
世界は廻る、人生も廻る。【歌詞考察】Oasis「Champagne Supernova」
「サイケデリックロックの傑作」
私の大好きな曲に、Oasisの「Champagne Supernova」(シャンパン・スーパノヴァ)という曲があります。
先日、Oasis再結成に際して日本公式アカウントが代表曲を紹介するということをしていたのですが、そのうちの「Champagne Supernova」紹介ツイートが素晴らしかったです。
#オアシス再結成 を記念して代表曲を紹介!⑬
— Oasis Japan / オアシス日本公式 (@Oasis19931997) September 15, 2024
「Champagne Supernova」は名盤『モーニング・グローリー』のラストを飾る人気曲。
螺旋を描くように高揚していく楽曲展開とダイナミックなギターソロが陶酔感を生む、サイケデリックロックの傑作です。
🎥MVを再生: https://t.co/zo3c9RvP2Z#Oasis pic.twitter.com/LsA1a7K6X2
「螺旋を描くように高揚していく楽曲展開とダイナミックなギターソロが陶酔感を生む、サイケデリックロックの傑作」。この曲を紹介するのにこれ以上良い表現は見つからない、最高の紹介文です。聞いていただければわかるのですが、まさにこの曲は「螺旋を描くよう」な「高揚」と「陶酔感」に満ちています。
「サイケデリックロック」とは簡単に言えばドラッグによる幻覚を再現した音楽です。Oasisはドラッグをキメながら曲を作ったりライブをしたりするバンドですので、ドラッグ関連の曲というか、ドラッグでハイになった曲が多いです。しかし、その中でも、「Champagne Supernova」はその芸術性において唯一無二の輝きを放っていると思います。
今回は、歌詞の和訳のみならず、そこから見えてくるこの曲の人生観や芸術性を読み解いてみようと思います。
ぜひMVを再生しながらお読みください。
"supernova" とは「超新星」という意味ですが、この曲のコンテクストでは音として訳すのが適切だと思いますので、"Champagne Supernova" を「シャンパン超新星」とは訳さず「シャンパン・スーパノヴァ」と表記しています。
ちなみに、巷では、「シャンパン・スーパノヴァ」とは、ドラッグを混ぜた酒の名前だとか、"Supernova" は "Bossa Nova" の響きから連想したものだとか、言われているみたいです。
【歌詞和訳】
How many special people change?
どれだけの特別な人が変わるんだろう?
How many lives are living strange?
どれだけの人が風変わりな生き方をしているんだろう?
Where were you while we were getting high?
僕らがハイになっていた時君はどこにいた?
Slowly walking down the hall
廊下をゆっくり下っていく
Faster than a cannonball
砲弾よりも素早く
Where were you while we were getting high?
僕らがハイになっていた時君はどこにいた?
Someday you will find me
いつか君は僕を見つけるだろう
Caught beneath the landslide
地滑りに巻き込まれた僕を
In a champagne supernova in the sky
空にあるシャンパン・スーパノヴァの中に
Someday you will find me
いつか君は僕を見つけるだろう
Caught beneath the landslide
地滑りに巻き込まれた僕を
In a champagne supernova in the sky
空にあるシャンパン・スーパノヴァの中に
A champagne supernova in the sky
空にあるシャンパン・スーパノヴァ
Wake up the dawn and ask her why
朝目覚めてわけを尋ねる
A dreamer dreams she never dies
不死を夢見る夢想家の子に
Wipe that tear away now from your eye
ほら目の上の涙を拭って
Slowly walking down the hall
廊下をゆっくり下っていく
Faster than a cannonball
砲弾よりも素早く
Where were you while we were getting high?
僕らがハイになっていた時君はどこにいた?
