それって「あなたの」感想ですよね?と言う話。
文脈として、立場をはっきりさせておく方が好ましいと思うので。
はじめに、真面目に宣言しておく。
これは村上春樹さんの作品が好きな男性によって書かれた文章である。
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毎年ノーベル賞の発表時期になると、村上春樹さんの名前を目にする機会が増える。
ちょっと前までは「今年は受賞するか?」という文脈のものが多かったが、
最近は受賞できないことを前提に、作品や作者に対する手厳しいコメントのが多くなったように思う。
発表された作品や文章を読むことも、それに対して何かしらの感想を抱き、SNSなどの場で公にすることも、個人の自由である。
誰にだって好みがあり、合う合わないがある。
しかし、この頃(2024年10月上旬頃から)X(旧Twitter)で目にする言説の中には、ちょっと待ってくれよ、と言うものが多いように思う。
「作品を楽しめなかった」という感想を、論評と言えるのか疑問に思う程度の言葉で好き勝手に貶している。
しかも、そういう空気になるのを見計らっているのか、Xのアルゴリズムでそう見えているだけなのかはわからないが、足並みを揃えて。
でもまあ、そもそもXなんてそんなもんだ、と言われたらそうかもしれない。
しかし。
ベストセラーとなった『ノルウェイの森』が自分のための物語ではなかったからといって、「キモい」なんて安っぽい言葉で片付けられたら、その言い方はないでしょうとなる人がいるのだって当たり前のことだと思って欲しい。
まず疑問に思うのが、文学作品の良し悪しや感想を語る文脈において、「キモい」と言う言葉でしか表現できなかったのだろうか、ということ。
たまたま近くに置いてあってすぐ出てきたから、手っ取り早く「キモい」という言葉を選択していないだろうか。
「生理的に受け付けなかった」とか「自分には合わなかった」とか、自分と作品の相性による問題をなんとでも表現できるはずだ。
安易に、そして公然と誰かに向かって「キモい」と言う言葉を投げつけようとしている、または投げつけてしまった自分と、一度向き合ってみたらどうだろう。
そして。
自分がその作品を通じて何かしらを受け取れなかったことの全ての責任を作品に負わせようとする姿勢にも疑問を感じる。
ミソジニーがヒドイとか、現実的な女性が描けていないとか、そういった意見もあった。
フィクションの世界において「現実的な」何かが描かれていなかったとして、なんだと言うのか。
まずそもそもとして、人によって想像する現実的な描写は違うはずなのに。
辞書だって言葉の説明が常に完璧にはならないから、出版社によって言葉の説明が異なり、時代に合わせて改訂されると言うのに。
ストーリーテリングの中でその表現が成立しているのであれば、それ以上の何を求めるべきなのだろう。
そして、もし「こんなの読むに値しない」と感じたのだとしたら、それはあなたのための物語ではなかっただけのことなのだと思う。
全てのものが全ての人のためにつくられているわけではない。
世の中には私のためではないものもあるし、あなたのためではないものもある。
『ノルウェイの森』についていえば「エロ小説」とかいう感想もよく見かける。
ちょっと待ってほしい。
特に上巻など、学生寮の屋上で螢を放つ場面や、緑の実家の物干し台から近所の火事を見物する場面など、その時にそこにしかなかったはずの空気をそっと閉じ込めた美しい文章が並んでいると言うのに、覚えているのはセックスの場面だけですか???
あと、念のために、声を大にして言っておきたい
『ノルウェイの森』以外も、本当に素敵な作品ばかりだ。
『1Q84』も『ねじまき鳥クロニクル』も『海辺のカフカ』も『羊をめぐる冒険』も『国境の南、太陽の西』も『騎士団長殺し』もあれもこれも。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』も。どの作品も大好きだ。
10代で村上作品に出会って以降、現実から不意に離陸する村上さんの物語の力が、しんどい時期の自分を救ってくれた。
「自分に同情するな」
「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」
物語の中の言葉が、腐りそうになる自分を奮い立たせてくれるときもあった。
だから、村上さんの新作、特に長編小説が新たに書店に並ぶと、何はともあれ買う。
そして読み終わるたびに、この人が作品を生み出す時代に間に合って本当に良かったと、心から感じる。
もちろんこれは、僕個人の感想だ。
別に全ての人に村上作品を褒めて欲しいと思っているのではない。
人によって合う合わないは当然ある。
むしろ、万人に受け入れられる作家や作品のほうが稀だと思う。
だから、あなたが誰かの作品を読んで「自分には合わないな」と思っても、何もおかしいことではない。
どんな古典だって、名作だって、ベストセラーだって、それが自分のための物語ではない可能性なんて大いにある。
みんながいいって言うし売れてるみたいだけど、なんかわかんねえなあ、と思うことは誰にだってあると思う。
そんな時は、「面白くなかった」とか「わかんなかった」とか、大きな声でも小さな声でも、好きなように言えばいい。
ただし、その時に省略されている言葉が存在することは知っておいてほしい。
「自分にとっては」面白くなかった、「自分には」わからなかった、なのだ。
だって、面白いと思った人だっているのだから。
あなたの感想の全てを作品のせいにするような言い方は、フェアではない。
手渡されたものを、あなたは受け取った。
その時のあなたにとっては役に立たないものだったかもしれないが、誰かにとっては意味があるかもしれないし、いつかあなたもその意味を感じる時がくるかもしれない。
あなたが感じたことは、あなたのものである。
それは間違いない。
だから、感じたことを好きなように表現したらいい。
そこには「キモい」などの言葉を使う自由も含まれる。攻撃するだけの言葉を選ぶのも、個人的にはどうかと思うけれど。
あなたが感じたことの責任を、作品が負わなければいけないわけではない。
それはあなたの感想なのだから、あなたにも責任がある。