サヨナラの季節
11月7日は2020年の立冬だった。正式に冬が始まる日。立春までのあいだ、私たちは冬という時間を過ごす。
確かにここ最近、グッと寒さが増した。私は基本的に、真夏と真冬以外は窓を少しだけ開けて生活をする。よどみのない澄んだ空気が好きだから。けれど寒さが増したせいで室内の湿度が40%ととんでもなく下がり、鼻や喉の粘膜がビリビリしてきたので窓を閉めることにした。そして例年通り、エアコンと加湿器を稼働させた。正式に、冬が始まった。
暖かい部屋でぬくぬくと過ごすのは大変に心地よい。まるで、地元の北海道で過ごしているようだ。北海道の暖房設備は本州に比べて完璧で、例えば二重窓で保温性が高いし、ストーブだってこれでもかとガンガンたく(つまり冬の光熱費は尋常じゃない)。外はホワイトアウトの氷点下、でも室内ではハワイかと思わせる気温差。冬でも家の中では半袖で過ごす。これが北国スタイル。エアコンの設定温度を24度にして温まった部屋で、今、私はキャミソールでこれを書いている。
人生を考えている。
私が何年もお世話になっている美容師の兄さんは多彩な人で、美容師で料理家で写真家。美容家として化粧品の開発やプロデュースもしている。いろんな才能がある。ヴィーガンで、ストイックでセンスがよくて、ちょうどいいくらい尖ってる。オリジナルなのだ。ファッションのセンスや趣味、嗜好もいい。話が合う。美容師としての腕もピカイチで、うねって癖が出やすい私の髪を上手く扱い素直にさせる。髪をメンテナンスしに行くたびにエネルギーをもらう。簡単に言うと、尊敬している。
そんな彼が昨日インスタグラムで「写真家辞めます」と言った。
彼に撮ってもらったことはないけれど、写真展にも行ったし、毎日、彼がインスタグラムにアップするキュートな写真を見ていた。彼は若い女性のモデルさんを撮ることが多い。私は素人だし語彙が少ないからなんと表現すべきかわからないけれど、彼が撮るモデルさんは表情が自然で無邪気。インスタグラムのフォロワーも多く、それらの写真をきっかけに彼に髪を切ってもらいたがる人も増えたようだ。その界隈では有名な人。
そんな彼が、写真家を辞めると言った。
辞めようと思った理由は、ただひとつ。「才能がなかったから」です。
素晴らしい写真家は、デビュー作からヤバいです。
夜の砂漠の真ん中で火柱が上がるような、凄まじい煌めきを放つものです。僕のデビュー作は、それに比べればなんと小さな焚き火だっただろうか。
そのことを1年ほど考えて、辞めることにしました。
好きなことをひとつ、諦めた人生に僅かな期待を描きつつ
「夜の砂漠の真ん中」はサン=テグジュペリの星の王子様を、「凄まじい煌めきを放つ」は宮沢賢治の銀河鉄道の夜を思い出させる。
満天の星空の下、冷たい砂混じりの風が吹く。真っ暗闇の中、轟々と燃え盛る炎の音。すべてを焼き尽くすほどの勢いで燃えている。優しい火ではない。パチパチと燃えている何かが弾ける軽い音ではない。見るものすべてに恐怖と緊張感、神聖さをも感じさせるその炎。勢いよく燃え盛る炎。砂漠で夜を過ごしたことはないけれど、夜の砂漠の真ん中に上がるその火柱を、私は脳内に描いた。
見るものすべてを圧倒するほどのエネルギー。パワー。存在感。情熱とか夢とか希望とか、愛とか。烈火のごとく燃え上がるそれらは生命そのものだ。生きることそのものだ。
辻仁成と江國香織の「情熱と冷静のあいだ」という小説があるけれど、兄さんが写真家を辞めようと思った理由からは、写真に対する情熱と自分の才能を冷静に見極めるだけの感性や知性が垣間見れる。兄さんの気高さと潔さ。高潔な人。
ところで、以前読んだ本に、恋愛や物事に対する決別を扱った「別れの美学」という新書がある。私はこのタイトルが痛く好きだ。私自身が執着の塊だから。別れることは簡単ではない。喉から手が出るほど欲しいものへの気持ちを執着を断ち切る。諦める。自分の欲望と向き合い、それを断絶する。潔く身を引く。なんと難しいことだろう。まさに美学だ。漢気と言ってもいいし、女っぷりとも言えるかもしれない。そんな風に、兄さんは自分の好きから身を引き別れることにした。冷静に自分と自分の才能を見つめ、1年考えた末に諦めることにした。
まさに「別れの美学」だ。
別れ際のセリフ、「サヨナラ」や「さようなら」の語源は「左様ならば」だと聞いたことがある。「それならば」ということだ。