Someday you will find me
いつか君は僕を見つけるだろう
Caught beneath the landslide
地滑りに巻き込まれた僕を
In a champagne supernova in the sky
空にあるシャンパン・スーパノヴァの中に
Someday you will find me
いつか君は僕を見つけるだろう
Caught beneath the landslide
地滑りに巻き込まれた僕を
In a champagne supernova in the sky
空にあるシャンパン・スーパノヴァの中に
A champagne supernova in the sky
空にあるシャンパン・スーパノヴァ
‘Cos people believe
だって人々は信じている
That they’re gonna get away for the summer
夏にはどこかへ出かけることになるって
But you and I, we live and die
でも君と僕、そう僕らは生き死に
The world’s still spinning ’round, we don’t know why
世界はそれでも廻り続ける、僕らはそのわけを知らない
Why, why, why, why?
どうして、どうして、どうして、どうして?
How many special people change?
どれだけの特別な人が変わるんだろう?
How many lives are living strange?
どれだけの人が風変わりな生き方をしているんだろう?
Where were you while we were getting high?
僕らがハイになっていた時君はどこにいた?
Slowly walking down the hall
廊下をゆっくり下っていく
Faster than a cannonball
砲弾よりも素早く
Where were you while we were getting high?
僕らがハイになっていた時君はどこにいた?
Someday you will find me
いつか君は僕を見つけるだろう
Caught beneath the landslide
地滑りに巻き込まれた僕を
In a champagne supernova in the sky
空にあるシャンパン・スーパノヴァの中に
Someday you will find me
いつか君は僕を見つけるだろう
Caught beneath the landslide
地滑りに巻き込まれた僕を
In a champagne supernova
シャンパン・スーパノヴァの中に
A champagne supernova
シャンパン・スーパノヴァ
‘Cos people believe
だって人々は信じている
That they’re gonna get away for the summer
夏にはどこかへ出かけることになるって
But you and I, we live and die
でも君と僕、そう僕らは生き死に
The world’s still spinning ’round, we don’t know why
世界はそれでも廻り続ける、僕らはそのわけを知らない
Why, why, why, why?
どうして、どうして、どうして、どうして?
How many special people change?
どれだけの特別な人が変わるんだろう?
How many lives are living strange?
どれだけの人が風変わりな生き方をしているんだろう?
Where were you while we were getting high?
僕らがハイになっていた時君はどこにいた?
We were getting high……
僕らがハイになっていた時……(以下繰り返し)
【歌詞概観】
この曲のほとんどの歌詞はリピートなので、実際に検討すべきリリックを初出のパートに絞って見ていきます。
まず、冒頭。
How many special people change?
どれだけの特別な人が変わるんだろう?
How many lives are living strange?
どれだけの人が風変わりな生き方をしているんだろう?
Where were you while we were getting high?
僕らがハイになっていた時君はどこにいた?
Slowly walking down the hall
廊下をゆっくり下っていく
Faster than a cannonball
砲弾よりも素早く
Where were you while we were getting high?
僕らがハイになっていた時君はどこにいた?
