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もし生まれ変わることがあるのならば

先日、中学生の頃から友人が、婚約した。夫となる人は指輪含め装飾品に興味がなく「なぜ買うの?なんのために必要なの?プレゼンして」というようなユニークな人で彼女は一喜一憂。すったもんだの末、結果として彼らはMIKIMOTOでペアの結婚指輪を決めた。

実は37歳の誕生日、私も大好きな彼からお揃いの指輪をもらった。出会って3年の記念と、誕生日祝いとして。CHANELのウルトラコレクションの純白の指輪を。

その日はまだ8月の猛暑で、しかもタイミング悪く天気雨が降ったり止んだり。私たちはナチュラルローソンで雨宿りしながら、ときどき空を見上げる。そして晴れ間が出た瞬間、腕を組み、私たちは日比谷・帝国ホテルのブティックへ向かった。

日比谷・帝国ホテルのCHANELブティックは日本国内でもファインジュエリーを豊富に扱う特別なブティック。日本橋三越本店より銀座の旗艦店よりゴージャスでアッパーなものが並ぶ。

実は1年ほど前、たった一人、私はそのブティックを訪れていた。それ以前、何度か彼と指輪の話をしたことがあって、彼が希望して表参道のブティックに行ったこともある。ただ、その時はさすがにそんな高価なものをもらうには付き合いが浅いと判断し、私は遠慮した。それでも私は隠し持っていた乙女心から彼が指輪をくれる日を夢見た。いつも頭の片隅に、心のどこかに、お揃いの指輪のことがあった。

けれどなかなか実現しない。次第に、彼の中で指輪を贈りたいという気持ちが薄れて来ていることはわかっていた。だからこそ私は執着し、ことあるごとにおねだりしたけれどいつも彼の適当な理由に論破されプレゼントされることはなかった。

贈りたい気持ちが薄れていたこと以外にも理由はあった。彼が髄膜炎で3ヶ月近く入院して相当な医療費がかかったであろうこと。さすがに私も遠慮する。その後もベストなタイミングが見つからず、あっという間に3年の歳月が立ち...それでも私は、彼を、彼とお揃いの指輪を諦めたくなかった。そんなことを理由に、これは待っていても仕方ないと、一人、指輪のサイズを調べに行った。

CHANELのウルトラコレクション。彼がいつも左手の中指につけている2連の指輪。純白のセラミックを素材とし、シンプルかつ存在感のある指輪。

もちろん、指輪は彼に贈ってもらう予定なので私サイズを調べに行っただけ。そしてさまざまなサイズの指輪を試すうちに、彼の昔話を思い出した。

確か彼が議員秘書をしていた頃、おそらく15年近く前の話。彼はそのウルトラコレクションの指輪とともにCHANELのJ12という時計をつけていた。いつの日か時計は手放し、それでも指輪は手元に残した。

15年前というと、私は大学を卒業し上京して数年の頃。まだ、20代も半ばの頃。百貨店の花形といえばエレベーターガールか美容部員だと思うが、私はその後者。とあるメーカーの美容部員だった。

美容部員は薄給とはいえバブリーな一面がある。昼は社食で380円の味噌ラーメンを啜りつつ、化粧品に年間何十万もつぎ込む。全身脱毛に美容皮膚科、エステ、マッサージ。勤務中も休憩中も、最新のコスメや同僚の噂に花が咲く。ちなみにお昼の休憩は60分。そのうち15分は化粧直しの時間に費やす。どこを直すのか。もちろん、全体。とにかくみんなばっちりメイク。2000年代後半はマスカラがとにかく流行っていて、みんな堂々とゴージャスな「ひじき」だった。ランコムにヘレナルビンスタイン、エレガンス。しかも丁寧に髪を結って盛るものだから、私たちはまるで夜の蝶のよう。

上京して数年。都内とはいえ郊外店に配属されていた私は化粧品に興味はあれどいわゆるおぼこだった。合コンなんて無縁そのもの。ただ、たまに会う他店の同僚や先輩方は仕事以外の課外活動に積極的で、いつも商社だの外資系だの、男性のスペックや年収の話ばかりしていた。

当時の思い出は他にもある。華やかなものが好きな美容部員。当時大流行のChloeのパディントンを持つ後輩、CHANELのニュートラベルラインを持つ先輩。VUITTONの白ダミエも大人気。ちなみに私の憧れはYSLの真っ白なミューズ。

バッグの他には時計。高級時計。ブルガリ、カルティエのタンク。20代半ば、みんな、どこにそんな財源があったのだろう。私は途中からLouboutinやRossiのハイヒールに傾倒して行ったのでさすがに時計にまでは手が回らず、気づけば30代を迎えていた。気に入った時計も便利なお財布くんも見つからず。気分によってCABANE de ZUCCaのmanhattanをしたり、VOGUEで一目惚れしたH.P.FRANCEの白いベルトに金細工の小ぶりな時計をしたり。それでも、白雪姫が歌う「いつか王子様が」ではないが、「いつかタンクが...」と思いながら過ごしていた。

その後、さまざまな経緯で鬱になり、寛解したものの相変わらずストレス過多で双極性障害も発症した。子宮頸がんも経験した。もはやタンクどころではない。そして35歳の12月末日をもって、私は美容部員を卒業した。自分に伸び代を感じられなくなったから。大好きだったはずの化粧品に興味を持てなくなったから。配属先の先輩や上司とうまくコミュニケーションが取れず、将来的な出世は見込めないと悟ったから(他には子宮内膜ポリープが見つかった。けれどそれは大した理由ではない)。

