夜に、燦々と。
深夜の環七を車でブババババと走っていた頃、
よくクリープハイプの「憂、燦々」を聴いていた。
当時、私がしていた仕事は繁忙期になれば昼夜問わず動き続けるもので、
忙しくなってしまうと一週間以上は帰宅できず、軟禁状態になる。
桜が咲き始める前に繁忙期に入り、軟禁状態のまま一週間以上のデスマーチを抜け、終わった頃には葉桜になっていた春を一回だけ経験した事があったが、あれは何と言うのか、浦島太郎状態というか、花見を満喫しきった感を出してるこの世と会社と上司を呪った。
しかし、暇な時は三時間くらい会社に居て「外回りいってきまーす」と、暇を潰しに近くの図書館に行ったりしても大丈夫、という適当なところだった。
その業界全般がそんな感じだったので、そんな違和感なく働いていたし、
現在はどんどんホワイトになっていってると思うので、一般職より少しブラックくらいなイメージでいる。
まぁ、会社によりけり、ではあるけれど。
不思議なもので、ブラックな空間にいると周りが全く見えない。
なので、自分がいかにブラックな業界にいたのかもよくわかっていなかった。ブラック企業のブラックって「会社がやべー」っていう実感を、そこから抜け出してみて初めて認知する、というのか、あそこはブラックホールだったのかと理解できるのだと体感した。
しかし、仕事ってのは、多少なりとも無理が付き物なものだと思っている。
そして、私自身はその業界自体の雰囲気は嫌いではなくて、もう少しマシなやり方あんだろバーカいつまでもアナログなやり方してんじゃねーぞ要領よくやりやがれ老害どもとも思ってる。
そういう老害にならないように、とも気にかけてる。
新しい技術はなるべく自発的に取り入れていきたい。
一週間以上会社から離れられないほど、仕事が激ヤバ大炎上デスマーチだった時、一時帰宅して休む暇もなく、
・会社の床に寝袋をひいて寝る
・椅子を三つほど並べて寝る
・床に段ボールを敷いて寝る
・机に突っ伏して寝る
などの対処をしながらどうにか寝ようと試みるも、その時はどうしても頭が痒くて仕方なかった。会社の床がカーペットだったので何が住んでるか想像するとゾッとするので、深く考えないようにしていた。
頭が痒いとイライラする。
外回りのついでに一時帰宅して風呂に入れる余裕も無く、イライラしながら仕事をしていた。
そんなイライラMAXな最中、外回りで運転していて信号待ちした時に、車道横の公園の水道にふと目が止まった。
頭の痒さはピークだった。頭皮ごと剥がしたいくらいには。
窓に息を吹きかけ曇らせて♡を描く、なんてこと昔よくやってたけど、それが自分の肩でできるくらいに肩にフケが溜まっていた。
運転席の頭をつける部分にもフケが付いていた。後でガムテで取ったけど、とりあえずもう女として終わっていた。
公園の水道に目を奪われた私は、すぐさま車を横付けし、公園の水道で頭をグシャグシャに洗った。隈なく洗った。
タオルで軽く頭を拭いていた時、何か、何て言うか、
何かが失われ何かが生まれた。
目的地にたどり着くまでの間、車の窓全開にして髪を乾かしながら環七をブババババと走っていたら、
「私、何やってんだろ」と笑いが込み上げてきた。
すっかり乾いて爽快になれたのは、夏の夜のせいだから。しかもド深夜。
それもそれで職質されてもおかしくなかったように思う。
車の運転が無かったらそのままビールも飲みたかったくらいには爽快な気分になっていた。
「やってやったぜ」って謎の高揚感。
デスマーチ大炎上上等だコノヤロ夜露死苦ゥ状態でやっていた仕事は、三年で辞める事になる。
単純に飽きてしまったため。
同じ業界の別職種に移ることにした。
また色んなことを覚え直さないといけなかったが、こんな焼け野が原ばかり広がるデスマーチを何年も先やっていける自信は無かった。
その当時の私は、殺意を持って仕事をしていた。
目の前の仕事をとりあえず切り捌く。捌きまくって、焼いて、また次の仕事を切りまくり、焼いて、ヤケ酒して、絡みまくってシラフに戻り、また切って焼いての繰り返し。
達成感は多少あったが、目の前のものをひたすら切り捌く感覚は、殺意に似ていたと思う。
当時は、今より自分に自信が持っていたし、何より、昔は体力気力共にあったから、やり遂げられた事でもあった。
今はさすがにできない、ていうかやりたくない。
自分に自信を持つという事は、当たり前にできるようでできなかったりする。すぐ挫ける。挫けてもまた立ち直れるか、最終的には本人次第なのだと思う。
どこかのTwitterで、自分の機嫌は自分で取れ、他人に取らせるな、と書いてあったのを見かけた事があるが、正しく「それな」と思った。
そうやって、自分のことを自分が一番に支えていけるように生きていけたら、少しは楽になるなぁと、最近気付けたように思える。