いきなり異世界に引き込むような不思議な歌詞です。出だしから、人生の物思いに耽ったり、「ハイになってた時どこにいた?」と尋ねたり、ふんわりと体が浮いたような浮遊感があります。メロディも歌詞もどこか地に足がつかない雰囲気のまま始まるところが、サイケデリックの世界をゆっくりと開いていくようで、この曲にぴったりです。
各行の末尾は、2つセットの押韻+"high" という形式になっています。連続する2つの韻と独立した3行目で1セットを作りつつ、セット間では3行目末尾で押韻を作っています。整理すると次のような感じです。
How many special people change? ・・・(A)
How many lives are living strange? ・・・(A)
Where were you while we were getting high? ・・・(C)
Slowly walking down the hall ・・・(B)
Faster than a cannonball ・・・(B)
Where were you while we were getting high? ・・・(C)
この韻の踏み方(「A→A→C, B→B→C」というタイプ)、Oasisの超有名曲「Don't Look Back In Anger」の冒頭もこの構成です。
【 「Don't Look Back In Anger」の冒頭】
Slip inside the eye of your mind ・・・(A)
Don’t you know you might find ・・・(A)
A better place to play ・・・(C)
You said that you’d never been ・・・(B)
But all the things that you’ve seen ・・・(B)
Will slowly fade away ・・・(C)
韻がうまくハマっていると聞いていて心地がいいですね。また、「廊下をゆっくり下っていく」「砲弾よりも素早く」というアンビバレントな歌詞がとても詩的です。
歌詞を続けます。
Someday you will find me
いつか君は僕を見つけるだろう
Caught beneath the landslide
地滑りに巻き込まれた僕を
In a champagne supernova in the sky
空にあるシャンパン・スーパノヴァの中に
ちょっと不思議な歌詞です。「地滑りに巻き込まれ」るって、なんのことでしょう。それも、空にある「シャンパン超新星」の中の地滑りです。
様々な解釈ができるとは思いますが、私はこの曲の一つのテーマは「時間」であると考えています。限りなく廻り廻る時間の中で、自分の命は世界に絡め取られていきます。その様が、まさに「地滑りに巻き込まれた僕」なのではないかという気がします(詳細は後述)。
Wake up the dawn and ask her why
朝目覚めてわけを尋ねる
A dreamer dreams she never dies
不死を夢見る夢想家の子に
Wipe that tear away now from your eye
ほら目の上の涙を拭って
ここで新たに「夢想家の子」が登場します。彼女は不死を夢見ているみたいです。その後、「涙を拭って」と続きますが、"you" が "she" と同じ人を指すなら、不死を夢見る彼女は、不死が夢でしかないことを悟って泣いているのかもしれません。
‘Cos people believe
だって人々は信じている
That they’re gonna get away for the summer
夏にはどこかへ出かけることになるって
But you and I, we live and die
でも君と僕、そう僕らは生き死に
The world’s still spinning ’round, we don’t know why
世界はそれでも廻り続ける、僕らはそのわけを知らない
Why, why, why, why?
どうして、どうして、どうして、どうして?
さて、ここが私の思うこの曲の核心的な部分です。特に太字部。
「でも君と僕、そう僕らは生き死に」「世界はそれでも廻り続ける」。世界は僕たちの人生に関わりなく、そう、どれだけ数奇な人生を歩もうが、不死を夢見ようが、廻っていて、僕らの命もいつかは尽きるのです。
以下、この曲から連想される諸アイデアを引き合いに出しつつ、歌詞を発展的に考察していきます。
円環時間と人生
時間には、直線時間と円観時間、という二つの見方があります。
直線時間とは、数直線上に時間を描きだすような見方です。例えば人生も、〈生を受けて、成長して、大人になって、やがて年老いて死を迎える〉、という一直線上の時間経過で表すことができます。直線的な時間観念のもとでは、ひとの一生だけでなく、世界一般、例えば生物や社会についても、それらは数直線の上を進むように「進化」してきたのだ、と考えられます。ヘーゲルの歴史観やダーヴィニズムなど西洋近代のパラダイムを支えてきたのはこの「直線時間」の考え方でした。

一方、円環時間とは、時間を円環・循環するものとして描き出す見方です。例えば、マクロな観点で見れば生物は生き死にを繰り返しており、人の生と死も廻り続ける大きな円環です。ミクロな観点でも、例えば私たちは毎日、朝に目覚めて、夜に眠りにつく、というサイクルを繰り返しています。ミクロでもマクロでも、さまざまなレベルで、世界は一定のサイクルを繰り返しており、時間はそうやって「廻って」いるんだ、というのが円環的な時間観念です。

この視座を持って「Champagne Supernova」の歌詞を見直すと、この曲のテーマは明らかに「円環時間」であるという気がしてなりません。
But you and I, we live and die
でも君と僕、そう僕らは生き死に
The world’s still spinning ’round, we don’t know why
世界はそれでも廻り続ける、僕らはそのわけを知らない
Why, why, why, why?