そんなわけで、30代後半になるまで私は時計に、いわゆる高級時計に無縁だった。帝国ホテルのCHANELブティックに、一人、指輪を見に行くまでは。

指輪のサイズをメモしてもらい、担当してくれた女性と「彼が買ってくれると言ったら次は2人できます」などと会話をして席を立った。そしてふと思い出したのだ。指輪と同じ素材の、J12という名の時計があることを。

見るだけ。ただ、見るだけ...。

真っ白なセラミック、メンズサイズ38mmの大振りなJ12は私によく似合った。私は比較的身長が高いので、大振りのものにも負けない。もし彼の若い頃のようにこのJ12とウルトラの指輪をセットですることができたなら。いつか彼が指輪を贈ってくれた時、その指輪とともに私の腕に純白セラミックのJ12が輝いていたら...何と美しいだろう。

私はJ12を迎えることにした。

いい靴は、持ち主を幸せなところへ連れて行ってくれるという。では時計は?ただ時刻を知らせるだけではない。時を、刻むもの。病める時も健やかなる時も、その持ち主の人生に寄り添いともに生きるもの。転職したばかりの私にその価格は大打撃だったが、あまりにも私によく似合う。豊かな人生を送るには、最高の相棒が必要だ。新たな人生を切り拓く覚悟として、相棒として、私はJ12を選んだ。

それから1年近く経ち、幾多の苦難を越えた今、私の左腕にはJ12と薬指には彼とお揃いの純白な指輪が輝く。彼の指輪は2連で、彼の大きな手によく似合う。私は1連で、少し華奢なもの。

お支払いを済ませ、私は彼に指輪をはめてもらった。「薬指でいいの?」と彼。「お願いします」と私は答えた。心を決めていたから。

その瞬間、私は世界で一番幸せな女の子だった。世界中に自慢したかったし、祝福の声が欲しかった。

ブティックを後にした私たちはお揃いの指輪をつけ手を繋ぎながら銀座の泰明小学校の前にあるAUX BACCHANALESに向かった。街行く人々を眺めながらモヒートで乾杯。2人で手を並べ、指輪が見えるように記念写真も撮った。

それから3ヶ月。たった3ヶ月。立冬からたった数日。こんなに状況が一変するとは誰が予想し得ただろう。

今はまだ気持ちの整理がつかずここに記したくもない。今、彼とのたくさんの思い出の写真を見ても、彼の表情が笑顔が全てが嘘に見える。私のハートから、何かが崩れる音が聞こえる。

ただ一つ。彼にとって、「手を伸ばしてももう届かない」存在になりたい。

ありきたりだけれど、私が幸せになることが1番の復讐なのだろう。彼は誰も愛してなかった。気づかないふりをしてきたけれど、誰も愛していなかった。彼からは、最後の最後まで意思を感じなかった。私はこの3年、誰と恋愛を、恋愛ごっこをしていたのだろう。

いつの話だったか、私は人前で泣いたことがある。ニューヨークだったと思う。悲しみにくれていた。すると、名も知らぬ女性が私をハグしてくれた。黒人のグラマラスなマダム、私はその胸で泣いた。見知らぬ人ですらそんな風に接してくれるのに、私の愛しいあの人は、私が妊娠の可能性に不安になった時も急性肝炎になった時にも心配するそぶりを見せなかった。メールはスルー。筆不精で恥ずかしがり屋で感情を表現するのが苦手な人だし、と私は無謀な理由で自分を納得させ、いろいろなことに気づかないふりをした。けれど相手が困っている時、手を差し伸べるか差し伸べないか。そういう節々にもその人の本来の姿や心のあり方が現れるのではないだろうか。名も知らぬアジアの小娘に優しいをハグをくれる人もいる。私を女性として、まして感情のある人間として扱わず全く関心を見せない人もいる。そんな人を、私はもう愛せない。

I love you but I love me more.

自分を愛さずして、どうしてあなたを愛せるでしょう。

指輪というのは誓いの証だ。だけどもしかすると、来世で再会した時すぐに過去で誓い合った「魂の伴侶」だと気付けるようにつけるのではないだろうか。もちろん、物理的に持ち越せないのは当然で、でもそう言うことではない。有限の人生、限られた時間の中を生きる私たちにとって果てしない永遠を実感することはないが、でも、だからこそ、永遠の愛を誓った証として、指輪をするのではないだろうか。

樹木希林が内田裕也について語った言葉で印象的だったものがある。

生まれ変わることがあっても、出会わないように気をつけたい。全部、好きです。すべて何もかも好きです。もし、来世というものがあって、生まれ変わることがあるのなら、また巡り合うことがないように。出会わないように、気をつけたいわね

私も。全部、好きです。すべて何もかも好き。でした。

まるでSex and the Cityのサマンサのごとく奔放だった私が彼のために誠実に過ごした3年を驚いた人がいる。「どうしてよそ見しなかったの?」。私、腹括っていたから。彼を見限らないと、自分の中で誓っていたし誠実でい続けようと決めていたから。それでも、そんな私に嘘をつき続けたり大切にできないなら相手にする価値はない。本気でぶつかって来ないなら、本気でいる必要はない。

「もし、来世というものがあって、生まれ変わることがあるのなら」

きっとまた、恋に堕ちてしまう...私は指輪をそっと外した。

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