像をどうぞ。

「ケンブリッジには慣れてきた?」
「落ち着いては来たけど、新しい場所に行くたびに夢の中を歩くみたいだよ。今もずっと驚いてる。」
素晴らしい雰囲気だが、なんと最初の皿はナチョスだ。ここでナチョスというのは、メキシコの三角形のトウモロコシチップスにチーズがかかっているブツのことだ。私はナチョスが何なのか知らないけど、DxxとMxxxが言うからにはこれがイギリスにおけるナチョスなのだ。

お皿が犬用みたいで笑うしかない。

しかもサーブされるんじゃなくて、大皿に盛ったものを学生同士で受け渡す中世の方式だ。おや…?と思っていたら、タコスの外側のペラっとしたパンの部分とか、ぶつ切りのトウモロコシとか、焼いただけの野菜が出てくる。
「これは自力でタコスを組み立てて食べろということかな…?」
「それ以外ないよね…?」
「Caiusっていっつもこんなのなの?」
「いや、これははじめて。今日はメキシコがテーマなんだと思う。」
そう言っていたら今度は山盛りのフライドポテトが出てくる。ナイフとフォーク、どこで使うの…?なんか緑と白のどろどろがお皿に半分半分になった物体が回されてきて、これはナチョスに付けるためのサルサと思われる。
Mxxxが、環境のエレガントさ、厳かさと料理のバランスを「シュルレアリズム」と表現する。全くそうだね。夢と、現実よりも少し高次の空間を感じることは似て非なるものだ。おかげでがちがちになっていたテーブルマナーがちょっとずつ落ち着いてくる。
「手で食べるのとか、大皿で受け渡すのとか、かえって中世っぽくてそぐうのかな。」
でも、このへんでたまらず大笑いしてしまう。

公式サイトの情報を今更確認しても、やっぱり学生たちは粗雑な感じの大皿料理を取り分けているのだった。メシマズの噂の根拠がはっきりしたよ。

DxxもMxxxも話題の幅が広い。鳥の話、鳥にまつわる民間の言い伝えの話、桜の話、芭蕉の俳句、ジョンキーツにワズワース、俳句の短さと文脈性、イギリスのportray型の詩の話、肖像画の話、ルネサンスの話。次々に出てくる。教養の深さってこういうことか!乱読力では私も負けないし、好きな分野も近いので歴史以外はたいがい楽しくついていける。

Dxxはシャイな感じだが、Mxxxはおしゃべりさんだ。なぜシマエナガを知ってるの?と思ったら英国にも近縁種がいて、名前も同じ尻尾が長いことに因んだものだそうだ。マグパイとカラス、カラスに因む神話、カラスのトリックスター性、カラスの近縁種に当たるマグパイの同等の民間伝承、ケンブリッジにもたくさんいるカラスの近縁種、桜の品種、ケンブリッジの気候、学寮ごとの人種の偏り、降水の特徴、何でも出てくる。

デザートのカスタード掛けのスポンジは、私のスプーンがなかったので先に退席したHigh Table組の席から未使用のスプーンをくすねて使う。銀メッキの立派なスプーンで得した気分だ。この辺まで来ると完全に無礼講になる。

どこかから誕生日の歌が始まって、皆でそろって拍手する。
よくあることらしい。ついでに知らない誰かの誕生会の写真に写りこんだりするのもあるあるなのだとか。

食事が終わった後は、DxxにCaiusを案内してもらう。月が明るいうえに、薄っすら雲がかかって虹の輪っかが出ている。
「あれは虹だよね。この現象としての名前はあるのかな。」
「ハローね。光はいつもそこにあるけど、雲がかからないと虹色に見えるように分光されないんだよ。」
Mxxxが写真を撮るが、やはり見えた通りには映らない。人間の目とカメラではレンズが違うし仕方ない。感じ方で見え方も変わるし。だからアートがあるんだよね、とぽつぽつ話す。

チャペルは明かりが落とされていたが、別の訪問客がオルガンを弾き始めている。戯れにピアノ用のジャズミュージックに近いものを弾いているようだ。DxxとMxxxが祭壇のフレスコ画の寓話の象徴性や人物について議論しているが、さすがにキリスト教トークは付いていけない。私もちょっと勉強するかな。