どうして、どうして、どうして、どうして?
所詮、私たちは生を受けてやがて死ぬ存在です。人生を直線時間から見れば自分たちの人生は数直線の上に描くことができるわけですが、その数直線はある一点から始まり、やがて途切れてしまいます(人生における生と死)。にもかかわらず、世界はその数直線の始点・終点とは無関係にひたすら廻り続けているのです。なお、和訳の中で「世界はそれでも廻り続ける」と書いたのは、"The world’s still spinning ’round" の訳出です。私たちの人生は、生という始点とともに死という終点からも逃れることができない( "we live and die" )わけですが、それとは無関係に、世界はひたすら廻り続けている。マクロな視点で人生を見た時の侘しさと世界の円環的な摂理がここに見て取れます。
そして、そういった世界の摂理は人間の理解できる規模を超えています。なぜ世界は廻り続けるのか。自分が生まれる前にも世界はあって、きっと自分が死んだ後にも世界は廻り続けるでしょう。しかし、その「わけ」はひとが理解できる範疇を超えています( "we don’t know why" )。それは「僕ら」にとってはあまりに超越性を帯びた摂理なのです。
この曲において、「円環」のテーマは歌詞のみならずメロディやMVにおいても通底しています。先に紹介した公式アカウントが「螺旋を描くように高揚していく楽曲展開」と説明したように、同じフレーズ・同じメロディがぐるりぐるりと繰り返されながら、後半にかけて徐々に盛り上がってくる構成になっています。まさに「螺旋」のような展開です。MVも波打ち際を想起させる音と映像イメージから幕を開け、寝転ぶリアムの真上を螺旋のようにぐるぐる廻るカメラワークになっています。出だしの波打ち際のイメージは、サイケデリックな浮遊感を演出しつつ、波及を伴いながら同じパターンが繰り返されるという螺旋的な印象を強く喚起しています。
MVをもう一度置いておきます。

否応なく廻り続ける世界の中で、人間は自らの生死という絶対性から逃れることができません。しかし、ひとは死を怖れる生き物です。不死を夢見て( "dreams she never dies" )泣くこともあれば、死を忘れようと気晴らしに走ることもあるでしょう。マルティン・ハイデガー(1889 - 1976)は、自らの死の必然性と向き合うことなく、気晴らしや日常に個を埋没させる生き方を「世人」(ダス・マン)と呼んで批判しました。夏、気晴らしを求めてバカンス旅行に出かける生き方は、ハイデガーにしてみれば、自らの死に向き合わずに生きる「世人」的なあり方です。
しかしながら、やはり夏にどこかへ出かけて( "they’re gonna get away for the summer" )気晴らしをしようとしても、ひとは繰り返される生と死の摂理から逃れることができない( "But you and I, we live and die" )のです。
そうやって一つ一つのミクロな命は、超越的なマクロの世界の円環に絡め取られていきます。
Someday you will find me
いつか君は僕を見つけるだろう
Caught beneath the landslide
地滑りに巻き込まれた僕を
In a champagne supernova in the sky
空にあるシャンパン・スーパノヴァの中に
「僕」もいつかは命尽きるでしょう。廻り廻る世界の中に「僕」の命はかえっていきます。まるで地滑りに飲み込まれるように、普遍的な螺旋の中に取り込まれていきます。もしかしたら、シャンパン・スーパノヴァは、廻り廻る世界の中で、命がかえっていくところなのかもしれません。
物質的循環と永劫回帰
「スーパノヴァ(supernova)」は日本語で「超新星」。星がその進化の最終段階において、急に太陽光度の100億倍もの明るさで輝きだす現象のことです。よく知られている「超新星爆発」は、星にとっては一生の最後に放つ大爆発です。
