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ケンブリッジにいるアフリカ人たち

10年程前に、はじめて欧州の学会に参加した時、気づいたことがあった。欧米から来た白人、中国人らしき東アジア人、インド人、アラブ系もちらほら…そして、見渡す限りただの一人もアフリカ系がいなかったのだった。アフリカ系米国人もいなければ、アフリカ人もいない。黒人が一人もいない。

そこから少しずつ物事は変わっているようだけど、それでも黒人のアカデミアでのプレゼンスは不均整に低い。それはケンブリッジでも変わりはない。

それでも、50人に1人くらいはアフリカ系が混じっている。大体はMastercard scholarship programで選ばれてきた、北アフリカ出身の学生たちだ。

最初に会ったのは、ガーナ人のDxxxxだった。彼女は、「米国映画に出てくるような黒人」とはかけ離れている。エディマーフィーみたいなにぎやかさ、明るさとは無縁で、整然としてやや警戒心が強い第一印象だ。台所で良く料理しているが、会話にはあまり加わらず、一人で歌を歌いながらか、ボイスチャットで家族と話しながら料理している。そしてしょっちゅう、Mastercard Scholarどうしのイベントに参加していて、あまりその外のコミュニティとはかかわらない。

シェアハウスにしばらく一緒に住んでいると、特別シャイなわけでもないことが分かった。ただ、社会的に普通のことがあまりに自分の国と違うせいで、誰と話すときも相手の出方をうかがってしまうためにシャイに見えていただけなのだった。

私も多分、ずっと「自分の常識が通じない怪しい日本人」だと思われていた。何かの折に、ちょっとずつお互いの料理したものを交換したり、台所でぽつぽつ話す中で、私が一言、
「アフリカから来たら、やっぱり自分の国と違うところも多いんでしょ?日本と英国だったら、島国同士、先進国同士だから共通点もそれなりにあるけどさ。」
と言ったら、そこで堰を切ったようにDxxxxが話しはじめた。
祖国では、道ですれ違う時に挨拶をするのが当たり前であること。
台所で料理をしたら、その後を片付けるのが当たり前であること。
アジア人(つまり我が家にいる日中韓国人)が食べる量の倍くらいを食べるのがふつうであること。
たぶん、いちばんカルチャーショックを受けているのがアフリカから来た学生だから、どうしてもアフリカ出身同志のほうが話しやすいということ。
Mastercard Scholarship Programでも、カルチャーショックの緩和のために特別なファシリテーションや学習の機会を設けていること。

台所を荒らしまくる白人女性集団への苦手意識を共有していると、この家で一番私と似ているのって、やっぱりガーナ出身の、超秀才の、穏やかで整然としたDxxxxかもって気がしてくる。そしてDxxxxのほうも、ヨクワカラン「日本」なる国から来たこいつは、あんがい自分と共通点も多くて話しやすいかもって思ってくれているかも。

「あいつら(白人女性たち)、ゆーっくり冬休みを地元で過ごしてくれるといいな」
「そうだよね、ずっと台所が綺麗だといいのに」

冬休みが始まってから、Dxxxxは台所で料理するときに家族と話す頻度が減った。たぶん、居残っているのが中国、韓国、日本人で、いずれもガーナ人の肌が黒いから、見た目が自分と違うからといって無視しないし、キッチンも荒らさないからだ。その代わり、私や中国人が台所で料理していると、ぽつぽつDxxxxのほうからも話しかけてくるようになった。奨学金の面接のこととか、白人集団への苦手意識とか。

今日もまたぽつぽつと話して、今度お互いの得意料理のレシピを教えあう約束をしてから部屋に戻ると、私の鼻の先にパプリカの種がくっついてる!社会常識が違いすぎて指摘していいかわからないからDxxxxには指摘できなかったのだ。Dxxxxよ。

Dxxxxをアフリカ出身者の代表値とするわけにはいかないけど、他のナイジェリアやガーナの出身者を見渡しても、一見「シャイ」な学生がおおい。ジェスチャ、話題選び、マナーみたいな社会常識がイチから十まで祖国と違うせいで、何か変なことをしていないか常に気を付けていないと大失敗をしてしまうからだ。

私はあるナイジェリア人の「大失敗」の現場に遭遇したことがある。梨木香歩の「春になったら苺を摘みに」に出てくるような残念な感じの現場だ。最初は著者のほうに共感して、それからしばらくアフリカンたちと過ごすとともに、少しずつ見方が変わってきた。またそれもどこかで書いておきたい。

アフリカ文化圏の出身者は、日本を知らない学生が多い。たいがいの先進国やアジア圏出身者は、アニメや漫画のようなサブカル、またはお茶、桜、着物のような日本の伝統文化に人生のどこかで接する機会があって、日本に対して何らかのイメージを持っていることが多い。アフリカ系の場合は、日本人がアフリカに対して持っているのと同じイメージの空白がある。お互い未知の相手すぎて、会話の糸口がつかみにくい。

そんな未知の国から来た未知の人であっても、お互いケンブリッジの学生として一緒に過ごすと、ちょっとずつお互いのことが分かってくる。とても貴重な縁だし、大事にしたいものである。

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