ツアーの最後はCaiusの有名な図書館である。ルネサンス期のギリシャ風の建築だ。パルテノン神殿を模した柱と、広々とした図書館建築が組み合わさって、実に荘厳だ。

現代的な空調や照明器具もあるが、すべてが良く調和するようにデザインが計算されている。オイルヒーターはよく隠された区画に置かれうえに、ブロンズ調の装飾が施してあり、コンセントもすべてテーブルとデザインが一体化された古びの良くついたブロンズ装飾だ。入り口の新書コーナーの小冊子も、プリンタ紙ではなく生成りの手すき風の模様紙が使われていて、隅々まで一貫した趣味が行き届いている。

柱の間に、生じている隙間が程よい隠れ家感があっていい感じだ。Dxxがお気に入りの勉強スポットを教えてくれる。細い階段を上って、大広間を見下ろす長い渡り廊下になっているところだ。人目に付きづらく、いかにもDxxっぽい。

他にも、なぜかでっかい人体模型がある医学書のアルコ―ヴとか、毛糸が置いてあって蛇が作れるように編み図もセットされている謎空間とか、面白いものが沢山隅っこに隠されている。遠目の厳かさと、近づいた時に分かるユーモアや親しみやすさの兼ね合いが素晴らしい。しっかり伝統を守っていても、それと同時に、ここを住み慣らしている学生たちの居場所であることが最優先なのだ。Mxxxが新着書の棚にくっついて離れなくなってしまうが、私はそろそろ眠い(この時点で22時半です)。

今度は自転車を置いたTrinity Hallに移る。Caiusのすぐ裏手だ。Mxxxは図書館の脇の細道が好きなのだという。ガス灯から電球を変えただけみたいな古めかしい作りの街灯も、細道を囲むいくつもの建築様式の建物が互いに背を向けあって、それぞれ秘密を持っている感じもいい。途中でCaiusのMCRの窓の下を通ると大賑わいのパーティー中だ。まだ木曜日だよ?

Trinity Hallも夜になるとひときわ窓から漏れる灯りが美しく、雰囲気がある。窓、と言っても通り一遍の窓ガラスではなく、樫木の桟が十字に交差していて、古い吹きガラスが柔らかに室内のオレンジの明かりを透かしたり、月の光を柔らかく跳ね返しているような窓なのだ。こういった細部の情報量の多さに自然環境との近似性があることが、中世から残ってきた建物の最大の持ち味なのだ。ケンブリッジにいると次第に見慣れてくるかと思ったが、別の光で見るたびに、改めてしっかりと美しい。幸せだ。

三人とも植物好きであるので、植物の話で盛り上がる。図書館の前のサルビアに手をかざして、花の間を泳がすと、手がサルビアの香りでいっぱいになることをMxxxが教えてくれる。後から知ることになるけど、これはもともとDxxの習慣で、Mxxxがまねして二人の習慣になったものだった。他にも、お気に入りのマグノリアの樹、イチジクの樹、いちいの樹を、二人がかわるがわる指さして教えてくれる。星も月も出ている。図書館には22時を過ぎても勉強をする学生がいる。

Mxxxは図書館の中のお気に入りの場所を教えてくれる。TrinityやSt. John’sのような大きなカレッジの隠された庭を見渡すことができる、人気のない階段の窓だ。まだまだにぎわっているKing’s Paradeの通りとは反対に、こちらは明かりも少なく森閑としている。そして、私たちはそのどちら側も知っているし、どちら側にも所属しているのだ。

中庭に出る。二人はそれぞれ窓をさして、最初の学年の時に二人が住んでいた部屋を教えてくれる。最初に学食の列で知り合って、それからずっと友達だそうだ。いいなあ。そんな友達。思い返すと、私の大学時代にもそんな友達が一人いたが、ふとしたすれ違いで失ってしまったのだった。ふわっと久しぶりに連絡してみようかな。いや、もう少し待ってみてもいい。人生はまだまだ長いんだから。


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