では、超新星爆発で一生を終えた星はその後どうなるかというと、残り屑として宇宙に拡散し、やがて物質的循環の中で新しい星の構成要素にかえっていきます。人間の目には不動のように映る星も、人間と同じように自身の「一生」があり、とてつもなくマクロな物質的循環の中で「廻り続けている」のです。これは星の自転とか公転とかいう意味ではなく、円環時間の巨大な摂理の中で、星にとっての生も「廻り続けている」ということです。

物質的循環に目を向けると、あらゆるものは廻り続けていることになります。そしてその円環は重層的・複層的なものです。人間には人間の生のスパンがありますが、人間を乗せている地球にも地球自身の時間の円環があります。もっと広げていけば、地球を包む銀河、さらにそれを包む宇宙(universe)にも時間の円環があるのでしょう。「僕」の命がシャンパン・スーパノヴァの地滑りに飲み込まれるなら、きっと「シャンパン・スーパノヴァ」も、より大きなものの地滑りに飲み込まれていくと考えられます。
「Supernova」は星の一生の終わりでありながら、宇宙の物質循環の象徴です。生と死から逃れられないという必然性は、物質循環と円環時間の摂理として、人間、星、宇宙……と超複層的に連なっているのです。
この考え方を「永劫回帰」として提唱したのが、フリードリヒ・ニーチェ(1844 - 1900)です。永劫回帰とは、その大小に関わらず、世界のあらゆるものは永遠に繰り返されているという考え方です。世界はただあるがままに繰り返されるのみで、そこには目的も動機もない、というのが彼のニヒリズムの思想でした。
ここまで使ってきた言葉で言い換えるなら、永劫回帰という世界の摂理の中で、あらゆるものは「廻り続けて」います。しかもそれに意味や目的はない。やはり、廻り続ける世界の「わけ」を、「僕ら」は知り得ないわけです。
The world’s still spinning ’round, we don’t know why
世界はそれでも廻り続ける、僕らはそのわけを知らない
Why, why, why, why?
どうして、どうして、どうして、どうして?
「Champagne Supernova」の楽曲展開では、この歌詞の直後にクライマックスを迎え、ギターソロに入ります。この場面ではMVでもシーンが頻繁に切り替わり、目が眩むような曖昧な視覚イメージの中で螺旋に飲み込まれていく感覚があります。

しかし、ギターソロが終わると酔いから冷めたように旋律も視覚イメージも落ち着きを見せます。

まるでクラブで酔いに酔った後、外に出て冷たい風にさらされて我に帰るかのような、熱が下がっていく感覚があります。
最後は、出だしのフレーズを繰り返しながらフェードアウトしていきます。
How many special people change?
どれだけの特別な人が変わるんだろう?
How many lives are living strange?
どれだけの人が風変わりな生き方をしているんだろう?
廻り続ける世界の中で、自分の命も大きなマクロな円環の一部です。そんな、いわばちっぽけで一瞬の生を、人はどう生きているんだろう。大きな摂理を見た後ふと自分の足元を見るような人間らしい等身大のありようを、ここに見出せるような気がします。
再度、この名曲の魅力について
世界も人生も、廻り続けています。
そんな、永劫回帰や輪廻転生とでも言うべき、巨大なサイクルの摂理が世界には「わけ」もなく存在しています。
「Champagne Supernova」は、酔いに酔ったサイケデリックな浮遊感の中で、妄想をめぐらすように世界と人生についての物思いにのめり込んでいく、そんな曲と言えるでしょう。
その物思いは、まるで酔いや幻覚によって目が眩んでいくさまとパラレルになるように、円環時間の螺旋的な構造に向いていきます。歌詞においても、音楽性でも映像性でも、この曲のテーマは「円環」や「螺旋」です。
それがサイケデリックな「酔い」や「くらみ」と文学的・視覚的・聴覚的に絶妙に重ねられているところに、この曲の芸術性の高さがあるのです。
「Champagne Supernova」の秘める芸術性の高さが、少しでも伝わったなら幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました
