【2007秋山奥ツアーその27】
11月19日
南帝山瀧川寺です。
ここには、後南朝の王子のお墓があります。
そのうち書きますが、明治に定められたお墓に対して、地元では不満を持っているようです。
これまでお墓を何百年も守り続けていた地元の人にとってみては、「ここじゃないんだ」という思いがあるようでして。
とにかく、後南朝というのは、後醍醐天皇に始まる南朝(大覚寺統)の子孫であることは間違いないのですが、とにかく歴史上から抹殺されていて、史料などというものはほとんど無く、伝承・伝説・口伝などによって、後世に伝えられていることが多いのです。
正直、何が正しいのか、分からないことも多々あります。
第96代後醍醐天皇から見て、玄孫と思われる、尊秀王のお墓がここ瀧川寺にあることになっています。
後に、地元の人がお墓があると思っているお寺にも、行くことにします。
さて、ここにお墓がある尊秀王とは誰なのか?
日本史に詳しい人でも、この方を知っているのはごく少数でしょう。
後醍醐天皇の子で、第97代後村上天皇の子、後醍醐天皇の孫に当たる
第99代後亀山天皇の弟の惟成親王の子の尊義王を父として生まれたのが尊秀王です。
後醍醐天皇の子孫が、なぜこんな山奥にお墓があるのか?
そのことについても語らなければなりません。
みなさ~ん、付いてきてますか~???
おいらの日記には珍しく、難しい話なので、学校で歴史の授業を聞いていたときに寝ていたような方には、苦痛かもしれませんね(苦笑)。
そういう方は、見ないほうがいいかもね(苦笑)。
さて、ではなぜこんな山奥にお墓があるのか?
それは・・・
つづく(鬼笑)