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ここぞとばかりのメッセージ
今日も空が美しい。
ここ何年か空がとても澄んで見える。気がつくと空ばかり見ている。
子どものころは、いつも家族の庇護の下にある自分が無力で無意味な存在に思えて情けなくて、苦しかった。早く大人になって自分のことは何でもできるようになりたいと思っていた。
ところが、なかなか思うように自分のことはできない。ましてや、人に喜ばれるようなことはたいしてできない。何より大人になるにはかなり時間がかかるということがわかると、だんだんちっぽけな自分が疎ましくなった。こんな無力な人間はこの世にたった一人のような気がしてきた。
学校の中ではみんながまぶしく見え、家に帰ると兄や姉が立派で、親に申し訳なく思った。一人でいても孤独、人に囲まれていても孤独。独りにもなれず、群れることもできず、ふらりふらりと漂うように生きていた。
一生懸命に周りの求めることをかぎとって、望ましいであろうと思われるようにふるまった。なんとか優等生になろうと背伸びばかりをしていた。
ずーっとそうやって生きていると生きているのが辛くなる。自分が生きているのは申し訳なくなる。何をしても自分が悪いように思える。自分の存在そのものが申し訳なくなる。ごめんなさい、ごめんなさいと生きていくようになった。
そうして、だんだんさっさと大人になって死ねたらいいなあと思うようになった。
うまくいかないと、ああ死にたい。いいことがあっても、いいことは続かないだろうから、このまま死にたい、何にもなくても死ぬことばかり考えるようになった。気がつくと宙ぶらりんに生きていた。
自分が何をしたいのか、何をしたらいいのかわからぬままに、いろいろな人を見てみたいという思いで、仕事についた。
この時だ。一緒に仕事をする先輩に、そつなく適当に仕事をこなそうとしていることを注意された。心のないままでは一緒にやっていけないと。
言葉をかけても、うわべだけ。伝える言葉になっていない。そんな人とは一緒にやれない。よく考えてきなさいと。
その場限りの上辺だけ取り繕った宙ぶらりんな自分を見透かされた。この方からのメッセージは胸にささったまま今も抜けることはない。
このメッセージを受け取って、私の心に何かがうまれた。大事に育てていくと宝になる何か。
この時から4年間、この方と公私ともにたくさんの時間を過ごし、大事なことを学ばせていただいた。私の基礎をかためた時となった。
基礎をかためるために、がむしゃらにがんばった。周りが見えないくらい、自分の考えを確信するためにたくさんの人と話をし、信念をもって仕事をした。若気の至りというようなこともたくさんあった。今思い出すと、恥ずかしいやら、周りの人に申し訳ないやら。よくぞ私の未熟な仕事を信頼し、支え、見守ってくださったと思う。ぐいぐいと自分の主張で他の人の意見をねじ伏せたような時もあったのではないかと思う。それでも一緒に快く仕事をしてくださった人たちに今再び感謝する。
あら、急に過去から今に戻ってきてしまった。過去の若い自分と向き合っていると、前は落ち込んでばかりだった。後悔ばかりだった。
あの頃はこんな風に空を見上げる余裕がなかった。若かった。必死でまっすぐ前ばかり見ていた。
この充実した日々を、大事な人間関係を手放すことにしたのは、このままずるずると続けても、慣れてしまって、またいつか上辺だけの仕事をする自分が見えていたからというのもあるけれど、私が逃げてきた大きな宿題に取り掛からなくてはと思ったからだ。やめるなら今だと声がした気がした。
決まっていた仕事がなくなって、新しい仕事を見つけると、また魅力的な人たちに出会った。お互いに仕事のこと暮らしのこと深く深く話をした。だんだん新しい世界を知りたくなった。同じ頃、仲間がやめ、職場に不穏な出来事が次々とふってきた。そこに、新しい仕事の声がかかった。
新しい仕事は1年の期限つき。新しい世界新しい人たちとの暮らしはくるくると過ぎていった。ここでも、たくさんの人と話をして、おもしろい時間をいっぱい過ごした。そして、次の仕事を紹介してもらった。
ここでも、一緒に働く人たちとたくさん話をして、作り上げる日々の暮らしは楽しかった。楽しすぎて、突っ走って疲れ切って、このままずっとこの生活でいいのかと迷い始めた。その時、ここで休まなくてはいけないという声が聞こえた気がした。ここで休むことにしたおかげで、女としての自分をすてていた、結婚なんて夢にも思わなかったのが、あれよあれよと結婚することになる。気がつくと職場で頼りにしていたおとさんとつきあい、結婚していた。初めて一緒にいて、何もかもさらけ出せた人だった。こんなことになるなんて、いったいどういうことなんだい。神様の気まぐれかしらん。
深夜まで仕事して、真っ暗な中へとへとになって帰った日々が終わり、初めて仕事のない暮らしになった。時間にとらわれることがぐんと減った。楽になった部分もある。責任はなくなった。自由になった。でも、それはそれで落ち着かない。家事はどこまでもきりがない。自分次第でなんとでもなる暮らしが、再び自分の無力さを照らし出すようで、おとさんだけが働いて、養ってもらっている自分が情けなくなった。おとさんは好きにしたらいいと言ってくれるのに、そう言われれば言われるほどに申し訳なくなった。これではいかんと働ける範囲で少しの時間働いた。ちょっと働いて自分でお金を稼ぐと少し心が落ち着いた。