自分には才能がないと気づく。左様ならば、写真家を辞める...サヨウナラ。
あなたは私を愛していない、と気づく。左様ならば、手放しましょう...サヨウナラ。
だから肝心なのは、想う相手をいつでも腕の中に抱きしめている事だ。ぴたりと寄り添って、完全に同じ瞬間を一緒に生きていく事だ。二本の腕はそのためにあるのであって、決して遠くからのサヨナラの手をふるためにあるのではない
中島らもは「愛をひっかけるための釘」にこのように書いている。
別れを予感する時、私はこの言葉を思い出す。親しい人と仲違いした時には別れの手紙として引用した。生きていると出会いと別れを繰り返す。悲観的になる必要はない。人間関係の新陳代謝だ。なのに簡単に割り切れないのは何故だろう。遅かれ早かれ、出会ったその瞬間から別れへのカウントダウンが始まっているというのに。しかし私は「完全に同じ瞬間を一緒に生きて」いくものだと期待していた。
兄さんは、写真家を辞めると言った。ライフワークだった写真家としての仕事と写真と、寄り添うことを辞めた。その二本の腕で、多くの人を魅了する写真を撮っていたのに、抱きしめることを辞めた。「才能がなかったから」。好きなことをひとつ、諦めた。
でも、だけれども、「肝心なのは、想う相手をいつでも腕の中に抱きしめている事」なのでは?「ぴたりと寄り添って、完全に同じ瞬間を一緒に生きていく事」なのでは?
前出の辻仁成の言葉が好きで、私は彼のツイッターをフォローしているのだけれど、以前の日記でフランス語のこの表現について触れていた。
"La vie continue"
...それでも、人生は続く。
何があろうとも、それでも乱暴に残酷に人生は続くのだ。
どんな選択も間違っていない。本人にしかわからない。それがその人らしさだし、その人の価値観。譲れないもの。諦めたからといって好きではなかったということではない。兄さんの選択はちゃんと向き合ったからこそ、そう、ちゃんと向き合ったからこそ、なのだ。
兄さんは「人生に僅かな期待を描きつつ」続ける。
私は、どうしようか。
立冬前日、もう3年以上傾倒していたことに区切りをつけた。大袈裟だけれど、生半可な気持ちで決別を宣言したわけではない。私の気持ちはどれほど伝わったかわからないけれど、女として、啖呵を切ったつもりだ。惚れた男に、「会いたくなったら連絡してください。私からは連絡も、会いに行くことももうしません」と告げた。
きっともう、連絡はない。一喜一憂はしない。待つ女は辞めるのだ。待つことしか取り柄がない女が、待つことを辞めるのだ。本気で。
私も「好きなことをひとつ、諦めた」。「想う相手をいつでも腕の中に抱きしめて」いようと思っていたけれど、自分の意思だけでは簡単にはいかないこともこの世には存在するのだ。どんなに好きでも、状況が好転せず、何年も一進一退。どうすることも出来ず、距離を置いた方がいいこともある。
円山町のあの坂で、待ち合わせることはもうないのだろうか。末端冷え性で冷え切った彼の手足を包み、温めることもないのだろうか。私の人生において、彼より最低な人はいない。最高な人もいない。もう2度と、そんな人は現れない。あなたの二本の腕で、私をずっと抱きしめていて欲しかった。私がどこか遠くに行かないように、遠くからのサヨナラの手をふらないように。抱きしめていて欲しかった。
彼は私に最高級のストーリーをくれた。私の人生は彼で彩られ、彼のおかげで豊かになった。彼に出会わなければ、こんなに泣いたことも、喧嘩して10日間お腹を壊し続けたことも、大喧嘩して大切なバカラのグラスを割って血だらけになったこともなかっただろう。明け方に大げんかして青山一丁目の角にある交番に二人で飛び込んだことも。
それでも、「ぴたりと寄り添って、完全に同じ瞬間を一緒に生きていく事」が叶わないならば...左様ならば、サヨウナラ。
立冬。正式に冬を迎えた。
二十四節記の霜降(そうこう)にサヨナラを告げ、冬が始まった。九星気学によると、この立冬を境にエネルギーや運勢が変わっていくらしい。季節は進み、星のめぐりも変わっていく。私たちは、どう変わっていく?
あなたの心の中に、「火柱が上がるような、凄まじい煌めき」はあったのだろうか。魂が揺さぶられ人生を変えられそうな衝動を、私はあなたに与えられなかったのだろうか。
これからの人生に、僅かな期待を描きつつ。