すると、神様の気まぐれはまだまだ続き、1人息子がうまれてくれた。
見える世界が変わってきた。出会う人との時間も変わってきた。見知らぬ人から親切にされる驚き。この世の人はこんなに人のために優しくなれるのかと驚くような優しい人たちに出会った。若いころは一緒に過ごす人たちと心を密に通わせたけれど、子どもを育てる時って、一期一会を実感するような出会いと心の通わせ方をする。その場その場で出会った人と瞬間に共感しては別れていくのだ。
この頃から、空を見上げるようにはなった。それはただの天気の確認。雨の日と晴れの日は子どもに着せるものも用意する荷物も変わるから。
赤ちゃんだった子が、1人で歩けるようになるまでも、それはとてもとても密なる時間の積み重ね。新しいことばかりで、こわさと楽しさとが嵐のように、グルングルンと吹き荒れる。必死で踏ん張って、とりあえず、近くの強そうなものにしがみついてふきとばされないようにしてきた気がする。そのしがみついてきたものは私に安心をくれるまちがいのないものだったと思う。
そうして、子どもとめくるめく時間を過ごしながら、少し心に余裕ができた時に、田植えのイベントがあることを見つけた。子どもを自然に触れさせたい、自分もいつか土の仕事をしたいと思っていたから、思い切って参加した。行ってみれば、なんだか行ったことがあるような場所。独身時代に知り合った人に誘われて、お邪魔したことがある場所だった。不思議なご縁。ちゃんと私のことを覚えていてくださった。不思議なご縁。これを機に毎年田植えや稲刈りのイベントに家族で参加するようになった。
私たち家族が暮らす中で、苦しいことや楽しいことや逃げ出したくなることが、それぞれにあって。そんな日々の中で、このイベントに参加するのは家族3人の共通の楽しみとなっていた。この日を楽しみに暮らし、この日に気持ちをリセットし、エネルギーを充電する。そんな私たち家族の祭りの日。いい天気であることを祈る日。そして、いつもいい天気で、山は美しく、空が遠く広く、鳥やカエルやトンボたち生き物が元気に動き回っている日。
毎年このイベントには毎回入れ替わり立ち替わり新しい参加者が来る。魅力的な人たちばかりだ。その中の一人の方がとても子どものように屈託なく笑う人だった。そのうち移住されて、イベントの定位置に安住された。なんとなく安心感。
その方の描いたイラストが表紙の本が出版されるという。このところケチケチ暮らしをしているので、本は図書館頼みだったけれど、今すぐ読みなさいという声が聞こえた。未来ノート。ふーんって感じ。
出版されるのを待ちわびるなんて初めての感覚。息子の体のこと、自分の仕事のこと、そして自分の暮らしのことでけっこうに追い詰められている中で、この本は必要だと漠然と感じていた。
そして、この本は地元の本屋さんで買わなくてはいけないという気がしていた。1店目は今売り切れたところとのこと。入荷を待つのももどかしく、別の本屋さんに行ったら、幸いにお会いできた。出会うのを待つのではなく、自分で見つけたかったのだと思う。
老眼がきつくなって、なかなか本を読むのに集中できない日々だったけれど、この本はすーっとしみわたるように心地よく入ってきた。今の自分の状況と過去の自分の状況といろいろな自分が静かに行ったり来たり。苦しみながら、つかんできたメッセージと同じメッセージがいっぱいつまっていて、案外私ってちゃんと必要なことは見つけて生きてこられたんだなと思いながら読みだすと、しっかりかみしめて味わいつくして読もうと時間をかけて読むようになった。
読み終わったら、一つステップをのぼったような、目の前の霧が晴れたような確信があった。ここで、生きなおしをはかれば、息子のことも仕事もうまくいくような気がして、ふわふわ生きてきた自分を変えて本気で生きようと思えた。ゆらゆらやじろべえのような自分にちょっと芯が通った気がした。逃げてきた宿題が一つ片付いた気がしたのだ。いいことあるぞー。
そんな矢先に苦しいことが起きたけれど、大丈夫としっかりうけとめられることができた。逃げないでいられた。
私はこれからまた揺らぐだろう、迷うだろう。でも、今までの私とはちがう。逃げないで生きていくと決めた。自分が見たい世界をみてみようと。
空がきれい。晴れの日も曇りの日も雨の日も。朝も昼も夜も。きれいな世界が見える目を持っていたい。濁らせないように。
そうすれば、大事なメッセージを見逃すことなく受け止められる気がする。私の暮らしの中に降り注ぐたくさんのメッセージをしっかりうけとめてきた自分がいる。これからももっともっとうけとめられるようになりたい。空の美しさを見失うことがあったら、自分をとりもどそう。美しい空の下で、美しい人たちと穏やかな時間を積み重ねたい。
今までの出会いに感謝します。この世に在ることに心から感謝します。
そんなことを思わせてくれた本でした。